■ チョコとリボンと薔薇の花

二月十四日の阿笠邸は朝から甘い匂いに包まれていた。

「綺麗に焼けましたねぇ」
「おぅ、まるで店で売ってるやつみてーだ!あ、でもこの辺のはコナンのだな」
「型抜きを使ったのに江戸川君が作ったのだけは分かるわね。無駄に器用なはずなのに何で料理はこうなのかしら?」
「ちょっと崩れても同じ生地なんだから味は大丈夫だよ。ね、コナン君!」
オーブンから取り出した天板の上には型で抜かれた動物、ハートや星のココアクッキーが並んでいる。その中に一部、耳が潰れた兎や歪んだハートのクッキーを指差しつつ楽しげな友人たちに、コナンは乾いた笑いを浮かべるしかない。天板の上にある悲しい現実が反論を許してくれなかった。



ここ数年で急激に広がった友チョコという存在は実年齢十七歳のコナンには複雑な気持ちを抱かせる。ここまでくるとバレンタイン本来の意味である聖ヴァレンティヌスの殉教など全く関係ない。元々宗教的に無関係な日本に入って来た時点でただのイベントになるのは当然だが、それでも根元である愛は何処に行ったのだろうかと思ってしまう。
そんなコナンに同じく複雑な思いを表情を顔に浮かべながらも、子どもたちに甘い阿笠博士は「友愛も大事じゃろう」と苦笑を見せた。

今年のバレンタイン当日が日曜日ということで皆で友チョコを作りたいと云い出したのは歩美で、彼女がそう云えば男三人は「NO」とは云えない。寧ろ確実に歩美にチョコレートを貰える提案に光彦と元太は喜んで賛成した。
灰原は勿論彼女の味方だ。歩美と一緒に材料やラッピング材まで買いに行ったらしい。当日一緒に作るならラッピングは要らないのでは…というコナンの意見は形を重視してこそのイベントだと一蹴された。とにかく楽しいイベント感が欲しいらしい。
(…そういや蘭も園子を筆頭とした女友達と年に一度の高級チョコレート交換パーティーとやらに行ったんだっけ。もうチョコレートの日にしてしまえばいいのに……)
朝、楽しそうにお洒落して出掛けた幼馴染みを思い出して溜め息が出る。

「何一人黄昏てるの、江戸川君。貴方も自分の分は自分でラッピングするのよ」
小分け用の透明フィルムと可愛らしいリボンを突き付けられ、諦め顔で受け取る。
「…同じクッキーを五人分それぞれ詰めて渡すのか?」
いくらなんでも無意味なんじゃないかと訊ねる。
「作るのは取り敢えず各自一つよ」
「カードにメッセージを書いて中に入れるんだよ。後で歌いながら皆で回すの。誰のが当たるか分からなくてドキドキするね!」
それは最早クリスマスのプレゼント交換である。
「えぇっ!それじゃ歩美ちゃんや灰原さんのチョコを貰えない可能性があるじゃないですか!」
「何だよ、それ!光彦やコナンのが当たったら意味ねーじゃん!」
光彦と元太は抗議しているが中身のココアクッキーは全員の共同作だ。ただメッセージカードが付くだけで。
「友チョコなんだからどれが当たっても嬉しいでしょう?何か文句あるの?」
「「……あ、ありません」」







「そんな訳で余ったクッキーは家族やお世話なってる人にあげるんだって」
「日本ではすかっりバレンタインデーの意味が変わってしまいましたね」
柔和な笑みを浮かべながらも苦笑する男の手にはコナンがラッピングした包みがある。灰原曰く料理には発揮されない無駄に器用な手で、そこそこ綺麗にリボンを結べたと自負したそれを昴は丁重に受け取ってくれた。
本当は世話になっている小五郎や蘭にあげろと云われたのだが、小五郎は昔ながらの感性の男だし、蘭に男の自分から渡すのも躊躇われた。他に世話になっている人間で渡しても良さそうな人物を考えて真っ先に昴が浮かんだのだ。
バレンタインデーにこんな子ども、しかも男から渡されるなんて少し申し訳ないような気もしたが、明日学校でちゃんとプレゼントしたか報告しなくてはいけない事になっていたので仕方ない。広い心で受け取ってくれた昴に感謝だ。

「結局コナン君は誰から貰ったんですか?」
「…えっと、歩美ちゃん」
包みがコナンの元で止まった時の灰原の意味ありげな微笑みと、頬を真っ赤にしていた歩美に仕組まれていたように思えてならない。中のカードには「大好きだよ」の一言で、一応誰が受け取っても友愛で通じるが、光彦と元太の嫉妬の視線がいたたまれなかった。
友チョコに見せながらちゃんと本来の意味も潜んでたらしい。

「おや、じゃあコナン君は本命を貰ったかもしれませんね。それは、妬けるなぁ」
「ち、違うから。ちゃんと友チョコだから!昴さんにあげたのと同じ意味合いだから!」
昴相手に友愛は無理があるが、普段の感謝込めたプレゼントのつもりだ。
そう云いたいのに、歩美の純粋な想いを思い出してしまい、ついついコナンの顔まで紅くなってしまう。
焦って否定するコナンに昴は「それは残念です」と本当に残念そうな表情を浮かべるのでたちが悪い。コナンと歩美がカップルになったら良いとでも考えているのだろうか。コナンの年齢が見た目のままなら微笑ましいが、実年を隠している身としては笑えない。
内心冷や汗を流すコナンに、昴はお茶を準備するから少し待つように云って席を立った。

(…あれ?残念って、俺が貰ったのがただの友チョコだったって所だよな?それに妬いたってなんで…)
昴の表情に別の意味合いが含まれていたように思えたが、それが何だったのか答えに辿りつかず首を傾げる。
腕を組んで頭を悩ませるコナンの前にいつの間にか戻って来た昴が膝を着いた。
「どうしたの、昴さん?」
最初座ったテーブルを挟んだ向かいじゃなくて、すぐ傍で片膝を着いた男に驚く。
「これは私からコナン君にです。受け取ってくれると嬉しいのですが」
落ち着いた柔らかな声でテーブルに置かれた銀のプレートを引き寄せた。
香りの良い珈琲カップの隣に上品な包みとリボンで装飾された箱、そして添えられた一本の紅い薔薇。

「……………え?」

完璧なまでの微笑を浮かべる男は黙って箱と薔薇をコナンに差し出す。
(……盗聴で聴いてたはずだから昴さん流の冗談?)
しかし箱はどう見ても安いモノではない。寧ろテレビでやっていた誰が買うんだこんなモノ、と思っていたレベルの高級な気配だ。
──あぁ、そうだ。蘭たちが今じゃないと食べられない高級チョコレートパーティーをやってるのだった。友チョコにこれだけのお金をぽんっと出すとは流石大人の男。
「…うわぁ、昴さんも用意してくれたんだね!僕、昴さんにあげることにして正解だったなぁ」
──取り敢えず、薔薇の意味は考えない。ノリのいい大人が高級なお返しを用意してくれた。そうに違いない──と思い込みたい子どもを男は逃がしてくれなかった。引きつった笑顔で受け取ったコナンに昴の性格には似合わない口角の上がった笑みを見せる。
「…ボウヤ、受け取ったということはイエスという返事で良いんだな?」
「お、お互いに大事な友達って事だよね!」
「まさか──」
首元の黒いチョーカーに触れた男が本来の声で話しながらコナンに顔を寄せた。
「知っての通り俺はアメリカ人でね。バレンタインデーにチョコレートを渡すのはたった一人だ。博識なボウヤなら理解しているだろう?」
勿論知っている。両親がアメリカに住んでいるくらいなのだ。
アメリカでは一般的に男からプレゼントを渡すイベントであることを聞いている。それに日本と違って義理チョコはなく、ましてや友チョコもない。チョコレートを渡すなら本命だけ。さらに薔薇の花を添えたら、もう。
「俺からのチョコレートを受け取ったな、ボウヤ?」
「…えぇっと、その…」
勢いで受け取っただけでそう意味ではない。そう云えば良いだけの事なのに何故か口から否定の言葉が出てきてくれない。
代わりに出てきたのは気になっていた疑問。
「…歩美ちゃんに妬けたってのは本当?」
「そりゃ妬けるに決まっている。本命相手に他の人間から貰ったなんて聞けば。しかも貰って満更でもない顔されたら面白くないだろう?今日ボウヤが来なかったら毛利探偵事務所まで押し掛けようかとまで考えた」
何の躊躇いもなく嫉妬したと口にする男にコナンはもう耳まで紅くなってる気がした。男なのに、ずっと年上なのに。
(……どうしよう。なんか、嬉しい)

紅い顔のまま固まっているコナンの左手を大きな手で包まれる。
「じゃあ、分かりやすく日本風にもう一度だけ聞こうか」
ぱちくりと目を瞬かせたコナンの左手に男は軽く口づけた。
「──ボウヤが好きだよ。受け取ってくれるか?」
返事はYESかNOで云ってくれ。そう云った男は欠片も断られるとは思っていない深い笑みを浮かべていた。
観察力の鋭い相手にNOと口に出来ないことを気付かれている。だからといってYESと云うのも恥ずかし過ぎる。ぐるぐる悩んだ末にパニックになったコナンはYESともNOとも云わなかった。
間近にあった男の首に抱きついて頬にキスを一つ。





「……これで、精一杯、です」
「…シャイなのか大胆なのか。まぁ、ボウヤらしい。せっかくなら唇にしてほしかったところです」
図々しい注文を付け加える昴の口に歪んだハートのココアクッキーを突っ込んで黙らるまで後数秒。


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