■ ベイビィLOVE!

ビルの屋上からフェンスを弾く鋭い金属音に目を見開いた。

──一体、何が。

毛利探偵事務所を狙うジンたちの勘違いから目を逸らさせるため、サッカーボールを蹴り飛ばしたがそれで完璧だとは思っていなかった。しかし、今自分に出来る事はたったこれしかなく、後は普段信じてもいない神に祈る様な想いでいたコナンの耳に届いたそれは、間違いなく救いの弾丸だった。



ベイビィLOVE!



水無玲奈の声でテレビ局への通話を終え、安堵の息を吐いたところで呼ばれ、コナンは顔を上げた。ちゃんと紹介した事はなかったわね、とジョディがジェイムズと共に連れて来たのは何度か会った事のある男だった。
全身黒尽くめの長身の男。暗く、鋭い眼差しばかり印象に残っていたが、明るい陽射しの元で見れば端整な顔立ちだと判る。バスジャックの現場で、雪の降る電話ボックスで。何度となく警戒していた相手がFBIだという事は既にベルモットとの対決で判明はしていたのだが、あの時コナンは直接会うことはなかった。

「ごめんなさいね、紹介するのが遅くなって。FBIで一番の狙撃手ではあるんだけど、付き合いの悪い男なのよ」
「まぁまぁ、ジョディ君。今回も彼のお陰で助かったんだから良いじゃないか」
本当はもっと早く紹介したかったと云うジョディをジェイムズが取り成しているのを横目に、コナンを無言で見下ろす男の威圧感が凄まじい。凶悪犯相手に何度も対峙した時さえ感じた事がない畏怖が肌に伝わってくる。しかし敵ではないのだ。ジェイムズの言葉を察するにこの男がジンの凶弾から小五郎を助け、ひいてはコナンを救ってくれた人物なのだろう。
赤井秀一、と男は名乗った。

「…あの狙撃は貴方だったの?」
FBIの誰かだという事は判っていたが、あの場は小五郎への誤魔化しや博士への連絡で詳しく聞く暇がなかったのだ。
「あぁ、そうだ」
ジンたちを狙える場所に居たという事は誰よりも早く、コナンよりも早く正確に読みきっていたという事になる。──そしてあの距離の狙撃。
組織との対決はいつだってぎりぎりで、この小さな身体では限界があると理解はしていた。それでも自分が戦わなくてはいけないのだ。なのにあの時、コナンの限界を簡単に越えた。残酷なまでに呆気なく。
「そう、ありがとう。…凄く助けられたよ」
高い位置からの鋭い視線に何とか眼を逸らすことなく礼を伝える。赤井は無表情のままその言葉を受け止めていた。
「えと…」
緩む事がない視線の厳しさに口籠って俯いてしまったコナンを黒い影が覆い被さった。何だろうと顔を上げた所で頬に違和感が走る。

──むにっ。

「………え?」
「ちょっと秀!?コナン君になにやってんのよ!」
ジョディの驚愕した怒声で自分の右頬が摘ままれているのだと気づく。
「何って、罰だ。無茶をやらかした子どもに罰は当然だろう」
男の淡々とした言葉を聞いて、そうかこれは罰なのかと漸く理解した。両親からは長時間の説教と大好きな推理小説の没収が子どもの頃の定番だった。小五郎ならもっと判りやすく拳骨が一発お見舞いされる。
しかし基本出来が良く、愛らしい顔で大人受けする振舞いが身に付いている新一は他所の大人に怒られることはあまりなかった。コナンになってからは大人の眼を誤魔化す方法を知っているので更になくなった。
それにしても、赤井は罰だと云った割に摘ままれた頬は大して痛くない。
「ボウヤはとんでもなく頭は良いが危なっかし過ぎる。今回俺が話を聞いて先読み出来たから間に合ったものの、後少しで大切な人間だけでなく、ボウヤ自身も命の危険があったんだ。少しは自重した方がいい」
「ご、ごめんなさい…これからはもっと気をつけます」
危ない橋を渡った自覚があったコナンは自分の力の無さを思い起こし、素直に反省の弁を述べた。
しかし、右頬からまだ赤井の手が離れない。
「あの……」
「いい加減にしなさい、秀!クールキッドに応援を頼んだのは私たちなのよ!」
「ジョディ君の云う通りだ、赤井君。FBIに協力してくれと頼んだのはボスの私だ。彼を責めないでくれ」
ジョディとジェイムズが相次いでフォローしてくれたが、赤井は益々眉間に皺を寄せるだけだった。
「それは判ってますよ。FBIだけでは奴等を追跡しきれなかったでしょう。このボウヤの頭脳を拝借出来なかったら今回の水無玲奈の確保もなかったでしょうから」
「判ってるならクールキッドから早く手を離しなさいよ…!」
「それとこれは別だ、ジョディ。このボウヤは可愛らしくごめんなさいとは云ったが、その実ちっとも反省してないぞ」
赤井の言葉にコナンは眼を見開いて驚く。
「あ、赤井さん…?僕、ちゃんと反省してるよ?」
「嘘をつけ。俺がいつからボウヤを見て来たと思っているんだ。ボウヤは周りに頼らなすぎる。今回の事だって偶然ジョディに会わなければ一人で突っ走ったに決まっている。組織に気づいた時点で何故知り合いのこいつに連絡しない。そこを反省してないだろう」
赤井が灰原を見張っていたのは知っていたが、我が身まで赤井が注意を払っていたとは思っていなかった。赤井の言葉は図星ではあるが、コナンにはコナンの事情がある。それを彼等に明かす訳にはいかず、どうしようかと焦る。
「…あの、本当にもうしないから」
「ほぉ」
上目遣いに悄気た顔を作って謝っても赤井今までの大人たちのように騙されてはくれない。上辺の弁だと完全に見抜かれている。
「次は直ぐに連絡するから…」
たぶん、きっと。
そんな心の声が聴こえているらしい男はうっすら唇に笑みを浮かべながら左手だけではなく右手もコナンの頬に添え、ぎゅっと力を込めた。
「──い、いひゃい!」
「秀!止めなさい!!」
「あ、赤井君!」
両頬に力を込めてつねられて思わず涙が滲む。しかしぎゅっと眼を瞑って何とか零れ落ちるのを堪えた。幼い子どもではないのだからこのくらいで醜態を晒すわけにはいかない。

「ふむ。これでも泣かないか」
「ぼ、僕を泣かそうとしてたの!?なんで!」
漸く男の手から解放され、ヒリヒリ痛む頬を両手で押さえながら叫んだ。
この男は一体何がしたいのか。赤井の行動が仲間にも意味不明なのか、ジョディもジェイムズも最早呆気に取られた表情を曝している。
「…組織の一員を捕まえた大活躍の割に落ち込んでいるようだからな。何が理由かは知らんが、泣いたら少しは楽になるだろう。子どものうちに自己に溜め込むばかりじゃ無理が来るぞ」
全く頑固な子どもだ、と溜め息を吐いた赤井は手の掛かる幼子に困ったような、呆れたような顔だった。
「赤井さん…」
落ち込んでいるつもりはなかった。ただ、自分の力不足を思い知らされて下を向きがちにはなっていたかもしれない。それだけだ。
それだけなのに何故か頬をつねられた時より強く涙が込み上げてきて、厭なのにまた俯いてしまった。
「だがまぁ、お手柄だった。FBIに、と云わず今すぐ俺の相棒に欲しいくらいの名探偵だ」
いつの間にか地面に方膝を着いた赤井がコナンの目許を軽く拭った。
「よくやったな、ボウヤ」
鋭い眼差しに似合わない、優しい声だった。

「………っ!」



 *



気がつくとコナンはあの場から走って逃げていた。背後からジョディとジェイムズのコナンを喚ぶ声が聴こえていたがそれどころではなかった。
「…なんだあれ」
病院の建物の影まで走り込んで、荒れた息のまま呟く。
なんなのか、あの男は。
コナン以上の知力や頭の回転の速さも、驚く程の狙撃の腕も凄いと思ったけれど。
「…なにあれ」
紙の上の人物を絶対だと信じてきたコナンだ。現実では少しおまけして父親だけは勝てないと認めていたが。
そんなコナンの前に突如現れた男は凶悪犯みたいな鋭い眼光で、だけど最後に見た表情は優しかった。
「なんだよあの人。かっこよすぎる…」
つねられた頬を押さえた時のように両頬を手を当てて吐き出す。
頬が熱いのはつねられたからでも走ったからでもない。初めてシャーロック・ホームズに出逢った幼い日の衝撃を、赤井秀一に邂逅した事で再び感じてしまった。
つまりホームズと同じぐらいあの男を好きになるんだろうと予想出来てしまう自分の未来に、コナンはまだ心が受け入れられなかった。ジョディたちに挨拶もしてこなかった事を思い出すと後ろめたいが、今日のところは帰らせてもらおう。
コナンは深呼吸すると、顔を上げてゆっくり歩き出した。





コナンが逃げ出した後。
残された赤井は怒り心頭のジョディだけではなく、普段怒る事のない上司にまで子どもを泣かしたと長い長い説教を受けていた。

「…ボウヤが泣いたのはほんの少しじゃないか」
「なんですってぇ!!」

反省の色が足りないと云われ、赤井はこの日FBIに入って初めて始末書ではなく反省文を書かされる事となった。


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