■ HAPPY?

十月三十一日の朝、いつも通り蘭の作った食事を頂き終わったところでチャイムが鳴った。
「こんな朝早くに依頼人?」
「俺はまだメシの最中だ!蘭、適当に云って出直してもらえ」
コナンが首を傾げ、小五郎は味噌汁の椀を持ちながら娘に云い放った。しかし蘭は心当たりがあったようで慌てて席を立つ。
「もしかして園子姉ちゃん?」
蘭の親友である園子と約束でもしてたのなら納得だ。そう思って蘭を見上げたが、彼女は悪戯気に笑って首を横に振る。
「残念、違うわよ。私じゃなくてコナン君のお客様。朝とは聞いていたんだけど、こんなに早いとは思ってなくて…急いで出てくれる?」
「僕に?」
蘭の態度を気にしつつも、怪しい人間ではないのは確かなので素直に玄関に向かう。

「とりっくおあとりーとぉ!!」
扉を開けた途端、掛け声とともに子どもたちが飛び込んで来た。
何事かと驚いたコナンの視界に入ってきたのは、仮装衣装を身につけた少年探偵団の面々。
「……え?」
ぽかんと口を開いて呆然としていると、魔女の衣装を着た哀がクールな笑みでコナンに歩み寄ってきた。
「あら、あなたお菓子持ってないようね。だったら悪戯を受けてもらおうかしら?」
「はぁ?なに云って…!」
「蘭お姉さん、お願いしまーす!」
コナンが哀に云い返している間に他の三人が後ろに居た蘭に一斉に声をかける。お願いしますってなんだと振り返った先に満面の笑みを浮かべた蘭を見つけ、コナンは悟った。
(──はめやがったな、コイツら。蘭もグルだなんて!)
「任せて皆!ちゃんとコナン君を可愛く悪戯してみせるから」



HAPPY?



いつから準備をしていたのか。鏡に写った自分の姿に固まってしまう。
オレンジ色のふわふわした生地のつなぎにはフードの部分に顔があり、三角の耳がついている。首もとには蒼い硝子玉のついたチョーカー。膝たけのズボンの下には、寒いからという理由で厚い生地の黒いタイツを穿いている。足元は服と同じオレンジと白のもこもこブーツ。そして、ちらちらと鏡に写る二本のしっぽ。
「…………ジ○ニャン?」
「あったりー!可愛いでしょ!」
両手を広げた蘭が自らのプロデュースに満足なのか、文句も云わせぬ笑顔で褒め称えた。最早文句を云う気力も残ってないが。
コナンの衣装は今絶大の人気を誇る妖怪アニメの猫キャラだった。既製品とは思えぬ手触りの良い生地だ。
「実は園子と園子のお母さんにちょっと協力してもらったの。相談してる間に盛り上がっちゃって…」
「園子姉ちゃんたちまで!?」
それは良い品で当たり前だ。日本を代表する財閥のお嬢様までグルとは。
「コナン君、前に着ぐるみパジャマ着てくれなかったでしょ?哀ちゃんにお話もらった時、チャンスだと思って張りきっちゃったの」
「………」
まさかあの時逃げまくったことが今になって降りかかってくるとは。悪い事などしてないはずなのに、コナンの頭に流れた言葉は──因果応報、天網恢恢疎ニシテ漏ラサズ──だった。

事務所から聴こえる賑やかな声に小さくため息を吐いて中に入る。
「コナン君かわいいーっ!」
歩美の叫び声を筆頭に、子どもたちが駆け寄って騒ぎ出す。
「中々似合ってるじゃない。そうやってると年相応よ」
そういう自分は何処か大人っぽい魔女の哀。
「物凄いクオリティですね、コナン君!」
光彦はタキシード姿の吸血鬼。
「これ明日学校中に自慢出来るぜ」
有難くないことを云ってくれた元太は狼男。肉食の狼の両手にはドーナツが握りしめられている。
「…歩美ちゃんは何の仮装なの?」
水色の艶のあるワンピースドレスに首を傾げて訊ねる。
「やぁね、コナン君!皆で映画観に行ったじゃない!」
頬を膨らまして拗ねた歩美の様子に、夏休みに観に行ったアメリカアニメを思い出した。日本中が同じメロディで埋め尽くされたあれだ。
「…ゴメン、あのお姫様だね。凄く似合ってて可愛いよ!」
それはハロウィンじゃなくてただのコスプレでは?とは猫のゲームキャラの格好をしているコナンには云えない。幸い、コナンの可愛い発言に機嫌を直し、歩美はくるりと回ってドレスをはためかせてみせた。

事務所の応接テーブルにはドーナツやキャンディが乗っていた。
「おじさんも知ってたの?」
「んなわけねーだろ。蘭がさっき出してったんだよ。一体いつから日本で朝っぱらからコスプレパーティーなんてするようになったんだ?」
頭を抱えて煙草を吹かす小五郎に、内心同じ気持ちだと苦笑した。コナン、否、新一が子どもの頃は名前は知っていてもこんなにメジャーな行事ではなかった。雑貨屋にグッズが並ぶくらいだ。
「あ、忘れてた!おじさん顔こっち向けて!」
歩美の声に振り向いた小五郎の顔にピンクのマジックペンが走る。まだ剃られてなかった無精髭の顔にピンクの髭が六本増えた。
「なんだこりゃーっ!」
「だってお菓子用意してくれたのは蘭お姉さんでしょ?おじさんはなにもくれなかったからイタズラね」
無邪気な笑顔で歩美が告げる。まがりなりにも有名探偵に落書きするとは、子どもとはげに恐ろしき生き物なり。
ひきつった声で哀に訊ねる。
「…あれは水性ペンか?」
「家にあった油性ペンよ」
返ってきた答えは無情だ。

怒った小五郎に(当たり前だ)追い出された子どもたちは、探偵事務所のビルの前で反省のない会話をしていた。
「ドーナツまだあったのに!」
「大丈夫だよ元太君、今日は一杯お菓子貰えるんだから」
「そうですよ。計画的に行かないとお腹壊しますよ」
なんとも図太い子どもたちだ。
「…まさか一日中この格好で歩き回るんじゃねぇだろうな?」
「そのまさかよ。蘭さんが張りきって根回ししてくれたから皆用意してくれてるでしょうね。博士の家はゴールだから最後よ」
コナンは標識に項垂れかかる。平成のホームズと呼ばれた男が妖怪にゃんこ姿で街中を歩くことになるとは…。

「まぁ、カワイイ!皆素敵な衣装ね!」
「凄い出来ですね。最近のハロウィンはこんなものなんですか?」
カラン、と鳴った鐘の音の後に二人の人間が出てきた。喫茶ポアロのアルバイトの男女だ。
「梓お姉さん!安室お兄さん!とりっくおあとりーと!?」
真っ先に歩美が走り出す。後ろに元太、光彦、哀。その陰に隠れるようにコナン。いつもの堂々としたリーダー振りは何処かへ行ってしまった。
「悪戯は困るわねぇ。代わりにお姉さん特製フィナンシェで勘弁してね」
「僕からは金平糖です。沢山貰うでしょうから、日保ちするものも良いでしょう?」
一つずつラッピングされた洋菓子と、小さな硝子瓶に詰められた色とりどりの金平糖に子どもたちは歓声を上げた。
順番に渡され、最後に残ったコナンに安室が屈んで微笑んだ。
「今日は普段と随分ギャップがあるね」
「蘭姉ちゃんが…。あんまり見ないでほしいんだけど」
羞恥で顔を反らすコナンに安室が声を上げて笑う。こんな格好をバーボンである安室に見られるなんて。フードを被った頭を下げて隠れるコナンの両脇に、安室の長い腕が伸びてきた。
「わわっ!あ、安室さん?」
「下を向いたらせっかくの可愛い格好が台無しだよ。ほら、顔をよく見せてごらん」
「な、なに…」
腕に抱え上げられ、顔を除きこまれた。鼻と鼻がくっつきそうな距離に思わず頬を紅く染めてしまう。
「本当に可愛いにゃんこだ。悪い大人に誘拐されないか心配だな」
「安室さん!」
にこやかに云っている男の正体が悪い大人のはずなのに。冗談にもならないことを話した安室は「ごめん、ごめん」と苦笑して、そっとコナンの耳元に小声で囁いた。
「からかったお詫びに特別な贈り物をしよう」
「──え?」
耳元から流れるように動いた安室の顔が頬にくっついて離れて行った。一瞬の出来事。
「ハッピーハロウィン、コナン君」
何事もなかったような顔で安室が云った。
「コナンくーん!次行っちゃうよー!」
歩美たちが少し離れた場所からコナンを呼ぶ。その声に安室がコナンを下ろし、バイバイと手を振った。
「……ハッピーハロウィン、安室さん。またね」
なんとか出てきた言葉を置いてコナンは走り出す。
(──やっぱり悪い大人じゃないか)
外が寒くて良かった。多少顔が紅くても変じゃない。




蘭の根回しは完璧だった。
蘭の母、妃弁護士には高級チョコレート。警視庁の前で高木刑事と佐藤刑事からスナック菓子。歩いている最中に呼び止められたパトカーの中から由実さんに貰ったおつまみ(明らかに自分用に買ったと思われる)も子どもたちには立派な成果。それぞれの家にも立ち寄って荷物はあっという間に膨らんでいった。
通りすがる人たちから声をかけてもらうことも楽しいらしい。
夕方になってやっと博士の家に向かう頃にはお腹を空かせてフラフラだった。歩き食いは行儀が悪いと云って、哀がお菓子は帰るまで禁止したからだ。お昼に公園でおにぎりを食べたきり。

「とりっくおあとりーとぉっ!」
ゴールの博士の家に皆で叫んで入っていく。丸一日コスプレをしていたお陰で、コナンも最早羞恥心などない。
「お帰り、みんな。凄い成果じゃのう。わしからはお菓子じゃなくてごちそうじゃ。哀君の作ったパンプキンパイもあるぞ!」
子どもたちの為に飾り付けられた部屋は壮観だった。黒とオレンジの飾りにジャック・オ・ランタン。テーブルの上には博士の云った通りご馳走が並んでいる。オードブルやサンドイッチ、チキンにスープ。
「これ、全部博士と灰原がやったのか?」
内緒にされていたコナンは云ってくれれば手伝ったのに、と博士に呟く。
「新一君はきっと仮装を厭がるだろうと哀君が云ったんじゃ。無理矢理巻き込むしかないとな」
図星な理由にコナンは返す言葉がない。
「それにな。実は昴君が手伝ってくれたから、そこまで大変だったわけじゃないんじゃ」
出てきた名前にコナンは眼を瞬かせた。そういえば隣は予定コースになかった。根回ししたのは蘭だから、知ってはいるが親しいとはいえない昴は数に入れなかったのだろう。
子どもたちは既にテーブルで食事に手を伸ばしている。
「…昴さんは呼ばないの?」
「誘ったんじゃが、楽しい祭りの準備に参加できただけで満足だと云ってな」
「…ふぅん」
コナンは頷いてテーブルについている子どもたちを見た。
「なぁ、お前ら。まだ全部のお菓子を貰ってねえぞ」「し、新一君?」
驚く博士にコナンは笑ってみせる。ハロウィンに相応しく悪戯気に満ちた顔で。
「パーティーは大人数の方が楽しいに決まってるだろ?」







博士を含めた全員で隣家を突撃すると、珍しく驚きの表情を隠さない昴が拝めた。
「お菓子をくれなきゃ悪戯するぞー!」
狼男の元太が昴の周りを走り回る。
「脅しじゃありませんよ!なんたって僕ら、あの毛利名探偵の顔に落書きした実績がありますから」
「顔に描いたのは私だよぉ!」
「しかも油性マジックでね」
光彦と歩美が自慢気に今日の活躍を語る。マジックを持ち出した犯人はまるで他人事のような顔だ。
「昴さん、お菓子くれないの?」
服にしがみついて見上げたコナンに、驚いていた昴はようやくいつもの穏やかな笑みを浮かべた。フードの耳を面白そうに触っている。
「こんな可愛いモンスターたちに襲われるとはね。油性マジックで攻撃するのは許してくれないか?大したものはないがお菓子はちゃんとあるから」
そう云って大広間に皆を案内する。
台所に一度引っ込み、沢山の菓子が乗った皿を運んで来た昴に子どもらが群がる。一つ一つは小さいが、どれも味が確かなことをコナンは知っていた。あれは本来、コナンの為だけに昴が用意しているものだから。しかし、そのコナンがそのお菓子目当てに皆を案内してきたわけだから、昴が出してくれないわけがない。
案の定、見たこともない繊細な細工の菓子に眼を煌めかせ、子どもたちは喜んだ。
「コナン君、早くしないとみんな元太君に取られちゃいますよ」
「いいよ、光彦。俺は今日皆に貰ったので十分。お前らで喧嘩せずに分けろよ」
光彦にそう云ってソファーに座る昴の隣に腰を降ろした。
「有難う、昴さん。今日の為に沢山手伝ってくれたんだって聞いたよ」
「楽しい遊びに参加させていただいただけです。でも、やはり博士の家にお邪魔したままでいるべきでしたね。皆さんの素晴らしい仮装を見逃すところでした」
小さな声で「特に愛くるしいにゃんこの衣装をね」と囁く昴に、コナンは自分の格好を思い出す。二股のオレンジ幽霊にゃんこ。朝に鏡で見た姿を。
「──っぎゃあぁぁっ!!!」
顔から火が出そうな恥ずかしさ。誰に見られても、彼に見られるのが一番恥ずかしい。
「どうしたの、コナン君?」
「大丈夫ですよ。ちょっとご自分の可愛い衣装を思い出しただけです」
振り返った子どもたちに昴が答える。
「やっぱり可愛いでしょ!今日一番人気だったんだよコナン君。街中の子どもたちに手を振られてたんだもん」
「今人気のキャラですからね。蘭お姉さんの見立ては流石です!」
「俺も妖怪にすればよかったぜ」
愚痴る元太に、博士が「狼男は西洋の立派な妖怪じゃ」と宥める。
「まあ、一番人気は確かね。オマケも貰ってたみたいだし」
「え、そうなんですか?」
哀の話に光彦が食いつく。
「私も知ってるよー!コナン君、安室お兄さんにほっぺにちゅーされてたの見ちゃった!」
「あ、歩美ちゃん!?」
照れた表情で、突如落とされた爆弾にコナンが固まるのと、子どもらの悲鳴が上がったのは同時だった。もう一人、隣の男の空気が一瞬凄まじく冷たくなったのも。
「──それは、是非詳しく聞きたいですね。このまま皆さんのディナーにご一緒してもいいですか?」
身体を縮こませ、切れ目の入った猫耳を心持ち垂れ下げたコナンの肩を抱き、昴が歩美に訊ねる。どんな恐ろしい笑みを浮かべているのか、コナンは想像するだけで身体が震えた。
そんなことを知らない少女は無邪気に返事をする。

「もちろんだよ!沢山の方が楽しいもんね!」
毛利小五郎に落書きをした強者は、どこまでも強者だった。

「…オマケしてもらってたお菓子のことを云ったつもりだったんだけど、そんなことしてたんなら自業自得よね」
「俺は悪くないんだってば!!」
懸命の叫びも、隣で肩を離してくれない男には通用しない。
「ハロウィンは夜のパーティーですから。ゆっくりお話ししましょうか、コナン君?」


──助けて安室さん!悪い大人に襲われそうなんです!
などと、一瞬でも思ってしまったことは墓場までの秘密だ。






第3回BLove小説・漫画コンテスト結果発表!
テーマ「人外ファンタジー」
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