■ ライナスの毛布

ライナスの毛布



沖矢昴が工藤邸に居候して暫くすると、屋敷に小さな客人が訪れるようになった。
必ず昴が在宅している時にやって来て、大きな書庫で本の虫になったり、昴の料理の手伝いをしたり(皿を出すのも立派な手伝いだ)と微笑ましい姿を見せてくれる。神出鬼没な子どもは、まるで屋敷に住み着いている小人か妖精のようだ。

昴が初めて入った時、広い屋敷の中の時間は止まってた。家具も雑用品も、生活に必要なものは全て揃っており、うっすら埃を被っている場所もあったが基本的には掃除がされている。それなのに住人の個人情報に繋がるものは一つも残されておらず、異質な空気が流れていた。
しかし昴自身、存在が異質である。目的の為にここにいるので居心地など気にはしてなかったが、その空気を子どもがあっさり変えた。最初からそこに存在していたかのように屋敷の一部として馴染んでいる。
その謎も、子どもの正体に見当がついた時に同時に消えた。昴に命を預けるくらい重い協力関係を持ちかけながら、彼は最後の壁を打ち破ってはくれなかったようだ。気丈に見せながらも、それが彼の不安の大きさを露にしていて、昴は追及をしようとは思えなかった。ただ、生まれ育った家で過ごすことが癒しになるのだろう、と彼を迎え入れ、一時の休憩を邪魔しないよう心掛けている。


「私がいない時でも自由に来てくれていいんですよ」
ここは君の家なのだから、とは云わず、ここは君の親類の家なのだから遠慮はいらない。そう云った昴にコナンは小さく笑って首を横に振った。
「ここは新一兄ちゃんのお家だから。それに今は昴さんの家でしょう?」
江戸川コナンという人間を彼は崩さない。昴もつい最近まで気づかなかったほどに、実際まだ子どもなはずの彼の演技力には感嘆するしかない。
「昴さんがいるから、僕は自由に本を読みに来れるんだよ」
「そうですか。お役に立てて私も光栄です」
住人がいることで堂々と出入り出来るようになったということか。無邪気な笑顔で悪戯気に話すコナンに昴は笑みを深くした。

放っておくと何時間でも本を読み耽るコナンに一息させようと、お茶をいれに立って僅か数分。戻って来た昴が見たのはソファーに横になった子どもの姿だった。
寝てしまったのかと一歩近づいたところで床に無造作に落ちた本に気付く。慌ててコナンに目をやると、不自然に大きく呼吸している身体と明らかに血色の悪い顔を曝していて、昴は眉をしかめる。
汗を浮かべる額に掌を当てると燃えるように熱かった。


「風邪ね」
聴診器をはずしながら、幼い見た目にそぐわない冷静さで、少女はそう一言告げた。
コナンの高熱に気付いた昴はまず医者に連れていくことを考えたのだが、予告無く倒れた彼に普通の病気ではない可能性を思い付き、まずは組織で科学者をしていたらしい彼女に診せることにした。はっきりしたことは知らないが、彼らの身体の秘密は彼女が深く関係していることを昴は勘づいていたからだ。最も彼女にもちゃんと正体を追及していないので、表向きは阿笠博士に解熱剤を貰いに行くふりで誤魔化したが。
案の定、昴の話を聞いた哀は血相を変え、博士を置き去りにして工藤邸にやって来た。
「本当にただの風邪なんですか?さっきまで普通にお喋りしていたんですが」
「さっきまでどうしてようと風邪は風邪よ。彼、健康ではあるけど風邪を引きやすいのよ。いつも一番に菌やウイルスを持ってくるんだから」
ため息をついて救急箱を探る哀に、漸く昴も息をつく。
「それは知りませんでした。元気なコナン君を見慣れていたので。…コナン君が一番にということは君もよく風邪を引くのですか?」
激しい身体の変化による影響かと探りを入れる昴に哀は大きく顔を振った。

「私はそんな虚弱じゃないわ。…彼が無茶をし過ぎなのよ。身体に見合わない激しすぎる運動も、四六時中考えすぎな頭もね。限度ってものを知らないんだから」
確かに哀の云う通りだ。犯罪者を捕まえる為に、あるいは誰かを守る為にコナンは道具の力を借りながらも信じられない行動を起こす。普通、大人でも無茶な動きだ。 頭に至っては常に激しく働かせていることだろう。大人たちを掌で操るあざといほどの子どもらしさも、彼に負担をかけているに違いない。

「…江戸川君は何しにここへ?」
「何って、特には。本を読んだり、お茶を飲んで他愛ないお喋りをしたり。コナン君は時々遊びに来てくれるんですよ。親戚のお家ということもあって、私がいてもこの家は落ち着くみたいです」
枕に沈む小さな頭を眺めながら、昴の使っている客室ではなく、彼の部屋のベッドの方が安心させたかもしれないと少し後悔する。
ソファーから急いで移動させた時には直ぐに使用出来るベッドはここしか思い付かなかったのだ。最初に屋敷を探って以来、住人の個室には足を踏み入れていないので掃除が行き届いていないせいで。
「貴方が来るまで江戸川君はこの家には滅多に来なかったわ。隣の博士の家にはしょっちゅう来るのに」
「今まではご近所の方に空き家だと思われてましたからね。コナン君も本が読みたくても入りにくかったんでしょう」
「……そうかしら?」
哀が疑問に思うのは何故なのか。他にコナンがここに来る理由が昴には分からない。

薬を置いていくから目が覚めたら飲ませてと云い、部屋を出る彼女を追う。玄関に向かいながら御礼と博士にも心配させて申し訳ないと言付けを頼んだ。
玄関までの道のり、居間に差し掛かった時に彼女の足が不意に立ち止まった。
「忘れ物でもありましたか?」
「………」
哀が見ているのは先ほどまでコナンが座っていたソファーの辺りだ。クッションの前に積み上げられた本。コナンがたまにうたた寝するので昴が用意している薄いブランケット。既に冷めきった珈琲と茶菓子。
「ここに客人はよく来るのかしら?」
「いいえ。この家のお客さんはコナン君だけです。私は家主の好意でいさせてもらっている居候ですから、基本的に人は招きません」
自分の立場もあるが、ここは彼から留守を預かっている家である。この場所を守ることも昴の大切な役目だ。
「…居心地が良すぎたのかしらね」
「え?」
「江戸川君よ。この居間、まるで彼が休む為にあるみたいだわ。本も毛布も珈琲も、…貴方、お菓子なんて自分の為に用意しないんじゃないの?」
哀の云う通り、珈琲の茶請けに用意したクッキーはコナンの為のものだ。コナンが訪ねて来るようになってから、簡単に摘める菓子を切らさないよう努めている。ここにやって来るコナンは、外で会うときより疲れた様子だからだ。
「甘いものは疲れた頭にも身体にも良いですから。君も少し持っていきませんか?まだ沢山ありますから」
診療費、というわけではないが、哀も甘いものは好きだったはずだ。
「遠慮しとくわ。あれは江戸川君のものだもの。ライナスの毛布を取り上げるほど、私、非情じゃないのよ」
昴の顔を見上げ、哀は優しげに微笑した。
ライナスの毛布、──コナンの為のブランケット、でなないだろう。彼が安心出来るもの、つまりこの家のことかと考えだが、それでは哀の言葉と合わない。
「…お菓子がコナン君の『ライナスの毛布』?」
「…案外馬鹿ね、貴方。見ず知らずの他人の好意を良いことに、この豪邸に我が物顔で住んでいる不審人物のことよ」
呆れた顔で玄関に向き直った彼女は足早に歩き出す。
「待ってください。それは…」
「見送りは要らないわ。早く江戸川君の元に戻ってあげなさいな」
昴のことなど振り向かず、小さな科学者は扉を開く。

部屋に戻るとコナンは相変わらず眠ったままだった。僅かに荒い呼吸と額に浮かぶ汗に、起こして薬を飲ませた方が良いような気がするが、彼の眠りは深い。
この家に居るとき、何処でも寝てしまうコナンだが、本来この子どもの警戒心がとても高いことを昴は知っている。彼の立場は恐ろしく危ういものだからだ。正体を隠しながらも、果敢に敵に立ち向かう為の行動を長い間続けて来たのだろう。仮初めの人間である昴から見ても、それは狂気に近い。
この家は彼の心癒す大切な場所だと思っていた。しかしそれは違うと小さな科学者は云う。昴こそがコナンを安心させる『ライナスの毛布』なのだと。
「…安心し過ぎて気が抜けてうっかり熱を出してしまうくらいに?」
小さく呟かれた声がコナンに届くことはない。
眼鏡を外した顔は、こちらが不安になるくらい幼い。本当は高校二年生だと分かっていても、眠る彼を見ると比護欲にかられて、何でもしてやりたくなる。だからコナンが来る度にあれもこれもと用意して、居心地良く、彼の心身が安らぐようにと準備していた。思えばここまでやる必要はあっただろうか。一瞬、浮かんだ疑問を自分がしたくてしてるだけだと打ち消す。
「私が君の『ライナスの毛布』だというなら、君は私の何でしょうね?」

幼い姿だけを理由に出来るほど、昴は子ども好きでも優しい人間でもない。かつて愛した女性たちにも、ここまで何かを与えたい、してやりたいと思ったことはない。彼女たち以上に強く逞しい子どもに、守ってやりたいと思ってしまうのは何故なのか。
「…熱が下がったら食べれるよう、シチューでも作っておきますね」
深く深く眠る子どもにそっと呟き、昴は部屋を出る。

コナンが昴にとって何なのか、それは彼が風邪を治してから考えることにしよう。
今は彼が早く元気なれることだけを祈って。



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