■ 身勝手に、心中

初めてあの子のことを同僚のジョディから聞いた時は、映画か小説の話を聞いている気分だった。
FBI内でも滅多に御目にかかれない程の頭脳明晰さ、どんな犯人も逃さない行動力に負けない運動神経、ここまでは良い。寧ろ、ホームではない日本でそんな人間に出会えたことは幸運だと思った。しかしジョディの話はそこでは終わらなかった。

───彼はとても頼もしいのよ、秀。その上とても小さくて可愛いの。

話は突然お伽噺に変わった。
現実味のない子どもの話、と思いながらも同僚の人間性をよく知っていた赤井秀一は、早く逢ってみたいものだと願っていた。



身勝手に、心中



「手当てしてくれて有難う、昴さん」
「私の手で手当て出来る範囲の怪我で良かったです。もう少し酷ければ病院に連れてくところでした」
救急箱を片付けながら眉尻を下げて礼を述べる子どもを見据える。ソファーに腰掛けた子どもと、床に膝を着いた昴の視線が平行に交わる珍しい光景だった。

利用するつもりがいつの間にか愛情が芽生え、真に愛した女性の妹のシェリー。遺された彼女を見守ることは自分の義務だと考えて行動していると、自然と彼の動向も見えてくる。
事件体質、としかいえない彼は日常的に危険と隣り合わせで生きている。その確率ときたらここが日本だということを忘れさせてしまうくらいだ。その全てを小さな身体一つで乗り越えてしまうのだから、全く恐ろしい。かつて彼のことを教えてくれた同僚は、ちっとも話を盛っていなかったと証明されたのは、果たして喜ばしいことなのか。

「強盗犯を捕まえるところまでは良かったですが、最後は少々詰めが甘かったですね。直前まで隠し持っているナイフに気が付かなかったとは」
学校帰りの子どもたちが遭遇したのは、たった今金を奪い、郵便局から逃走しようとする犯人が走り出す光景だった。追い掛けてきた職員の様子に事態を察したコナンは直ぐに犯人を追い、近くに転がっていた空き缶を蹴りあげて直撃させたのだが。倒れた犯人が朦朧としながらもナイフを振り回し、それに驚いて避けた足元に先程の空き缶があるとは流石のコナンも思っていなかったようだ。しかし強盗現場を見てないからナイフなんて知らない、などという言い訳は通用しない。
そのまま派手に転んでしまい、足を捻って困っていたコナンと心配して大騒ぎする子どもたちに、動揺する郵便職員のもとに偶然昴が訪れたというわけだ。勿論、作られた偶然であるのだが。
ふらつく犯人のナイフを飛ばして押さえ付け、警察に犯人を引き渡し、何故か平謝りする郵便局職員を宥め、心配する子どもたちを安心させる為に一際落ち着いた声と笑顔を振る舞い、怪我をした少年を抱えて帰宅した。その間、腕の中の少年は大人しくじっとしており、普段の快活さを潜めて昴の顔を見ることはなかった。抱き上げる瞬間に耳元で小さく、ごめんなさいと告げられた声が、彼は昴に助けられたくなかったのだと云ってるように聞こえた。

包帯に包まれた足は昴の掌に収まる程に小さく、幼い。こんな足で強盗犯を追い詰めただなんて、実際触れている昴さえ信じがたくなってくる。
「どうしてあなたが出てきたの?」
コナンの片足を抱えたままの昴の頭上から幼い声が降ってきた。ついさっき礼を述べた声とは違い、固く強張っている。
「もっと早く助けに来い、というならともかく。助けに行って責められるなんて些か納得がいきませんね」
「だって」
「だって?何ですか?」
細めている眼をやや開いて見つめると、コナンは顔を反らして視線から逃げてしまう。その表情は抱き上げた時のものと同じだ。困ったように眉尻を下げている。
「こんなことぐらいであなたが出てくる必要ないでしょう?奴らの犯罪じゃないし、灰原が怪我をしたわけでもない」
「…つまり君は、彼らの犯罪ではない時は私は手助けしてはいけないと?今更それですか?」
これまでにも何度か事件に巻き込まれたコナンを助けたことがある。それは周りに気付かれないよう、ひっそり行われることが多かったが。
「確かに私が表に出ることは控えるべきですが、限度は弁えていますよ。怪我をしている子どもを助け出すのは極自然なこと。コナン君が心配する必要はありません」

天性の探偵の性なのか、危険と隣り合わせで生きているせいなのか。この子どもは呼吸をするように他人を助けることを当たり前と思っている。
その一方、自分の予定の範囲外で助けの手を出されると素直に受け入れられないらしい。受動的に助けられることに慣れていないともいえる。

「君は勘違いをしている」
「え?」
「何の見返りもなく私が助けたと勘違いをしています、と云ったんです」
昴の言葉に驚いて顔を上げ、大きな眸を瞬かせる様にくすりと笑う。
コナンは自分の目的の為に沖矢昴を利用していると思っている。それもかなり危険な方法で。正義感の強い彼がそれを受け入れているのは、同じ大きな目的の為にこちらも利用しているからだ。
利用しているのはお互い様という弁明があるからこそ、命の危険が伴う組織相手の戦いに遠慮なしに巻き込むことが出来る。

だけどそこから一歩外に脚を踏み出した時には、条件は当てはまらなくなる。そんな馬鹿なことを彼は真剣に考えているのだ。

御屋敷と云っても過言ではない立派な洋館に相応しく、家具はどれも重厚なものが揃えられている。ソファー一つとっても例外はなく、豪奢かつ繊細な造りだ。そんなソファーにすっぽり身体を預けている子どもの姿は、かつて彼にまだ出会ってなかったころに浮かんだように、お伽噺の一場面を思わせる。
床に届かない裸足を支える昴は、差詰め幼い主人に仕える家臣の一人だろうか。
「僕が昴さんに何の見返りを与えているっていうの?」
「…そうですね。いくつかありますが、まずは君を助ける権利ですかね。君の周りには沢山の仲間や友人がいますけど、君にとっては殆ど守るべき対象でしょう。残りの何人かは一見君と対等な協力関係ではありますけど、あくまで君が許す範囲の協力でしょう」
どれだけ信頼している仲間がいても、この子どもは最後は一人で走っていってしまう。周囲の人間たちもどこかそれを当然だと考えている。彼の圧倒的な実力を知っているゆえに。
「僕を助ける権利って…」
「別に矛盾はしてませんよ、私の中では」
高い脳の回転率を誇る彼だが、昴の云っていることは理解しがたいらしい。見た目のままの幼い表情を曝し、必死に言葉を探しているのが分かる。
「…そんなの昴さんが勝手に思ってるだけでしょう?」
「ええ、勝手です。私が協力以上に君を助ける立場になりたいと、勝手に思ってるだけです」
黒の組織の件においては互いの立場がそれを許してはくれないが。他の日常については昴がどう思って、どんな行動をとろうが自由だ。相手からすると身勝手に感じることも分かっている。
「理由が知りたいですか?」
「……知りたくないと云えば、云わないでいてくれるの?」
コナンの問に昴は口角をあげる。賢い彼はつかの間の動揺を抜け出し、望む望まないとは無関係にこちらの気持ちに気づいたのだろう。
その邂逅の瞬間を逃す昴ではない。
「いいえ、聞いてもらいます。私の勝手な意見ですから、それを聞いて君がどうするかは自由です。どうしても聞きたくなければこの場から逃げ出してもいい」
足を怪我しているコナンが動けないことを承知で述べる。逃がす気などさらさらないことを分からせるために。

「私はね、もう決めているんですよ、コナン君。あの時からね」
「…あの時?」
血の気が引いた小さな顔に伝った汗を指で拭ってやりながら、可哀想に、と何処か他人事のように思う。こんな性質の悪い男に捕まって。
「私が沖矢昴になることを選んだ時です」
「昴さん!」
「奴らと戦いで君と僕は命運を共にすることになるでしょう。まぁ、死ぬ気はありませんが」
そして彼も死なない。
「だけどね、ボウヤ。どうせ一時命運を共にするなら、それが一生でも構わないと思ったんですよ」
「一生って、どういう意味…?」
「言葉のままですよ。私が死ぬときは、君と一緒です。……逆もしかり」
いつからこの子どもに気持ちを寄せていたのか、実は昴にもはっきりは分からない。
話にだけ聞いていた彼と直接会い、その比類なき存在ぶりを目の当たりにした時。彼の途方もなく危険な計画に乗ることを承諾した時。彼の本当の正体に気が付いた時。──自覚が遅かっただけで、気持ちはずっとあったのだろう。もしかすると、同僚から聞いたお伽噺のような人物に早く逢いたいと願った時点で。

「…そんな勝手な。僕はそんなこと…」
「だから勝手だと云ってるでしょう?君を助けたいと思うことも、君と一生涯命運を共にしたい思うことも、君を愛することも私の自由です」
何か間違っていますか?と訊ねても、返って来るのは無言の呼吸音だけ。
「逃げたければ逃げなさい。抵抗するなら好きなだけすればいい。それは君の自由です……無駄だとは思いますがね」
「…昴さん」
泣きそうな顔をしながらも逃げる素振りを見せない子どもも、既に捕らえられていることを自覚しているのかもしれない。



真っ白な、皮膚の薄い足の甲にそっと口づけを落として告げる。
「君が好きだよ、ボウヤ」


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