■ ダンデライオン

FBIの捜査官たちは皆優秀だが癖のある人間が多いとジェイムズは感じていた。古くからの同僚にそう洩らすと、「お前も人の事は云えないだろう。何年その組織の中に居るんだ?」と呆れた顔をされてしまった。成る程、端から見れば自分も同じ狢かと納得したのも随分昔のことである。

癖のある部下を纏める立場になったジェイムズの元にやって来た赤井秀一という日系の男は、中でも特に扱い難いと上層部で評判だった。非常に優秀だが組織の一員として扱うには個人主義が強すぎる。まさに一匹狼。そう云われた男は手綱の緩いジェイムズの元で水を得た魚のように能力を発するようになり、次第に上からの忠言も無くなっていった。赤井の才能と能力を誰より見抜いていたジェイムズの慧眼が勝ったとも云える。
しかしそのジェイムズにも中々本音を晒してくれないのが赤井秀一という男だった。鋭い眼差しに、時折皮肉めいた笑みを浮かべ、笑えもしない冗談を口にするのが精々だ。誰が相手でも常に一定の距離を保ち踏み込ませることはない。FBIの捜査官として強い信念を持っているのは良いが、この男が誰かに本当に心を許すことがあるのだろうか、と溢したのはやはり古い同僚の前であった。

──「そんなに人の心配をするなんてお前も歳を取ったな。まぁ、それはお互い様だがな」

成る程、部下のプライベートを心配するなんて年寄りの大きな世話か。同僚の遠回しな要らぬお節介は止めろという忠告を有難く受け止め、それからは他の部下たち同様静かに見守ることに徹している。

──宮野明美。黒の組織の末端構成員であった女性と赤井が、仕事以上に心を通じ合わせていたと知ったのも、彼女が亡くなり今までよりも心を閉ざした男と対面してからだった。捜査の陣の指揮をとっているジェイムズにかけてやれる言葉はなかった。
犯罪者であれ、善良なアメリカ国民であれ、自分より遥かに若い人間が長い人生を暗い眼で歩む事になるかもしれないと考えると鉛を口に含んだ気分になる。ましてや共に国の為に命をかけている若い仲間なら尚更だ。

──これも歳を取ったということか。やはりあいつの云った言葉は正しかった。
同僚の顔を思い出して一人頷く。
──だが仕方がない。年寄りは若い人間に希望を持っていてほしいと願うものだ。例え、どんなに小さくても構わない。希望さえあればこの先の人生の先道が真っ暗ということはないだろう。



ダンデライオン



会議室のように使わせてもらっている病棟の一室にて、ジェイムズはジョディの報告を受けていた。内容は水無怜奈の容態は依然変わらず──つまり意識の回復に至ってないという残念なものだ。

ふと、窓の外を見ると雲一つない青空から柔らかい陽射しが病院の裏庭を照らしていた。薄暗い室内で犯罪組織の殲滅に考えを巡らしているのが馬鹿馬鹿しくなってくるような陽気だ。最も、そんなことは真面目な部下の前では口が裂けても云えはしない。
古い友人である病院長の話では、この旧病棟はいずれ取り壊して駐車場にする計画があるということであまり人の気配がない。ジェイムズたちFBIにとっては動き易くて有りがたかった。どれだけひっそり行動しても日本で外国人が大勢動くと目立つものだからだ。
そんな役目を終えつつある静かな白い建物の裏庭に、いつの間にか二つの影が出来ていた。見慣れたニット帽を被った黒ずくめの長身の男と、今日は鮮やかな水色のフード付きプルオーバーに膝丈のズボン姿の幼い子ども。赤井とコナンだ。何処から拾ってきたのか、随分汚れたサッカーボールでコナンが見事な足さばきを披露している。二人でサッカーをしているのだろうか。

「──ですから我々は今後も彼女から目を外さずに……ジェイムズ?外がどうかしましたか?」
「ああ、すまん。ジョディ君、話は聞いてるよ」
ジェイムズの意識が外に向いていることに気づいたジョディが不審気な表情で窓辺に歩み寄る。
(──おっと、これはマズイかもしれないな…)
ジョディが最近赤井とコナンを二人きりにすることに眉を顰めていることはジェイムズも知っている。
案の定、裏庭に居る二人に気付いたジョディは一瞬驚いて眼を見開き、先に目に入った赤井に僅かに頬を綻ばせ、次に一緒に居るのがコナンだと知って顔を強張るという分かりやすい反応を示した。ジョディがコナンを嫌っているわけではない。寧ろ赤井への気持ちの種類は違えど、同じくらいコナンのことが好きなのだろうと思われる。
「青空の下、大人と子どもが仲良く戯れている。微笑ましい光景じゃないか」
「えぇ、そうですね…それは分かってます」
分かっていると云いながら窓硝子に置いた掌に血の気が引く程に力が入っている。割れはしないだろうが手が痛くないのだろうかと、いらぬ心配をしてしまう。

三階に居るジェイムズたちからは階下の二人の顔がなんとか判別出来る距離だ。若い頃の視力はないが、それでも二人が楽しそうな表情を浮かべているのは分かる。幼いコナンはともかく、あの──笑顔と云えば皮肉めいた嘲笑しか知らないのではと思われている赤井が──だ。
どんな会話をしているのか。生憎声は届かない。

「仲が良いのは大歓迎なんですけど、どうにも秀がコナン君に近付き過ぎな気がして…私の思い違いなら良いんですけどね」
ボールを追いかけ回す二人の様子を見て、諦めたように大きな溜め息を吐くジョディにジェイムズは微笑んだ。一途な彼女の想いは複雑な心境なのかもしれない。
彼女もまた最近の赤井の変化を全て厭がっているわけではないのだ。完全に閉じてしまった男の心が狭いながらも開きかけていることに気づいている。
「一体どんな魔法を使ったんだろうな。私が知る限り、赤井君は子ども好きでもなければ信頼出来る味方でも自分から近寄ることはなかったんだが」
「私が知っている秀もそんなところです。コナン君が非常に優秀な頭脳を持っていることも、とても愛くるしい容姿を持っていることもそうでしょうけど、きっとそれだけではないのでしょう。他に秀を惹き付ける魅力があの子にはあるのかもしれません」
ジョディの声が少し影を帯びているのは自分がそうなれなかったことへの寂しさだろうか。
「だがジョディ君、君もあの子に魅せられた一人だろう?赤井君の気持ちが分かるのではないかね?」
コナンをFBIに直接引き込んだのはジョディである。
「…えぇ、それは勿論。ですが私と秀のコナン君への惹かれた理由は似てるようで違いますし……いえ、やっぱり同じです。コナン君の才能を尊敬しているからです。じゃないと困ります!秀があんな小さな男の子に下心を持つ訳がないですし、ましてやコナン君に不埒な真似をする訳がありません!彼はFBI捜査官であって犯罪者じゃありませんから!…って人がフォローしてる傍から秀ったらあんなににやけた顔して──」
ジェイムズの問いかけにジョディが重く、複雑に葛藤していたその時、裏庭に居る赤井がこちらを指差した。それに釣られたコナンの視線も上を向く。何を見たのかコナンの顔が固まって凍り付き、体の動きも止まった。瞬間、一度も足元を離れることなく操っていたサッカーボールを赤井が横から蹴り飛ばした。何処を狙ったのかボールは高く高く舞い上がり、眼を見開いて驚く二人の居る三階の窓へと飛んできた。



────ガシャン。







昔の入院患者の子どもの物か、年季の入ったサッカーボールを見つけたのはコナンだ。お世辞にも奇麗とは云い難いボールを見た途端、直前まで赤井と交わしていた少々物騒な話題も忘れて眼を輝かせて転がし始めた。
赤井が知っているコナンの表情と云えば大人顔負けの理知的な眼差しを持つ探偵、あるいは少しあざといくらい可愛らしく行儀の良い子どものどちらかだった。しかしボールを前にしたコナンは年相応の自然な無邪気さを見せている。
「ほぉ、上手いものだな」
一度もボールを落とすことなく器用に蹴りあげる姿に感心して眺めていると、気をよくした子どもは赤井を見上げて生意気な笑みを浮かべた。

「ねぇ赤井さん、僕と勝負しようよ。僕からボールを奪えたら赤井さんの勝ち、奪えなかったら僕の勝ちってことでさ」
「勝負するのはいいが…ゲーム内容がボウヤに有利過ぎないか?非経験者にハンデはくれないのか?」
赤井に向かって強気な挑発をしてみせる子どもが珍しく、ニヤリと笑って乗ってやることにした。サッカー経験など殆どないが簡単に負けるのも面白くない。
「ハンデなんて大人と子どもなんだからいらないでしょ?…赤井さんだってポーカー教えてくれた時全然手加減してくれなかった癖に…」
そう云ってぷいっと顔を反らしたコナンに赤井は苦笑する。
以前、同僚たちにポーカーでカモにされたコナンに玄人相手のやり方を教えてやったことがあった。非常に飲み込みの良い生徒で教えがいがあったが、勝負では一度も負けてやらなかった。大人の矜持、ではなく男の見栄の為に。
ジョディが知ったら「子ども相手にカッコつけてどうするの!」と怒るだろう。
「──確かにそうだな。じゃあ俺も大人の本気を出してフェアに闘おう。そこで提案だが、本気を出すために何か賭けないか?」
「……赤井さん、僕をカモにした悪いFBIのおじさんたちとおんなじ顔してるよ」
「犯罪者になる気はないが善人になりたいと思ったことはないな」
悪い大人であることを暗に認めた赤井にコナンは呆れて小さく溜め息を吐き、再び強気の笑みを浮かべて頷いた。
「いいよ。だって絶対僕が勝つもん。万が一負けたら何でも云うこと聞いてあげる!」
「…それは是非勝たないとな」
頭が良くて運動神経にも自信がある子どもは大人相手にも負けた経験が少ないに違いない。赤井にはポーカーで負けている訳だが、『何でも』などと簡単に口にしてしまうところを見るとまだまだ甘い。
そんな可愛い子どもに悪い大人というものを教えてやろうか。
「ボウヤが勝ったらどうしてほしい?」
「えっと、じゃあアイスクリームでもご馳走してもらおうかな」
病院の看護師たちが近くに新しいアイスクリームショップが出来たと噂してるのを聴いたらしい。赤井に『何でも』と云ったわりに自分の望みが安い。そんなものでいいのかと笑った赤井にコナンは口を尖らせた。
「…トリプルで頼んでやる」
「ほぉ、そりゃ恐ろしい」

辣腕のFBIたちの中でも臆することなく立ち回れる度胸と賢さを持っている一方、酷く危うい幼さもあるというアンバランスな子ども。もっと傍で色んな顔を見て居たくなる誘惑にかられてしまう。
ジョディが赤井のコナンに対する構い方に不信を持っていることは知っているが、邪な下心など抱いてない。断じて、今のところは。
しかし先のことは断言出来なかった。赤井自身もコナンに惹かれる感情がどう成長するか分かりやしないのだから。







『赤井君、この病院は私の友人の善意で使用させてもらっているのだよ。破壊行為は感心しないね』
電話口から聞こえる呆れたような上司の声に赤井は苦笑した。
「破壊行為とは大袈裟な。ちゃんと加減はしましたよ。当てただけで硝子は割ってないでしょう?」
サッカーボールは軽く窓硝子に当たりはしたが、結果罅一つ入れてない。無論、赤井もこの旧病棟に殆ど入院患者が居ないと知った上での狼藉だった。
『そういう問題ではないんだが…。全く、君はいつからサッカーが趣味になったんだね?』
「趣味にした覚えはありませんよ。まぁ、サッカー好きのボウヤのお陰ですかね」
赤井にサッカーの経験など無いに等しい。だが、コナンの様に正確無比に蹴りあげることは出来なくても、一発蹴ることなら生まれ持った運動能力によって案外簡単に出来た。
「すみません、初心者なのでコントロールが効かなくて。こんなに難しいモノだとは思ってもみませんでした。今度ボウヤに教えを請わないといけませんね」
赤井はしれっと尤もらしい云い訳を並べる。ジェイムズがこのくらいで本気で怒る上司でないことは承知しているので謝罪も形ばかりだ。

『これがきっかけでサッカーに目覚めたなど云わないでくれよ。君がコナン君を抱えてさっさと逃げてしまったせいでジョディ君の怒りを宥め落ち着かせるのに苦労したんだ。…戻って来たら覚悟しておいた方がいいだろう』
「それは弱りましたね。だけど私の居ないところで私の悪口に花を咲かせていたのなら非はお互い様ということにしていただけませんか?」
『…読んだのかい?』
声が届く距離でもなく窓も閉まっていたのだから読唇術でも使ったのかとジェイムズは思ったようだが、いくらなんでも地面から三階の高さにいる人間の詳細な動きなど見えようがない。
「まさか。ただ彼女の鬼の様な形相と空気は此方にもはっきり判ったので、大方そんなとこだろうと。ジョディに感謝を伝えておいてくださいよ。『お前のお陰でボウヤとの勝負に勝てた』ってね」
『…勝負?また彼女が怒る材料を増やしていたのか。それで君は一体今何処に居るんだね。コナン君も一緒なのだろう?』
「内緒です。鬼が追い掛けて来たら困りますから。今大事な罰ゲームを実行中なんですよ」
『罰ゲーム?』
「えぇ、ボウヤにゲームで勝ったご褒美を貰う予定なんです。なので緊急以外は暫く呼び出さないでくださいよ」
『………それはつまりデート中ということかい?』
「罰ゲームです。ボウヤに聴こえたら怒られますよ…あぁ、睨まれてしまったので切ります」
上司への返答をそこそこに通話を切る。あまり長く話していると、あの人の良さそうな人柄の癖に抜け目のないジェイムズに居場所がバレてしまうからだ。

アイスクリームショップはオープンしたてということもあって賑わっていた。客の大半は女子中、高生である。店内のイートインだけではなくテラス席もあり、赤井とコナンはそちらに座っていた。突き刺さるような女性たちの視線を気にするような繊細さは生憎持ち合わせてない。
円いテーブルで向かい合う位置で座っている子どもに赤井はいつもの皮肉めいた笑みを浮かべて見せた。
「どうした、ボウヤ?早く食べないと溶けてしまうぞ」
紙カップの中にはバニラ、ストロベリー、コーヒーアイスに生クリームとフルーツ等がトッピングされている。
「…なんで負けた僕が奢ってもらってるの?それにコントロールをミスったって嘘でしょ!絶対わざとだ、赤井さんの嘘つき!ジョディ先生滅茶苦茶怒ってたよ!僕まで怒られるよ!!」
彼女が怒っていた理由は病院の敷地でサッカーをしていたからでも、ボールを窓に当てたからでもなかったがあえて訂正はしない。
ジョディの般若の形相がトラウマになっているらしいコナンの動きを止めるのは簡単だった。
ジェイムズに報告に行く予定も場所も赤井は知っていたからだ。天気に恵まれた今日は上司が窓際に近づくだろうことも経験上予想出来た。そこへコナンと仲良く姿を見せれば──以下、略。一つだけ云い訳するなら想像以上にコントロールが効いてしまったことだ。多少狙いはしたけれど、素人の自分だからもっと外れると思っていた。サッカーの才能があるのか、無いのか。恐らく後者だろう。

不意を付かれたとはいえ、絶対勝つ自信があったコナンが不満そうにじと目で赤井を睨んでいる。
罵られても、睨まれても可愛いとしか思えない自分はかなり犯罪者に近いのかもしれなかった。ジョディの心配もある意味当然か。悪口への意趣返しをする権利もなかったかもしれない。
「嘘じゃない。ビギナーズラックみたいなもんだ」
昔、男勝りな妹の遊び相手をしたことがあるだけで習ったことはない。
「ボウヤのアイスは俺へのご褒美の一部さ。本番はこれからだ」
「…一部って?」
小首を傾げてやや不安そうに訊ねるコナンに、悪い大人の顔を隠しもせずに口元を歪める。
「なに、難しいことじゃない。そのアイスクリームからどれか一つ分、ボウヤの手で俺に食べさせてくれればいい。スプーンを何回か移動させるだけだ」
「…………」
他のテーブルからも硝子越しに見える店内からも場所に不似合いな強面な男に降り注ぐ視線は多い。もちろん男に似ても似つかない愛らしい子どもも注目の的だ。
「…今度こそ通報されちゃうんじゃない?」
引き吊らせたコナンの頬を指で撫でてやり、顔を近づけて声を潜めて囁いた。
「周りに不審がられないくらい俺に可愛い笑顔を振り撒いてくれればいい。──得意だろう、ボウヤ?」

喜ばせたくて、時々困らせたくて、趣味が悪いと分かりつつ怒らせてみたくもなる。泣かせることだけは我慢するからこのくらいの意地悪は許してほしい。
誰にも心を開かなかった男を惹き付けてやまない子どもが悪いのだ。







うっかりサッカーボールを病院の窓にぶつけ、驚かせたお詫びにと持帰り用の箱に沢山のアイスクリームを差し入れられた。
捜査官たちは理由も知らずに、しかし赤井からの差し入れということで喜んで受け取っている。
「美味しそうじゃないか。食べないのかね、ジョディ君?」
「…いえ、何だか腑に落ちない気がして。やけに秀の機嫌が良いみたいだし、コナン君は私の顔を見て怯えた様子だったし…一体何故かしら?」
「まぁ、いいじゃないか。我々の仕事である事件じゃあるまいし、何でも謎を解く必要はないだろう。謎のままにしておけばいいさ。それより一緒に美味しいものを味わおうじゃないか」
濃厚な抹茶味のアイスクリームを一掬いしてジェイムズは微笑む。
この国には居ない古い同僚の顔を思い浮かべ、心の中で語りかけた。

──彼はきっと小さな希望を見つけたのだ。それが固く閉じた扉の鍵になったと思うのだが、君はどう思うかね?
──これも年寄りのくだらない妄想だと笑うだろうか。




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