■ パンプキンパイに紅茶を添えて

子どもの最近のお気に入りは、巨大な書斎の隅の一角らしい。本を陽射しから守るため、最低限の灯り取り用窓が設置されている場所だ。そこに分厚い本を数冊、薄いブランケットを一枚運び込んでは本の虫となっている。

いくら陽射しがあるとはいえ、季節は秋。深いワインレッドの絨毯は上質だが柔らかさにかける。子どもは気にもせずに床に座り込み、本に飽きるとそのまま寝てしまうので、男は目が離せず困っていた。
固い床に横になると小さな身体を痛めてしまうし、天井が高くて暖房が効きづらいこの部屋では体温を奪われてしまうだろう。

いくら注意しても、子どもはへらりと笑ってごめんなさいと謝るばかりで直す気はないようだ。
今日も解決策が浮かばず、悩む男はそれを顔馴染みの少女に溢した。



パンプキンパイに紅茶を添えて



「相談内容に突っ込みを入れる前に聞くけど、何故私なのかしら?」
香り立つ紅茶は茶葉から入れられたもので、ティーポットと同じ花模様が描かれたカップを温めている。昴の手元にあるのはシンプルなカップだからこれは客用のものだと考えられるが。その風景に何かが引っ掛かった。
「私が悩んでいるところに丁度君が訪ねてくれたので」
「そう。私はパンプキンパイを作って、博士と二人じゃ食べきれないからってタイミング良くお隣にお裾分けに来てしまった間抜けってことね」
冷めた眼を向けても、昴は邪気を感じさせない穏やかな笑みを浮かべたままだ。
「美味しそうなお裾分けを頂けて光栄です」
「……なら良かったわ」
神経の図太い昴におざなりの返答をして視線をリビングテーブル落とす。テーブルの上には哀に出された紅茶のカップ、哀の持参したパンプキンパイ、他にも精妙な細工のチョコレートやカラフルなパラフィンで包まれたキャンディが乗った小皿。そして昴の青いカップ。
手に持っていたときは見えなかったが良く見ると中身が違う。色の濃さから珈琲だろうか。
「どうかしましたか?」
「いえ、別に大したことじゃないけど…貴方の飲み物は珈琲なのね」
「ええ、そうですよ。君も珈琲の方が好きだったかな?こちらはインスタントしかないので、茶葉があった紅茶を選んだのですが…」
滅多に来ない客人には良いモノを用意してくれたというわけか。
「紅茶も好きだから有り難く頂くわ」
確かに味も香りも申し分ない。──だがしかし。先程から小さな違和感を感じていたのは昴の珈琲ではないと思った。哀が引っ掛かっているのは別の何かだ。
紅茶を飲みつつ考えてみるが分からない。

「それで、江戸川君が床で寝ないよう私にアイディアでも出して欲しいのかしら」
「何か良い方法が思い付きますか?」
そんなもの、その場で起こしてしまえと云ってやりたいが、この男は良しとしないだろう。優しい人間だからではなく、男がコナンの『ライナスの毛布』だからだ。人目のない家の中ではそれが更に顕著に出ている。
「…床の絨毯をマットレスにでも代えたら?いつ寝ても大丈夫よ」
「それは良いアイディアですが、ちょっと…。私はこの家に居候している身ですから、大掛かりに代えることは出来ません。家主の方は随分趣味が上品な人のようですしね」
昴の云う通り、工藤邸は重厚な調度品で纏められており、変な安物を持ち込むと浮いてしまいそうだ。この男がコナンに安物を与えるとも思えないが。
安物といえば、と最近のコナンの様子を思い出す。
「そういえば、江戸川君のコートは貴方が買ったそうね」
先日、冬を前に一段と冷えた日があり、哀も慌ててコートを用意したのだ。
教室で会ったコナンは初めてみる薄いキャメル色のコートを身につけていた。原色やパステルカラーで溢れる一年の教室では地味に見えたが、目の肥えた哀にはそれが上等のモノだと分かった。素直に誉めた感想を口にした哀に、コナンは複雑な表情を浮かべて昴に貰ったと話したのだ。
「ああ、もう着てくれたのですか。私はまだ見ることが出来てませんから、冬が楽しみですね」
あっさり認めた昴は、似合ってたでしょう?と呑気に聞いてきた。皆が云う、胡散臭い穏やかな笑顔も今は本心からの笑みだと哀には分かった。

「本当は上から下まで揃えたかったのですが、コナン君に保護者の方から怒られてしまうと云われて諦めたんです。まぁ、あからさまにならないよう、もっと考える必要がありますね」
「…貴方高級趣味だったの?そうは見えなかったけど」
男が身につけているものは安物ではないが、特別高いわけでもないだろう。哀に男モノの判断は難しいけれど、それくらいは見分けられる。
「どちらかというと実用主義ですね。必要なら安くても高くても構いません。…でも、私も最近知ったのですが、大事なものには金を惜しまない性質(たち)だったようです」
車の維持費も馬鹿みたいにかかりますけど愛があるので惜しくないですよ、だなんて話を反らしても先に云った言葉は消えない。
注意深いこの男だから、確信犯の発言だろうけど。
「…あんまりやり過ぎると彼に嫌われるわよ。江戸川君はそういうものに興味ないでしょう」
「えぇ、分かってます。だけどあの子は育ちが良いから、上質なものにも抵抗感はないみたいですよ。実用性があれば気にならないんでしょう」
昴の言葉に哀は眉を潜めた。確かに、コナンはその辺り大雑把かもしれない。
誰でも自分の経験が基本価値観だ。コナンは自分がごく普通の金銭感覚だと思っているようだが、それは周囲に裕福な人間が多いからだろう。普段身につけている服は子ども時代のものだと云っていたけれど、十年後の今もしっかりして質が良い。それを当たり前としていたのなら、大したモノじゃないと云って現物を渡してしまえば簡単に受け取ってしまうかもしれない。
世界的小説家と元大女優の息子の価値観など哀には予想出来ない。
「育ちが良いのも考えものね…」
「価値のあるものを持つに相応しい人間はそうすべきということです」
昴にはコナンにそれだけの価値があるというだけなのだろう。態々茶葉から紅茶を入れてくれたことに、もしかしたら男なりの哀への敬意かもしれないと気づく。たとえコナンへの愛情のおこぼれだとしても、悪くはない。

「貢ぐのは彼にバレない程度にしなさいよ。まぁ、江戸川君は貴方相手だと急に鈍くなるから大丈夫でしょうけど。…あぁ、貴方なら起こさずにベッドに運ぶことも出来るんじゃないの?」
ついでとばかりに相談の案を出した哀に、昴は片方の口角を上げて眼を細めてみせた。無言のままに。
「…貴方、最初から相談なんかするつもりなかったのね」
男がコナンを固い床に寝かせたまま、指を加えて見てるわけがなかった。見つけた瞬間ベッドに運ぶくらいしているだろう。
「すみません。我慢出来なくて、つい」
可笑しそうに口元を手で覆う男を睨む。
「良い大人がからかう相手を探してたっていうの?」
「違いますよ、そうではありません。…あまりに幸せだったのでやってみたくなったんです。その、ノロケというやつを…」
「………」
無言の時間が数十秒流れた。
「…紅茶をぶっかけないのは優しさじゃなくて私がまともな金銭感覚だからよ。茶葉に罪はないものね」
「有難うございます。お店であの子がとても美味しそうに飲んでたので買ってみたんです。紅茶の入れ方も勉強したんですよ」
ポットに触れて話す男の声は優しい響をしていた。
哀は最初の違和感を思い出す。そしてそれが正しかったことを知る。前にもこの家で紅茶を出してもらったことがあったのだ。注視していたわけではないがティーバッグを使っていた記憶が微かにある。
「…本当におこぼれだったわけね」
「おこぼれ?そんなものありませんよ。私が紅茶を入れるのは、彼と君にだけです。多分、この先も」
昴の眼鏡越しの視線に何かの情を感じ取れた。理由は分からないが、この男はコナンに対してのものとは違う情を哀に持っている。
腹立たしいことにそれが厭ではないのだ。

「一応、光栄だと云ってあげるわ」
哀の素直じゃない言葉に、昴が笑みを崩すことはなかった。







目を覚ますと、すっかり見慣れた客室の風景が見えた。頭を横に向ければベッドに腰かけた男の姿が目にはいる。
「お目覚めのようですね。もう夕方ですよ、お腹が空いたんじゃありません?」
「…僕、もしかして午後中寝てたってこと?」
夕方だということが信じがたくて項垂れる。せっかくの休日を寝て過ごしてしまったのだ。
「気持ち良さそうに眠っていたので起こしませんでした」
「…嘘、昴さんいつも起こしてくれないよ」
書斎や居間でうたた寝しても、目覚める時はベッドの中。起こしてくれと頼んでも、用がない限り寝かされたままにされる。
「君の身体が睡眠を必要しているのを邪魔出来ませんよ」
昴はコナンに覆い被さるようにベッドに上がり、寝乱れた前髪に触れた。男の触れ方は、優しいのに強い意思を感じる。
「邪魔じゃないのに。…僕はもっと昴さんとお話したいのに」
あなたはそうではないのか。眼で問いかけると、可笑しそうな小さな笑い声が聞こえた。
「お話する時間はこれからいくらでもありますよ。君が望んでくれるならいくらでもね」
「…じゃあ今夜話して」
「良いですね。美味しいパンプキンパイを頂いたんです。食後のデザートに一緒食べながらお話しましょうか」
パンプキンパイと聞いて、そういえばハロウィーンをやりたがっている子どもたちの為に、灰原が作ったことがないから練習すると云っていたことを思い出す。その試作品だろう。
「…毒味役か」
ぼそりと呟いた声は昴に届かなかったようだ。首を傾げる昴に笑って誤魔化しながら、望みは本心で伝える。

「僕、パイと一緒に美味しい紅茶が飲みたいな」
男は静かに微笑んで、子ども額に口づけを落とした。


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