■ MTO

突然の呼び出しはいつもの事だが、場所が工藤邸ではなく酒場、それもバーなどではなく大衆酒場だったのにアンドレ・キャメルは驚きを隠せなかった。送られてきた添付地図と店の看板を何度も確認してから入店し、声が大きく爽やかな店員に席へ案内される。席は全て薄い壁と布(暖簾と云うモノらしいと後で知った)に区切られた半個室で、キャメルを呼びつけた人物は既に三本の煙草を消費していた。
「遅くなってすみません、あか…」
「早く座れ。でかい図体で通路に立ち止まるな。名前を呼ぶな」
会って早々三連打の注意に冷や汗を掻きながら慌てて中に入る。指摘された大きな身体が中々納まらず座るだけで一苦労だ。此処で事件が起きても即座に動けそうにない。キャメル程骨太ではなく、細身、とは云っても向かいの男もこの国では十分長身の筋肉質で体格が良い。それでも若干斜めに座り、長い足をぶつけることなく器用に納まっていた。そこへ先程の店員が小さな小鉢を運んで来た。
「え、まだ注文してないんですが…?」
「お通しです」
キャメルは首を捻ったが、同席の男が黙って頷いた事で店員は笑顔のまま立ち去ってしまう。
小鉢の中身は菜の花のお浸しだと云うがキャメルにはよく判らない。
「調理場の料理人が客が来たことを認識した、として出すものらしい。場所代だと思っている人間も多いらしいが」
「へぇ、詳しいですね」
「昔、身内に教えてもらったんだ」
成る程、とキャメルは納得する。男の家族について詳しく知らないが、本名の通り日本に親族がいて可笑しくはない。
まだまだ日本について知らない事が多いキャメルはその後もタッチパネルのメニューに悪戦苦闘し、男二人だから兎に角腹が膨れそうなものを写真映像を頼りに勘で注文をしまくり、漸く菜の花のお浸しに箸を付けた。
「あの、ところで…何と呼べば良いでしょうか?」
甘い茶髪に柔和な表情が似合う若い男の姿だが、声は機械のスイッチを切っているのか完全に赤井秀一の低音だった。キャメルが男と対面する時はこのアンバランスなスタイルが最近の定番だ。しかし沢山の人間が居る場で死んだ筈の赤井の名前を出すのは確かに拙い。
「呼ばなきゃ良い」
「はぁ…」
「お前の注文は肉ばかりだな。脳みそまで筋肉になりたいのか」
「すっ、すみません…それで今日は何の用件で…?」
タッチパネルの注文履歴を確認する男に頭を下げながら内心の疑問に首を傾げていた。
上司に指示を請けての情報交換は先日行ったばかりだ。キャメル達に新しい情報はない。赤井の方で何か動きがあったのかと緊張していたのだが、どうもそんな様子はない。周囲の賑やかを通り越して喧しい話し声から判る通り密談に向いている場所でもない。何故自分は今日呼ばれたのだろうか。
「あの、」
「お前、あれまだやってるのか?」
「……何の事ですか?」
「前にくだらない事をやっていたとか話してたじゃないか」
くだらないとは一体どれの事だろうか。筋トレ代わりにホテルの階段を上り下りしていた事か、気に入ったカレーを食べる為に連日ファミレスに通っていた事か。どちらも事件に巻き込まれて以来泣く泣く止めてしまったのだが。
「お前、妖精だの小人だのを捕まえる為にミルクを用意したとか云ってただろ」
新しく煙草に火を点けて煙を吐き出した赤井が行儀悪くテーブルに肘で寄りかかり、キャメルを指差した。まるで密談する悪党のようだから止め方が良いと口を開く前に営業スマイルの店員が料理を運んできた。今の話を聴かれていたとしたらまずい。密談ではないが大人の男としての沽券に関わる問題だ。
「こっ、子どもの頃の話ですよ!当たり前ですけど今はやってません!!」
何かの会話のついでにした話題だ。まさか蒸し返されるとは思ってもいなかったキャメルは必死に首を横に振った。
テーブル一杯に皿が並び、鍛えられた笑顔を崩さなかった店員に礼を述べて立ち去るのをきっちり見届ける。
「それで、一度でも捕まえたのか?」
「そんな訳ないでしょう!子どもの頃の他愛ない思い出ですよ」
「何だ、つまらん。役に立たん思い出話だな」
ばっさり切り捨てられ、キャメルは肩を落とした。

二年前、一瞬の邂逅が有って自らこの仕事に名乗り出たキャメルだったが、FBI随一のスナイパーだと有名だった赤井と仕事を共にするのは日本に来てからだ。その僅かな付き合いで赤井の恐ろしいまでの優秀さと射撃能力を知ることとなった。同時に随分ぞんざいな性格だという事も思い知らされた。
赤井は上司のジェイムズには一応口調に気を付けているようだが、他の同僚達やキャメル、昔懇意にしていたらしいジョディに対してもかなり口が悪い。態度も同じくらい宜しくない。それでも別にその事に不満は無かった。FBIは実力社会、結果が全てだ。赤井は周囲に不満を云わせないだけの能力を十分過ぎる程発揮している。
そう思っていたキャメルだったが最近衝撃を与えた人間がいる。赤井秀一をこの世から消し去り、組織を、公安を、そしてFBIまでも騙しきった幼き名探偵。来葉峠でのカーチェイス後、混乱したままのキャメルとジョディが説明を聞いた時の衝撃はまだ生々しく覚えている。愛らしい顔で申し訳なさそうに「騙してごめんね」と謝る子どもの頭をそっと撫で、「俺が承諾したんだ。ボウヤが謝る事じゃない」と宥める赤井の姿と演技ではない声の優しさと甘さに更に衝撃を受け、その後博士のクイズとやらの時は殆ど頭が回らないという情けない様を晒した。ジョディも同じような状態だったのは云うまでもない。彼女曰く、今までの赤井は子ども相手でもぞんざいな口調で、目付きの鋭さも相俟って泣かす事も珍しくなかったらしい。死んだと思っていた時間に本当に生まれ変わるような奇跡があったのかと思いもしたが、キャメル達への態度に変わりはない。心配をかけた謝罪も勿論なかった。
コナンに見せたあの優しさを欠片でもいいからこちらにも分けてくれないだろうか、などと考えていたら皿が一つ既に空になっていた。確かその皿には六種類の焼き鳥のセットが乗っていた筈だ。日本で覚えたお気に入りの料理だ。こりこりした軟骨が癖になる。しかし今は食べた記憶はない。
「あの、焼き鳥が消えてるんですけど」
「食った。ぼーっとしているお前が悪い」
「………」
先程人の注文にケチをつけたのはこの人ではなかっただろうか。コナンの傍に居る時とは別人のような振る舞いに少しだけ泣きたくなった。

「はぁ、仕事じゃないのは判りました。だけど突然私の妖精の思い出話をされても訳が判りませんよ」
豚の角煮の器を囲い混みながら赤井の話を探る。
「参考になりそうなら詳しく聞こうかと思っただけだ。今日は暇だしな」
あぁ、やはり暇潰しに指名されたのだと判って帰りたくなる。だがそんな無謀な勇気はキャメルにない。
「参考って、まさかコボルトを捕まえたいとか云いませんよね」
コボルトはドイツの小人姿の妖精だ。ドイツ系アメリカ人のキャメルは子どもの頃祖母のお伽噺を聞くのが大好きだった。欧州に妖精の伝説は数多あり、美しい歌声で人を殺す恐ろしい妖精も居れば可愛らしい小人まで幅広い。
キャメルが好きだったコボルトは家人が眠っている間に皿を洗ってくれたり、馬の世話をしてくれたりする優しい妖精だ。お礼にコップ一杯のミルクを求めると知った少年キャメルは、わざと汚れた皿を残し、ミルクを準備して一晩中どきどき待ったりしたものだった。何とも微笑ましい記憶である。
「想像を絶する光景だな」
「今の姿で想像しないで下さい。これでも昔は人並みに可愛い子どもでしたよ!」
「………」
疑いの眼差しを向ける赤井こそ子どもの姿が想像出来ない。口も目付きも悪い癖に頭の良い、さぞたちの悪い子どもだったのではないか。



「あ。もしかして子ども達が妖精を捕まえたいとか云ってるんですか?」
少年探偵団を名乗る元気な子ども達と大学院生の沖矢昴は仲が良い。仕事とはいえあんなに懐かれているのはコナンの人物設定のお陰だろう。赤井秀一なら懐く前に泣かすに決まっている。赤井秀一が優しいのは子ども相手ではなくコナンだけだ。共犯者だからだろうか。
「いや、子ども達は関係ない」
「…ではどうして?」
「家に妖精が出るんだ。それを捕まえたい。あぁ、此処は日本だから妖精じゃなくて妖怪か。そうだな…座敷わらしみたいなものかもしれない。日本には古い家には子どもの姿をした妖怪が現れて幸運をもたらすという話があるんだ」
淡々と、任務報告をするような温度で話す男から零れた単語にキャメルは食べる手を止めた。絶えず聴こえていた喧しい人のざわめきが静まり、この半個室だけ無我の世界に包まれたのかと思った。はたまた宇宙の深淵か。

「おい、タレが落ちる」
──急に耳に音が戻る。何処からか甲高い笑い声が響いていた。そう、此処は酔っぱらいが集まる居酒屋だ。
「…酔ってます?」
居酒屋なのだから酔っていなければいけない。そうだと云って欲しい。
「烏龍茶で酔えるか、馬鹿。俺は近くまで車で来ている」
キャメルも残念ながら素面だ。仕事だと思っていたので後の事を考えてソフトドリンクを注文したのだった。
つまりこの場には素面の厳つい大男が二人、妖精だの子どもの妖怪だのメルヘンな会話をしているという恐ろしい時間が流れていた。ある意味黒の組織の密談よりも恐怖かもしれない。
「たまに俺が疲れて寝てる間におにぎりっぽいモノや卵焼きっぽいモノが用意されてるんだ」
「……っぽいってなんですか?」
「俺が知っているおにぎりや卵焼きと見た目が大分違う。味もいつもばらばらだ」
余計に怖い。食べたのかこの人は。
「歌が聴こえることもある。子どもの気配がすると思って目を開けようとするんだが、その歌を聴くと瞼がどんどん重くなって寝てしまう。俺の全く知らない歌だ」
「怖っ!!」
思わず叫んでしまったキャメルを赤井が睨む。
「だっ、だって怖いですよ!」
「恐怖はない。寧ろ驚く程安心する空気だった。幸運の妖怪だと云っただろう。出て行かれると家が潰れるらしいが」
「やっぱり怖いやつじゃないですか!」
確かに工藤邸はかなり年季がかかっている。中は何度も改装しただろうが屋敷そのものは古い。何か出ると云われたら信じてしまいそうだ、とかつてのメルヘン少年は震えた。
「どんな子どもなんですか?」
「姿を見た事はない。気配と歌声から六、七歳の男の子だと思うが」
「六、七歳の男の子………」
それはもしかしなくても。
「…コナン君ですよね?何だ、驚かせないで下さいよ。変な汗掻きましたよ!」
大きく息を吐いて緊張を溶く。いつの間にか身体が強張っていたようだ。屈強なFBI捜査官として情けない。顔を上げて赤井を見るとキャメルを笑う事もなく無表情で話を続けた。
「座敷わらしが出るのはいつも夜間だ。屋敷中の戸締まりは勿論、門も閉めている。ボウヤは身長的に門を開けられない。そして、屋敷中に防犯カメラが仕掛けてある」
「カメラには…」
「何も映っていない」
キャメルの口から出たのは母国語の神への祈りだった。そんなものFBI捜査官と云えど太刀打ち出来ない。専門が違う。
「本部に連絡して応援を呼びましょう!大丈夫です、FBIならエクソシストにも伝があるはずです!!今すぐジェイムズさんに…」
スマホを取り出したキャメルの手に何かがぶつかった。膝の上に落ちたのはマッチの箱だ。
「馬鹿か、お前は。退治してどうする」
「し、しかし…」
相手は銃も効かない妖怪かもしれないというのに赤井は何故平然としているのか。
「だから捕まえたいと云っているだろう。人間の子どもを捕まえるのは犯罪だが、妖怪なら問題ない。多少の力業を使っても誰も文句など云わんだろう」
「えっ…まぁ、法律上は、そうなりますけどね。…力業って?」
「あまり参考になりそうもないが先ずはお前の方法を真似るか。好物で誘き出してみよう」
それはコボルトへのお礼の方法で捕獲目的ではない。
何故だろうか。FBI随一のスナイパーである筈の赤井秀一が妖怪などという不確かなモノを本気で捕まえようとしている。何処か可笑しい。止めなくていいのか、とスマホを握りしめながら迷う。ジェイムズに電話した方が良いのか。


「…座敷わらしの好物って何ですか?」
赤井はゆったりと笑った。悪党の笑みだ。
「さぁ、予想では焼きたてのレモンパイとアイスコーヒーといったところか。大人しく出てきたら熱いパイにバニラアイスでも乗せてやるのに」


甘ったるい声に聞き覚えがあるような気がした。
居酒屋に似合わない上等過ぎる男が周囲の笑い声に紛れるように怪しい話を持ち掛けてきた。それは正しく人に聞かれてはいけない密談だった。



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