■ ストロベリームーン

六月のある日、明日から週末という事で恋人からお泊まりのお誘いを頂いた。お泊まりといっても頬に口づけされて一緒のベッドで眠るだけの、非常に健全なお付き合いだ。身体が小学生だから、ではなく昴曰くコナンの恋愛速度に合わせているらしい。幼馴染みの蘭や、その親友の園子から探偵の癖に恋愛事に疎すぎると何度も指摘された事がある通り、どうやら自分の恋愛レベルは高くない。なので大人の昴に少し申し訳ないと思いながらも、ゆっくり進む関係に感謝していた。



昴とコナンがホームズ仲間だと知っている蘭に工藤邸に泊まる事を伝えると、あまり夜更かししちゃ駄目よと苦笑しながら手土産を持たされた。
「いつもお世話になってるから。お母さんに頂き物の苺を分けて貰ったの。まだ沢山あるからそれは昴さんと二人で食べてね」
「ありがとう、蘭姉ちゃん」
紙袋に入った苺は贈答用なのか形の整った美しい赤が行儀よく並んでいた。流石妃弁護士のお裾分けだ。これなら練乳などかけずにそのまま食べても美味しいに違いない。
意気揚々と探偵事務所を出ると外は朝からの雨がまだ続いていた。朝、迎えに行こうかと云われたが断った事を思い出し、本当に至れり尽くせりな恋人だなぁと感心する。世の中の恋人とはこんなモノなのなのだろうか。ここに灰原が居たら「貴方の恋人が特別甘いだけだから、それを基準にしないで!」と胡乱な視線で忠告してくれただけだろうが、残念ながら彼女は居ない。

「そこの男、待てぇーっ!」
「逃げても無駄ですよーっ!」
道の向こうからよく知った女性の叫び声が届いてすぐ様辺りを見渡す。二十代と思われる茶髪の男が赤信号を無視して横断歩道を渡り、コナンの方向へ凄い勢いで走ってきた。咄嗟にしゃがんでキック力増強シューズのダイヤルを回そうとした手が空ぶる。
「やべっ!」
そういえばこの所雨が多く、濡れた靴が乾かないから長靴を穿かされていたのだ。茶髪の男はもう目の前に迫っていた。
「退け、クソガキっ!」
他に何か、と考える暇もなく、無意識に前に出したのは開いたままの傘だ。どんっ、と大きな衝撃と共にコナンは後ろに転げた。
「やっと捕まえたわよ!よくも雨の中猛ダッシュさせてくれたわねぇ!!」
「由美さん、締まってますよ!大丈夫、ボウヤ?怪我しなかった?」
打った尻を払いながら何とか立ち上がり、大丈夫だと答える。
「コナン君じゃない!?」
「うん、由美さんと苗子さんも雨の中大変だね。その人、何やったの?スピード違犯?」
案の定顔見知りの交通課の婦警たちだったので、気軽に訊ねた。しかしスピード違犯で走って逃げるだろうか。男は由美に力強く締められて、逃げる気力が尽きたようだ。濡れた地面に座り込んでいる。
「それがね、コンビニ前で駐禁切ってたらこいつが戻って来て、私達の姿見るなりコンビニ袋も投げ出して逃げたのよ」
「駐禁で?」
いくら何でも駐禁で逃げる人は滅多にないはずだ。駐禁を切られた時点で罰金請求は自宅に届くし、逃げられない。
「応援呼んだ方がよさそうだね、他に身に覚えがあるから逃げたんじゃない?」
コナンの言葉に男は益々身体を縮こまらせていた。
その後慌ただしく動いた婦警たちを横目にコナンは途方に暮れていた。まだ小雨とはいえ降っているのに傘は半分近く骨が折れている。これではさせない。それ以上にショックだったのが苺の被害だ。ぶつけたのか踏んでしまったのか、美しかった苺は数粒を残してぐしゃりと崩れていた。
「ごめん、コナン君!やっと応援が来てあの男連行したから、コナン君本当に怪我なかった?」
「うん、僕はね…」
傘がクッションになって身代わりとなってくれたお陰だ。走って来た苗子が傘と苺を見て小さく悲鳴を上げた。さっきは男に集中していたので、彼女もこの被害に気づいていなかったのだろう。
「大変っ、お家の人に連絡…って毛利探偵よね?兎に角濡れない場所へ…」
大丈夫だから、とコナンが口にする前に先に云った人間がいた。
「コナン君の事なら私が責任を持って連れて帰ります。婦警さんは仕事に戻っていいですよ」
「えっ、昴さん!」
「遅いのでやっぱり迎えに来てしまいました」
「…あの、ごめんなさい昴さん」
「お話は家に帰ってからじっくりしましょうか、コナン君」
「…はい」
にっこり笑った笑顔が少し怖い。
迎えを断った上でこのざまだったので、頷く声が弱々しい。昴はそんな子どもに自分のジャケットを頭から被せてさっさと片腕に抱き上げ、もう片方の手で壊れた傘と苺の紙袋を抱えた。
「コナン君に怪我はないようなので、傘と苺の弁償は後日毛利探偵事務所にお願いします。毛利探偵は今日仕事でいらっしゃらないと聞いてますので」
「あ、…はい。では後で毛利探偵に…」
「バイバイ苗子さん。由美さんとお仕事頑張ってね」







夕飯を食べながら今日の話を昴に話した。傘を持っている時に足元の武器がないのは無用心過ぎる、長靴も阿笠博士に改造してもらうか自分を呼べと、ちょっと無理な事をあの穏やかな笑みで云われてしまった。赤井に怒られた事がないのでそちらは判らないが、これが昴の怒り方らしい。小五郎の拳骨一発の方が何倍もマシだ。あまり怒られないように防衛も考えよう、とこの時密かに誓った。

「さて、雨が上がったようです。時間も丁度いい。食後のお茶を兼ねてバルコニーでお月見でもしませんか?」
「お月見って…確かに今夜満月だけど、今九月じゃなくて六月だよ」
外国育ちの男が日本の季節行事について勘違いをしていても変ではないが、昴にしては珍しい。
「いいえ、間違ってません。今夜はネイティヴ・アメリカンのお月見です。コナン君がお風呂に入っている間に準備しておいたので、こちらへどうぞ」
聞いた事がないお月見に首を傾げながらも手を引かれて中庭に面した工藤邸で一番大きいバルコニーへ出た。
両親が住んでいた頃は母がよく庭を眺めながらお茶会をしていた。今は繊細な彫刻も大分汚れていたはずだが、記憶にあるより綺麗に磨かれていた。白い台座には葉っぱ一枚落ちていない。小さなテーブルに白いクロスが掛かっている。その上に紅茶の茶器とパウンドケーキの皿があった。
「…すごい、何これ!昴さんすごい!」
「主役は月ですよ。観てごらん」
見上げた先にあったのは夜空に大きく真っ赤に輝く満月だった。
「うわっ」
「ストロベリームーンですよ。ネイティヴアメリカンたちの苺の収穫時期と重なる赤い満月をそう呼んだと云われてます。ここまで赤いのは珍しい。幸運ですね」
初耳の名前だ。夏至の今、北半球では月の高度が最も低く、光が大気を通る影響で赤い光線が地表に届いて見えるのだ。原理としては夕陽と同じだ。それは知っているが、迷信としてはどちらかというと不吉なイメージがある。
「幸運なの?」
不審げに訊ねるコナンに昴が苦笑する。
「ボウヤはやっぱりボウヤだな。知識が広い割に偏っている。特に恋愛事に弱い」
顔も声も昴なのに言葉は赤井だ。
「それは…知ってるけど…」
最早耳タコな指摘だ。自覚もある。
ムッとしたコナンをクスクス笑う男が抱き上げて耳元で囁いた。
「ストロベリームーンは別名恋を叶える月と呼ばれていて、好きな人と一緒に観ると永遠に結ばれるそうだ」
「……………いいの、それ?永遠だよ?」
黒の組織を殲滅した後の未来の話などしたことがなかった。薄々正体に気づかれているとはいえ、まだ告げる勇気もない。そんな子ども相手に簡単に未来を約束して良いのかと訊きたかった。
「なんだ、知らなかったのか。ボウヤが望んでくれなくても、俺はもう手放す気はないんだが」
「…うわぁ」
嬉しさ以上に恥ずかしさが勝って素直に伝えられないコナンは男の首に抱きつく事が精一杯だった。何せまだ恋愛レベル1の人間なのだ。
「なるほど、それがボウヤの返事か。赦しを得たという事だな」
しがみ付いていたコナンを引き剥がした男が唇を掠めるように触れ、ぽかんとした子どものまん丸い眼に破顔した男の表情が映っていた。
この日コナンの恋愛レベルが一つ上がった。

ストロベリームーンの下でのお茶会で振舞われたのは潰れた苺を使った香り高いストロベリーティーと、パウンドケーキの苺ソースかけ。本当に出来た恋人だと、後に灰原に惚気て何故か三日間も無視される事になる。


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