■ ワイルドストロベリー

ワイルドストロベリー



ジェイムズの知り合いの病院長の協力で用意してもらった病室は、病棟の中でも奥まったところにある。日本で外国人が沢山彷徨けば、どうしたって目立つ。その為、利用者の少ない旧エレベーターが近い病室を選んだ。其所では未だ意識が戻らない水無怜奈が眠っている。
病室を一歩出ると明かりが落ちて薄暗かった。既に一般の見舞いに訪れていい時間は終わり、廊下は静寂に包まれている。しかし近くの空室では数人のFBIが常に監視しているだろう。

一服しようと、病室から離れた位置にある休憩所に向かった赤井はその光景に眉をしかめた。
廊下の角を曲がった先、そこには簡易の休憩所がある。古びた長椅子と自動販売機。昨今消えつつある貴重な病院内の喫煙所。赤井は特に重宝していた。その場所を目前にした角の壁に大きな図体がいくつも張り付いている。
(何をやっているんだこいつらは…)
大柄な身体を縮こませ、息を潜めて通路の角から除き混む外国人の集団。怪しすぎる。人目がないからといって油断しすぎではないか。

一体何を除き見しているのやら。無言で近づいた赤井に仲間の一人が気づいてぎょっとするが声は出さない。それを冷めた視線で受け流し、男の集団を追い抜いた。
(…おや、あれは)
自動販売機の明かりの足元に小さな影が動いている。FBIの中でも既にお馴染み、毛利探偵事務所の居候で探偵より探偵らしい不可思議な子ども、江戸川コナン。
(あぁ、なるほど)
赤井の腰にも届かない身長のコナンが目一杯背伸びしてボタンを押そうとしている。どうやら上段の商品が欲しいらしいが、無情にも指が届かない。
数秒後、背伸びに疲れたコナンは肩を落として息を吐く。諦めたのだろうか。
(…こいつらはどうして手助けせずに見てるいるんだ?)
同僚たちを振り向いて睨むと、彼らは慌てて眼を反らしたり気まずそうに苦笑いして誤魔化しだす。FBIには優秀であると同時に癖のある人間が多いが、こんな大人げないことをするだろうか。呆れた思いで赤井はコナンに向き直す。
(早く助けてしまおう)
そう思って踏み出した足が一歩で止まった。
コナンは諦めてなかったらしい。今度は自動販売機の足元でひょこひょこ飛び跳ねている。ボタンぎりぎりまで指が届いて落ちる。あと少しがもどかしくて堪らない。
しかしその姿が何ともいえず──可愛らしい。
「………」
赤井は再び背後を振り返った。
ごつかったり鋭かったり個性豊かな男たちの顔がすっかり蕩けている。表情筋は何処へやったのかと疑問になるほど、へにゃりと崩れ落ち、変質者と紙一重の様子だ。これは日頃殺伐とした事件ばかり追っている弊害だろうか。

仲間たちは放置することにして赤井は大股で子どもに近づいた。目的に意識が集中しているらしく、普段は高い警戒心が背後に回っていない。
(危なっかしい子どもだな)
「──おわっ!」
後ろからコナンの脇下に両手を入れて持ち上げると、驚いた身体が一瞬緊張して凍りつき、しかし直ぐに力が抜けていった。
「あ、赤井さん?どうしたの?」
大きな蒼い瞳を瞬かせるコナンに、にやりと人の悪い笑みを浮かべてやる。
「一服しに来たら先着が困っているのを見つけてな。どれが欲しいんだ、ボウヤ?オレンジジュース?ブドウ?あぁ、ミルクもあるぞ」
「ミルクなんていらないから!」
「子どもの成長には一番必要なんじゃないのか?」
「赤井さん!…手伝ってくれる気があるならこのまま端に近づけてよ」
剥れたコナンの表情に苦笑し、抱き上げたまま希望の位置に近づく。小さな手が迷うことなく押したボタンは冷たい缶珈琲。随分渋い好みだ。
子どもが腕から下りようとするのを無視して代わりに赤井が商品を取り出した。
「こんなもの飲んだら夜眠れなくなるぞ」
「そんなに子どもじゃないよ。赤井さんもいつも珈琲飲んでるんでしょ?」
確かにそうだが、大人と子どもの身体は違う。信じがたいほどの頭脳と知識を持っている癖に、こんな時は年相応に子どもじみた反応で微笑ましい。
「あ、この前ご馳走してもらったから今日は僕が奢るよ。何がいいかな、やっぱりミルク?」
口元に指を当て、悪戯気な笑みで小首を傾げるコナンに今度は赤井が眼を瞬かせる。
(…わざとやっているんだろうが、半分は無自覚なんだろうな)
以前同僚の女性と、冗談混じりでコナンの男転がしの才能を認め合ったことがあるが、やはり天性のものらしい。意識的にやっているのと、天然でやっている部分が合わさって無駄に危うい。
こんな子どもがいてよく変質者に眼をつけられないなと、日本の治安に改めて感心したところで壁に隠れている連中を思い出す。
(…あいつらは日本の治安を悪化させに来たのか)
まあ、可愛さに癒しを求めてるだけなら大丈夫だろう。

「…ボウヤ、子どもがあんまり大人をからかうもんじゃない」
鼻がくっつきそうな位置に寄せ、不機嫌な声を作って睨む。世の中、コナンの想像より悪い男が多いんだと教えてやる為に。
「FBIだからって、ボウヤが信じてくれてるほど良い人間とは限らない。俺も含めてな。痛い目みてからじゃ遅いんだぞ」
「えと…、僕そんなつもりじゃなくて。赤井さんにこの前のお礼がしたかっただけだから、その…」
からかってごめんなさい。ぼそっと小さな声で告げたコナンに「良い子だ」と誉めてやる。
賢すぎる子どもといえど人生経験値はまだまだ足りない。百戦錬磨の赤井を手玉に取るには早すぎる。
「缶ジュース一本くらい、子どもが気にしなくていい。礼がしたいなら後二十年成長してからにしてくれ。君ならFBIで歓迎するぞ」
「二十年って…!そんなの遅すぎるよ」
子どもにとっては長すぎる時間。
「あっという間さ」
「赤井さんは気が長いんだね。僕には無理だよ…」
納得がいかないコナンが眉を寄せて考えこむ。お金を出さずにもっと短期間で礼をする方法を探しているのだろう。いらないと云っているのに。
そして数十秒。突如子どもが手を叩いた。良い方法を思い付いたと顔が物語っている。
「昔父さんにやって喜んでもらったことがある。赤井さんは喜ぶか分かんないけど…」
「昔?」
コナンの昔とは赤ん坊の頃だろうか。
「あ、えと、ちょっと前の昔のことだよ!」
ちょっと前の昔とはどんな日本語だ。だがコナンにとっては一年前も昔で間違いないのかもしれない。
子どもの頃の感覚を思い出そうと赤井が苦心していると、小さな手がこちらに向かって手招きした。
「なんだ、ボウヤ──」

ちゅっ、と音をたてて離れる。

多分、これまでの人生で一番間抜けな顔をしていたに違いない。
無言のまま子どもの顔を見れば、僅かに頬を紅くして恥ずかしそうに俯く。
「…父さんは喜んだんだけど、やっぱり駄目だった?」
「……いや、駄目ではないが」
駄目なはずがない。
しかしこれは。──別の意味で駄目だろう。
散々男をたぶらかすなと云っているのに、全く通じてなかったらしい。
(諦めろ、ジョディ)
コナンを心配していた同僚に心の中で呼び掛け、赤井は軽い身体を抱え直した。
「これじゃあジュースだと安すぎるだろ」
「え?」
子どもが何かを云う前にまろい頬に口を寄せる。
「これでも足りないくらいだが我慢してくれ」
小さな音をたてて離れるとコナンは耳まで真っ赤になって赤井を微笑ましい気持ちにさせた。


「赤井さん、アウトォっっ!!!」
突然響いた低い声に驚いたコナンと一緒に振り返る。壁越しに男どもが泣きそうな顔で赤井を指差していた。
「……仕事しろよ、お前たち」



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