■ コランダム

世界的なマジシャンだった父を死に追いつめた宝石、パンドラ。生憎、未だにそのありかに辿り着くことは出来ていない。
父と同じ怪盗になって盗み出した宝石は既に両の手を超える数になる。自分で云うのもなんだが、かなり様になってきたと思ったりして。そんな頃、キッドはパンドラとは別に惹かれる宝石を見つけてしまったのだ。

ちいさな、ちいさな、しかし強烈に輝く蒼い宝石を。


コランダム



パトカーのサイレンから遠ざかり、静かさに包まれたビルの屋上。ビジネス街ということもあって、この時間帯は暗い。月明かりだけが僅かな光源だ。
フェンスに身を預けて数分。予想より早くに聴こえてきた小さな足音に、思わず笑みが溢れる。
「随時お早いお着きで。それほどに私に会いたいと思ってくださったようで光栄ですよ、名探偵」
「バーロッ!こんなエレベーターのない古いビル選びやがって、何がお早いだ!」
扉を開けて激しく息を吐いている子どもが怒鳴る。階段をかけ上がって苦しいのに態々酸素を無駄遣いするとは。求められているようで小気味が良い。
「今回は名探偵だけに追い掛けてもらいたかったのでね。色々ルートを考えるのに苦労しましたよ」
「てめぇ…、やっぱりわざとだったんだんだな!」
怪盗キッドが予告状を出せば、キッドキラーと呼ばれる子どもが居るのは最早当たり前のこと。殺人事件から爆弾犯まで相手に忙しい子どもが、この時だけは全力で追い掛けて来てくれるのだから心も踊らずにはいられない。
「…一体どういうつもりだ?今更俺の力を試して見たかったとか云うなよ」
「そりゃあ、まぁ。名探偵の実力を信じてるんでね。追っかけてくれるのは大前提で、要は落ち着いて話がしたかったのさ」
口調を崩したキッドに子ども、もとい江戸川コナンの身体の力が抜ける。ここで云いあっても無駄と悟ったのだろう。切り替えの早さは見事だ。

「それで、何の用だよ。とうとう自首する気にでもなったのか?」
息を整えたコナンが「だったら協力は惜しまないぜ」などと可愛くないことを云うので、額を指でつついてやった。力を抜いていた小さな頭が面白いよに仰け反る。
「そーんなわけないでしょ。おチビさんはいつになったら俺を諦めてくれんのかね?」
「いってぇな!俺が諦めるわけねぇだろう!」
額を庇いながら睨み付けてくるコナンに合わせ、腰を降ろす。細い指の隙間から少しだけ赤くなった額を撫でてやると、ムッとした顔をしながらも敵意を収めてくれた。
これがキッドに対するコナンの信頼度を表していて、全くもって可愛いらしい。
「ところで名探偵、最近ちと浮気しすぎじゃねぇの?」
「…はぁ?」
「俺というものがありながら、あちこちで可愛い顔を見せてるようじゃないか」
「はぁぁっ!?」
コナンの眼を大きく見開く様に、こぼれ落ちそうだなぁと思いながら続ける。
「女子高生探偵だの、FBI連中だの、毛利探偵の弟子だの…さらには東大院生?何処まで天然たらしをかましてんだよ」
「ちょっとまて!……あの、キッドさん?話が見えないんだけど…」
顔を引きつらせるコナンの、今度は頬を突っつく。
「だぁかぁらぁ。…あの東大の院生を名乗る男は何であの家に住んでんのっていうのは百万歩譲って聞かない。名探偵なりの事情があるだろうことくらい察しがつく」
その代わり、とコナンの顔にくっつきそうなくらい近づき低い声で呟いた。
「───あの大学院生といつの間にキスする仲になってんの?」
口にしながら硬直する身体を腕の中に閉じ込める。

「──なんで知って……!」
声を荒げたあとに慌てて口を閉じてももう遅い。
「こっちは天下の怪盗だぜ?隠そうとするものを見つけるのが仕事だからな。あ、探偵も同じだったな」
鍛え上げられたポーカーフェイスでなるべく淡々と喋っているつもりだが、ついつい腕に籠る力が強くなる。
だってこんなの、あんまりだろう。
「自分は男だの、子どもだのって散々俺を袖にしてきたくせに、後から来たあいつには簡単に許しちゃうわけ?」
「や、それは…色々あって…」
普段は大人も眼を剥く頭の切れぶりなのに、顔を赤や青に目まぐるしく変えて口ごもるコナンに大きなため息を吐きたくなる。全く、可愛くて、可愛くない子ども。
「あの男が好きなわけ?」
「…好きか嫌いかって聞かれたら、確かに好きだけど。…でもだからって付き合ってるわけでも……僕、子どもだもん」
なんとまぁ、はっきりしない物云いか。しかも名探偵が子どもを理由に逃げるとは。
「分かった」
「…ほんとか?」
「あぁ。名探偵の中身はともかく、実際子どもの身体だし、男なんだから本能的な拒否感は仕方ないと思ってたんだ」
何度告白しても拒否される。男で子どもだからと。しかし、コナンは一度も犯罪者だからとか、キッドを嫌いだとかは云ったことがないのだ。
「だけど、どうやらそうじゃないみたいだからさ。もう遠慮しないことにするよ」
にっこり笑ってやってコナンを持ち上げる。
「キッド…?あのな、落ち着いて…」
「落ち着いてますよ、可愛くて可愛くない名探偵。貴方のその可憐な唇が純潔でないことに少し腹を立てているだけで。しかしこれも私の努力の至らなかったということで我慢します」
「純潔…我慢…って、おいキッド!」
狼狽えるコナンの姿に騙されてはいけない。彼は一流の俳優だ。
いや、違う。コナンに本気を見せるには紳士な態度だけではいけなかったということだ。知らない間にかっ浚われてしまった。それが悔しい。
「これからは一歩も引きませんから、そのつもりで」
混乱したまま、大きく瞬きするコナンの唇に自分のそれを重ねた。
その瞬間───。

細い銃撃音とともにシルクハットが宙に舞い上がる。
「………!!」
「うおっと!」
コナンは腕から飛び降り、キッドは屋上のフェンスにぶつかる。落ちてきたハットを受け取ろうと腕を伸ばしたところで更に銃撃音。結局、シルクハットは地面に落下した。
「…大学院生という割りに随分物騒じゃねぇの、名探偵?」
「ば、馬鹿っ!早く逃げろよ!死にたいのか!」
床にしゃがんで眼鏡を覗きこんでいたコナンがキッドのマントを掴む。顔色から察するに、この銃撃者はお遊びで人を撃つ人間ではないのだろう。見渡しても人影すら見えない闇の中、明らかな殺意を感じる。
「…仕留めなかったのは自分の方に分があると思ってのことかよ。余裕ありすぎてムカつくなぁ」
「キッド!」
コナンが銃撃方向に背を向けて怒鳴るので、流石に少し負けたと思った。ただし、勝負はまだついていない。コナンは誰かの手をとったとは云っていないのだから。
やれやれと肩をすくめ、建物の反対方向に歩き出す。背後から小さく聞こえて来た、ほっと息を吐いた音に立ち止まって振り返る。
「今夜はこれでお別れですが名探偵、先ほど告げたことはどうぞお忘れなく」
手を振って一礼し、ついでに今夜の獲物を投げ渡す。空へ飛び立ったキッドの耳にコナンの「投げるなぁ!」という元気な声が届いた。







キッドの白い影を見送り、コナンはこれから起こるべく事態に青ざめた。さっさと逃げた方が良いことは分かっているが、何処へ逃げたら良いのか分からない。あの男がここに居ること自体予想外なのだ。
無言のまま数分もの間突っ立っていた。

「おや、逃げずにいたことは感心ですね」
「……昴さん」
振り返ると長身の男が立っていた。何事もなかったかのように柔らかな笑みを浮かべている。
「何も撃たなくたって…」
「何故です?害虫は早めに退治しておかないと、後で何倍にも増えたりしたら面倒です」
「…キッドをゴキだと思ってんの?」
「さぁ、それより面倒そうですが」
天下の怪盗を害虫呼ばわりした男は軽々とコナンを抱き上げた。キッドに抱えられた時より視界が高いのに恐怖は感じない。

「私のことは一応好きでいてくれてるんですね」
「聞いてたの!?…盗聴?」
とても声が聞こえる距離ではなかったはずなのに。
「それも良いですが。今回はスコープ越しの読唇術です」
「読唇術…」
唇を読んだと呆気なく話す昴にコナンは返す言葉もなかった。全て聞かれていたということは、逃げようがないということだ。
「好きじゃなかったら、あんなことさせないよ」
「それは良かった。君に触れるには嫌われていては駄目というわけですね。ある程度ライバルが絞れます」
「………」
顔や言葉は穏やかなのに、空気は恐ろしく重い。
「こんなに可愛らしい顔で何人たぶらかしたんですか?」
「いや、たぶらかしてないから…」
そんな覚えはない。覚えはないが、何人かの人間に口説かれてはいる。何故か男ばかりに。コナンのせいではないし、全て断っている。
「君がそう云うなら、そういうことにしておきましょう。私が適当に退治すれば良いだけのことですから」
退治。それは何かの比喩だと信じたいところだが、先ほど目の辺りにした光景を思うとそうもいかない。
「あんまり物騒な方法だと、僕、困るんだけど」
「困りますか。じゃあ、早く私を選んで下さい。少しは手段を考えるかもしれません」
殆ど意味のないようなことを云って、昴がコナンの顎に手を当てた。手入れの行き届いた親指が唇をそっとなぞる。
「…僕、誰かを選ぶのは」
「出来ないとおっしゃるのでしょう。誰か一人を決めてしまったら他の手を借りにくくなりますもんね。あらゆる手を必要としている君には選ぶことは出来ない」
そう。目的の為に手段を選ばないのはコナンも昴と同じ。
「待ちますよ、その時まで。だけど私以外を選ぶことは許可出来ません。それから───」

指が触れていた部分を、ゆっくり熱い舌がなぞっていった。

「まだ私のものではないとはいえ、他の人間に触れさすことも許しません。君に触れるのも、君を磨くのも私だけですよ」
微笑む男にコナンは困ったように笑って頷いた。


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