■ 泣かせるより難しい事


「ねぇ、赤井さんってさ…」
「どうした、ボウヤ?」
十年前に出会った事を覚えているか確認したかったが、男の顔を見てやはり無理だと口を閉じる。一応自分の正体を隠している身としてリスクが有り過ぎた。
「ボウヤ?」
「…えっと、ずっと僕を膝に乗せてて痺れないのかなって思って…。そろそろ降りようか?」
第一この膝抱っこ状態で一緒にテレビを観ている状態で中身が高校生だと気づかれたら、あるいは知っていると指摘されたら居たたまれない。恥ずかし過ぎる。
コナン生活が長いのでついつい自然に誘導されてしまったが、今バレるのはあまりにも格好悪いだろう。
そんな見栄から誤魔化しの質問に赤井は目を眇めてコナンを見下ろした。
「何だ、今更。ボウヤを抱えたくらいで音を上げるような柔な鍛え方はしてないぞ。それに折角の楽しみを捨てるなんて馬鹿な真似はしない」
「うわっ、あ、赤井さん!苦しい…!」
逃がすまいとコナンの腹に回った腕に力を込められ、やめてと訴えると「だったら諦めて大人しく抱っこされてろ」などと理不尽な注文をしてくるのだから、やはり自分の正体を明かすなんて出来やしない。この理想を絵に描いたような完璧な男が、時々子どものコナンに甘えてくる瞬間が堪らなく好きだった。
殆どバレているかもしれない今となっても告白出来ないのは、半分くらいそれが理由かもしれない。



蘭と園子、そして世良のショッピングに付き合ってまたまた事件に巻き込まれたコナンだったが、帰り道を歩く頃にはすっかり昔の記憶で頭が一杯だった。世良の謎は消えたが新たな謎が多すぎる。蘭たちと別れた後も領域外の妹やAPTX4869の薬の事を考えていたせいか、足は自然と工藤邸に向かっていた。
出迎えた男は驚く事に変装をしていなかったが、日中の暑さにシャワーを浴びてたんだと説明されて納得する。室内に居るとはいえ、変装のマスクと首元を隠す服装で日本の夏を過すのは大変だろう。
しかし黒いTシャツに黒いジャージパンツという軽装が見慣れなくて妙に気恥ずかしかった。普段見えない男らしい喉仏や逞しい腕を見て、当たり前の光景の筈なのに蘭たちの水着姿を前にした時以上にどきどきしてしまってろくに顔を上げられない様だ。
赤井はコナンの不自然な様子に首を傾げながらも、暑くて疲れただろうと云って二人分のアイス珈琲を用意し、ソファーに座ってコナンに無言で片腕を差し出した。その腕に誘われるように何も考えずに駆け寄り、抱き上げられる。いつも通りに。
そのままコナンは今日の出来事についてあれやこれや考え込んでいたから、赤井とのやり取りの後で漸くテレビの内容に気づいた。
「これって…お笑い番組だよね?」
わははと笑い声が流れる映像と赤井という奇抜な取り合わせに、思わず背後を振り向いて確認する。
「ああ。この前ボウヤたちが話題にしてただろう?今小学校で流行ってるそうだな」
「確かに流行ってるけど…」
思い返せば確かに先日そんな会話をした。博士の家で元太たちが誰が一番面白い芸人か、モノマネをしながら自分のお気に入りを披露していたのだ。コナンも無理矢理参加させられた。モノマネについては早く忘れてしまいたい。灰原は孤高を貫いて高みの見物だ。
そこに昴が差し入れのお菓子を持って来た事は良く憶えている。正にコナンが似てないモノマネをやっていた最中だったからだ。ぎゃーっと叫んで地下に逃げ込んだ為、昴がどんな顔したのか、どんな感想を持ったかなど知るよしもなかった。
そうだ。テレビに映っているのはそのお笑い芸人ではないか。
「……………」
逃げ出したい。激しくそう思ったが、コナンが身動ぎすると腹に回っている筋肉質な腕が絡まって逃げられない。
「…僕、ニュース観たいなぁ」
「dボタンを押せば観られるぞ」
無情だ。それでは赤井の視線を反らす事が出来ない。
ガクリと項垂れ、地獄の時間が過ぎるのを耐えて暫くした時、コナンはある事に気づいた。コナンがモノマネをしたお笑い芸人の出番が終わり、何人もの芸人たちがコントやギャグを披露し終わったのに、背後の男の笑い声が全く聴こえない。背中が触れている固い腹も全く震える事はなかった。そっと振り返って見上げた顔は恐ろしく無表情だ。
「…面白いの?」
「さぁ。俺にはよく判らんな。だがこんなに客席が笑ってるんだから面白いんだろう」
「何で観てるの?」
「この前元太君にどの芸人が好きか聞かれて困ってな。出る名前出る名前全部知らないと云うと流行りに疎いと笑われてしまった。だから勉強してるんだ」
沖矢昴は極普通の大学院生だから流石に何も知らないと不自然だろう、と淡々と話す男にコナンは申し訳なくなる。FBI随一のスナイパーに他国のお笑いを勉強させている事に対して。
「いや、そこまでやらなくても…」
「あぁ、そう云えばボウヤの好きな芸人は可笑しな踊りだけじゃなく話芸も上手いな。今後参考にさせてもらおう」
「今すぐ止めて!そんな勉強必要ないから!」
真っ赤になって叫んだコナンに赤井がくつくつ笑う。いっそあの場でおもいっきり笑われた方がマシだった。
身体事振り返って赤井をじっと睨み付ける。赤井の笑みはいつもこうだ。挑発的だったり、艶然としていたり、口元だけの笑みだったりと常に余裕がある。
「そんな可愛い顔で睨んで何を企んでいるんだ?」
骨張った大きな手で頬を撫でようとするのを頭を振って払い落とす。
「…赤井さんを呵呵大笑させてみようと思って」
「ほぉ、それはそれは。頼もしい申し出だ」
思い出した記憶の中で赤井は声を出して笑っていた。あんな笑い方も出来る男なのだ。コナンとして出会って以来見てなかったから知らなかった。
しかし笑わせようと宣言したは良いが、方法が判らない。お笑い番組を無表情で観ていた男をどうやって笑わせよう。
(──服部に相談、……いや、無駄だな)
お笑いと云えば関西と連想した男に頭でバツを付ける。服部はよく笑うが別に面白い訳ではない、と遠い地に居る人間に残酷な評価を下してコナンは次の手を考える。
「………」
何も浮かばない。
元々人を笑わせようなんて考えるタイプではないのだ。そんなに簡単ならお笑い芸人たちだって苦労しないだろう。
「どう笑わせてくれるんだ、ボウヤ?」
目を細めて待っている男を見上げ、もうこれしかないと懐に飛び込む。声を出して笑えばもう何でもいい。
「えいっ」

古典的手段で懸命に擽った。
数分間、首や脇など弱い場所を探りながら擽ったが赤井は我慢している様子もなかった。岩を擽っていた気分だ。
「もう終わりなのか?」
「…もう疲れちゃったよ。何か、無謀な事した…赤井さん笑わすのって難しいね。擽ったくないの?」
昔、あんなに簡単に笑ってくれたのは記憶違いだったのだろうか。
「そうだな、残念ながら擽ったくはないが…ボウヤが一生懸命触ってくるからイケナイ気分にはなった」
「イケナイ気分?」
なんだそれは。
「そのまま乗ったらマズイ気分と云えばいいか…。まぁ、ボウヤが思ってる程こちらに余裕は無いんだ、実は」
どういう意味だろうかと首を傾げたが、見下ろす男の甘ったるくなるくらい柔らかい笑みに、これはこれでいいかと思う。
この笑みが見られる人間も中々居ないだろう。





赤井が空のグラスを持ってキッチンに行ったところでコナンは小さく溜め息を吐いた。
(──やっぱりあの酷いモノマネを見られたのはマズイ)

無理矢理やらされたのでかなり適当だった。否、そんな理由が通用するだろうか。演技力には自信があるのだ。特に人のモノマネは得意分野なのに。
ポケットから蝶ネクタイ型変声器を取り出す。これを使えば今度こそ。何度もテレビで観た躍りをイメトレしてポーズを取る。



斯くして数分後。
いつも人の気配もしないような洋館から男の大爆笑と子どもの絶叫が響き渡ったのだった。


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