Reversi小説 | ナノ



1-2

「さッむ! 北海道さッむ! これが氷点下……マイナスの世界はホンマおそろしいわ」
「いやいや光一、北海道の冬は去年も体験してんじゃん」
「アホか、こんなん一回や二回で慣れるモンちゃうぞこのどさんこが」
「そーかなー? ……あ、ごめん光一、俺家に財布置いてきたっぽい」

 学校を出て、光一と賢斗はふざけ合いながらゲーム屋を目指し歩いていた。しかしどうやら賢斗は肝心の財布を忘れてきたらしい。残念ながら光一の所持金では、新発売のゲームソフトをふたつも買える余裕はない。光一が眉間にシワを寄せ賢斗を見た。

「お前、今日ドラハンのために早起きしたんちゃうんか」
「うむ、面目ない。氷森賢斗一生の不覚でござる」
「なんで急に武士やねん」
「否、侍でござる」
「どーでもええわ!」

 幸い賢斗の家は目指していたゲーム屋のすぐ近くにある。交差点まで来ると賢斗はくるりと向きを変え、光一に向かって敬礼のポーズをしてみせた。

「申し訳ございません、ただいま取って参りますゆえ、しばしお待ちを!」
「キャラ定まっとらんやないかい」
「すぐ追いつくから光一は先行ってて! よろしくー!」

 光一のツッコミも無視して、賢斗は颯爽と角を曲がって行った。いつも抜け目ない賢斗が忘れ物なんて珍しい、などと思いながら、光一はその姿を見送った。仕方なく店に向かおうと横断歩道を渡る光一だが、渡り切ったところで足を止めた。光一はこの日が来るのを、公式発表があった半年前からずっと心待ちにしていた。それはおそらく、賢斗も同じ気持ちのはずだ。やはり『ドラハンW』と対面する瞬間を一人で味わうのはフェアではない。そう思い直し賢斗が来るまで時間をつぶそうと、光一は近くのコンビニエンスストアへと足を運んだ。



「いらっしゃいませー」
 自動ドアをくぐると、事務的な挨拶が飛んできた。冬の店内は程よく暖房が効いているので心地良い。そういえば昼食がまだだったな、と菓子パンの陳列棚を覗く。しかし光一は、ふと目についたお菓子コーナーに目を奪われてしまった。正確には、お菓子コーナーの前列にでかでかと貼り出された、手書きのポップに目を奪われたのである。

『新商品! ポテトスナック〜フルーツ牛乳味〜』

 そのポップのそばには、一袋だけ残っているポテトスナックのパッケージがひっそりとたたずんでいる。新商品であるポテトスナックは、この一袋を残してすべて売り切れてしまったようだ。フルーツ牛乳を普段から愛飲している、自称フルーツ牛乳マニアの光一としてはここで買わないわけにはいかなかった。神々しささえ感じられるその新商品に、光一はおそるおそる手を伸ばす。

 震える指先がパッケージに触れるか触れないかというところで、ふとすぐ後ろに人の気配を感じた。お菓子を前にして一人テンションが上がっていたところを見られていたのかと思うと突如恥ずかしくなり、光一は思わず手をひっこめた。早く通り過ぎてくれと願う光一。しかし後ろの人物は通り過ぎるどころか、予想外の行動に出た。

「オイ、買わないなら早くどけ。アタシそれ買いたいから。邪魔」

 舌打ちまじりの不機嫌そうな女性の声が聞こえた次の瞬間、その人物はあろうことか光一の背中を 足蹴 あしげ にしたのだ。光一は予期せぬ背中の感触に一瞬なにが起こったのか分からなかったが、状況を把握した途端一気に怒りが沸点へと達した。

「なんやとコラァ、ケンカ売っとんのか……」

 勢いよく振り向いた光一は、相手の顔を見ると途中で言葉を止めた。視線の先の人物には見覚えがあったのだ。光一に負けず劣らずの、白味がかった金色のセミロングヘア―を揺らす少女。人形のような大きな瞳を長いまつ毛で縁取っているが、目つきの悪さがそれをきつい印象にしてしまっている。そして、その少女が着ているのは赤いリボンスカーフのセーラー服、灰桐中学校指定の制服だった。

「お前はたしか……隣のクラスの、不登校で有名な 花見 はなみ ?」
「そう言うお前は皆勤賞ヤンキーで有名な緋山じゃねーか」
「ちょお待て、オレ陰でそんなダサいふたつ名ついとんのか?」

 怒っていたことも忘れ、光一は自分の評価にショックを受けた。花見はそんな光一を冷めた目で 一瞥 いちべつ すると、棚にあるお菓子のパッケージをスッと手に取る。どうやら花見の狙いもこのポテトスナックだったらしい。頭を抱えうなっていた光一だったが、花見の行動に気付くと正気を取り戻した。自分が狙っていたものを黙って渡すわけにはいかない。光一は花見の細い腕をつかみ、レジへ進む足を阻止した。

「待てや、先にここおったんはオレやろ。順番くらい守れや」
「手に取ったのはアタシが先だ。順番守れてねーのはテメーだろバーカ」
「なんやと……!」

 花見も譲る気はさらさらないらしかった。光一に対抗して鋭い目付つきで睨み返す。売り言葉に買い言葉で、二人の言い争いはそのままどんどんヒートアップしていった。周りの客数人が、何事かと野次馬の如く様子を見に来る始末だ。店員が呼んだのだろう、そのうち奥から『店長』のネームプレートを付けた大柄の男性が現れた。店長は、白熱する二人の間にヌッと割って入る。そして二人を諭すように、穏やかな声で言った。

「申し訳ございません、お客様。他のお客様のご迷惑になりますので、外でやっていただいてもよろしいでしょうか?」

 店長がそう言うと、光一と花見はぴたりと言い争いを辞めた。店長はわざとらしいくらいに完璧な営業スマイルを顔に貼り付けているが、見た目は 筋骨 きんこつ 隆々 りゅうりゅう の大男。その笑顔を前にして、二人は本能的に「この人に逆らってはいけない」と敗北を感じた。反論の余地もなく、花見の手から優しくお菓子を取り上げた店長は二人の背中を押し、店の外へとうながした。



 外に押し出されたあと、光一は冷めやらぬ怒りを思い出したかのように吐き出した。

「あーッ! なんやねんお前!? ホンマ腹立つなァ、幻のフルーツ牛乳味どうしてくれんねん! 絶対アレ廃番やぞ!」

 怒鳴りちらす光一だが、花見は見向きもしなかった。ため息をつき、険しい顔つきで遠くを見つめている。長いまつ毛が、伏し目がちの瞳を隠していた。

「はぁ……終業式だと思ってたまに来てみればこれだもんな」

 それを聞き、光一の頭にふと疑問が浮かんだ。怒鳴るのをやめ、花見の顔を覗き込む。

「そういえばお前学校全然 ーひんて噂やのに、今日は終業式やから来たんか?」
「うちの担任が毎日のように家まで来てうるせーんだよ。せめて終業式くらい顔見せろってな」

 それは見上げた教師魂だ、と光一は思った。しかし花見のその言葉で、心の隅に無理やり追いやっていた事柄を思い出す。織原の件だ。モリオはこの件が非公開だと言っていた、おそらく他のクラスでは織原が学校に来ていないということすら話に上がっていないのだろう。考えても仕方ないということなど分かってはいるのだが、どうしても光一は賢斗のように割り切って考えることができなかった。このままのモヤモヤした気持ちでは、待ち望んでいた新作のゲームも純粋に楽しめるのか不安だ。

 やはり賢斗に協力してもらって、なにかしらの手がかりを探してみようかとまで考え始めたその時。ふいに太ももあたりに細かい振動が走った。制服のスラックスに入れた携帯電話のバイブレーション機能だ。ポケットから電話を取り出し画面を見ると、そこに表示されていたのは『賢斗』の二文字。そこで光一は、賢斗に自分の居場所を伝えていなかったことに気づく。液晶を親指でスライドし、慌てて電話に応答した。

「賢斗すまん! オレ今コンビニおんねん、もう店着いたんか?」

 光一は受話部分に耳を当て、応答を待つ。賢斗のことだから怒ることはないだろう、おそらく呆れた様な笑い声が返ってくるに違いない。そう思ったのだが、しかし数秒待っても返事はなかった。代わりに聞こえてくるのは吹き荒れる風の音と、大きなもの同士がぶつかり合うような鈍い衝突音。光一は何事かと顔をしかめ、状況を判断しようと電話をさらに強く耳に押し当てる。

「オイ賢斗ー?」

 ごうごうと聞こえてくる風の音。まるで台風を思わせる電話の向こう側だが、賢斗がいるのは光一とそう遠くない場所のはずだ。少なくともこの周囲では、そんな強風など吹いていない。花見も電話から漏れ出る音を不審に思ったのか、光一の様子を見守っていた。再度問いかけようとしたとき、再び衝突音が聞こえてきた。先ほどよりも音の強さが増している。突然の爆音に、光一は思わず耳から電話を離してしまった。やはり様子がおかしい。

「お前今どこにおるん? やたら雑音うるさいけど大丈夫か?」
『……こ……いち、ごめ……俺、そっち行けそうにないわ……』

 微かに、くぐもった声が聞こえた。電波が途切れ途切れだが、その声は賢斗のものだった。しかしそれと同時に、声の後ろから獣の雄叫びのようなものが聞こえてきた。それはこの世のものとは思えない、地の底からふつふつと湧き上がってきたようなおぞましい叫び声だった。その声が聞こえた途端、光一は全身がサッと凍るような感覚に陥る。一瞬で体の芯から凍らされるような感覚。電話を握る手に力が入るが、握っている指先の感覚は分からなくなっていた。心臓が激しく脈打ち、気づけば両足が震えていた。とてつもなく嫌な予感がする。

「おい、何があった!? お前ん家の近くにおるんか!? 今からそっち行くから……」
『バカ、来るな光一!!』

 突如、電話がはっきりと音声を拾った。それは光一が今まで聞いたことのない、緊迫した賢斗の声だった。光一はそれを聞くと反射的に地面を蹴り、賢斗の元へ向かおうとした。しかし、光一の右腕をとっさにつかんだ花見がそれを止める。

「お、おいやめとけ! 分かんないけど……そっちに行かない方がいい気がする……!」
「離せや!! アイツがこない叫んどるん聞いたことないねん! 絶対なんかあったんや!」

 必死な形相で花見を睨む光一。つかまれた腕を勢いよく振り払い、再び走り出す。うしろから、花見の叫び声が聞こえてきた。

「なんかあったんならなおさら行かない方がいいだろ!? お前まで巻き込まれるじゃねーか! ほっとけよ、なんで行くんだよ!?」
「友達やからに決まっとるやろ!!」

 光一は花見の言葉に答えると、信号機の表示も確認せずに全速力で車道を駆け抜けた。左右で車のクラクションが鳴り響いていたが、光一の耳にはそれすら入ってこなかった。



 花見が目を見開き、追いかける足を止める。光一のまっすぐ真剣な声に、なにも言い返せなくなってしまった。出しかけた手を降ろし、茫然とその場に立ち尽くす。

 花見は脱力したように膝を曲げ、その場にぺたんと座りこんだ。

「友達だから……? なに言ってんだ、理由になってないぞそれ……」

 言いようのない恐怖に身体がすくむ。道路を渡り切った光一の背中が、花見にはとても遠くに感じた。

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