■ Scarlet feds

ソファーに座ったコナンの幼い顔に不似合いな深い皺が眉間に刻まれ続けて数時間。
その手の中にあるのはまだ未公開の映画の脚本で、コナンが大好きなミステリー映画である。しかも父親である世界的に有名な推理小説家の作品なのだから良作に違いなかった。
マカデミー最優秀脚本賞を受賞した『緋色の捜査官』の主人公にはモデルがいる。何を隠そう──FBI捜査官、赤井秀一のことだ。無論、その事を知っているのはごく一部の人間だけだが、映画の内容次第では見る人間が見たら気づく者がいるかもしれない。それを思うと少し気が重い。
個人情報がバレないようにフェイクを入れて描写してあるが、赤井は限られた世界では名が知られている上に、その世界は案外狭い。出来れば同僚たちが観ないことを祈っているがFBIでも工藤優作のファンは多く、彼の初脚本だと大宣伝している現状から殆ど無意味だろう。
(──せめてモデルがいることは隠してほしかった…)
受賞式で堂々と発表してしまったらしい工藤優作の妻、有希子(表向きは優作発表)にそんな苦情を云うことは協力してもらっているFBI捜査官としても、息子とお付き合いしている恋人としても出来るはずがなかった。



Scarlet feds



それにしても随分時間をかけて読んでいると昴は首を傾げた。コナンは読書好きだけあってかなりの速読だったはずだが、やはり父親の作品となるとじっくり読みたいモノなのだろうか。
脚本は昴の身代わりになるため日本に来ていた父親からコナンへの置き土産だ。小説家として人生の一大イベントである受賞式をすっぽかせてしまい、流石に申し訳ないと思っていたのだが──「出たかったらもう一度受賞出来るものを書けばいいんだよ」──などと恋人の口からあっけらかんと云われてしまい何も云えなくなった。自分の恋人の極自然な要求の高さに恐れ入る。
有希子にお願いされてモデルにすることを許可したと伝えた時は然程興味の無さそうな反応を見せていたコナンが、ここまで集中して読む脚本に描かれた赤井はそんなに夢中になるくらい魅力的なのだろうか。先に読ませて貰ったが、ストーリーやトリックが緻密で推理映画としては勿論、ハリウッドらしくアクションも激しい。しかし主人公の男がどれだけ赤井をなぞっているのか自分ではよく分からない。工藤氏には悪いが脚本を読む限りでは、有能だが気障でスカした男としか思えなかった。これが世間に受けるエンターテイメントなのだろうと客観的に捉えていたが。
そんな架空の人物の話から一瞬たりとも目を離さない子どもは昴の存在など忘れているようだ。姿や名前は違えど目の前に本物がいるのに別人に余所見されているようで少し面白くない。
「あんまり顰めているとせっかくの可愛いお顔が台無しですよ」
ゆっくり近付いて深い皺を作っていた眉間を指でつつくと、昴の存在に気づいたコナンが驚いて大きく眼を瞬かせた。
「うわっ、昴さん!?」
「君が本に夢中になるのはいつものことですが、今日は特に集中してましたね。工藤氏の描いた捜査官はそんなに男前でしたか?」
「……えっと」
「本物も霞んで時間を忘れる程に?」
昴のその言葉に時計を見たコナンはどれだけ没頭していたか漸く気づいたようだ。気まずげな面持ちでソファーから立ち上がり、隣に座っている男の膝に無言でよじ登る。大人と子どもの体格差から目を合わせて話すにはこれが一番ベストなのだと教え込んだ成果だ。それでもまだコナンの頭の位置の方が低い。一度昴の顔を見上げたコナンがペコリと頭を下げた。
「……昴さんをほったらかしちゃってごめんなさい」
「はい、よく出来ました」
一応一緒に居る人間が優先すべき恋人だと自覚出来ているらしい子どもに昴は微笑んだ。


「これ、昴さんも読んだんだよね?本当に許可したの?」
膝抱っこのまま昴に背中を預け、宙に浮いた足をぶらつかせながらコナンが問う。
「ええ、映画撮影が始まる前に一度見てほしいと有希子さんから。モデルとして異論はないかと訊ねられましたけれど、私には作品として面白いとしか分かりませんでした。だからそのままで良いと許可したのですけど…コナン君は何か気になりましたか?」
人物像とは本人より第三者の方が理解していることも多い。昴が気付かないようなこともコナンは読み取れたかもしれなかった。
「気になるというか…昴さん、父さんと直接会って取材されたわけじゃないよね?」
「工藤氏はお忙しい方ですから。先日もすれ違いでしたから、残念ながらまだお会いしてません。──少し殴られる覚悟をしてたんですけどね」
二人の関係を有希子経由で知っている工藤氏は、赤井秀一という人間は認めていても息子の恋人としては認め難いらしい。同性の上に年齢差も大きいのだから親としては当然だろう。
コナン曰く、会ったらボコボコにされるかもしれないので今から覚悟はしている。それくらいでこの子どもが手に入るならいくらでも殴られて構わないのだ。

「なんかこの主人公、僕の知ってる本物より気障っぽくて華やかっていうか。凄く男前に書かれてはいるけどちょっと違う気がして…。だけど母さん経由での情報なら納得。多分、母さんにはこんな風に煌めいて見えてるんだよ」
コナンはあの人らしいと軽く息をついた。
成る程、主人公がスカした性格に見えたのは有希子視点での男を描いているからか。彼女の前では様々な意味で気を使っているのでそう見えてもおかしくない。有希子が赤井の存在をポジティブに捉えてくれているなら問題はない。
しかし。
「…ボウヤの目には本物は煌めかない人物として映っていると」
昴から発せられた低い声にコナンが身を固くする。
「えっ、そうじゃなくて…」
小さ過ぎる身体に背後から腕を回して服の下に手を忍ばせ、そっと指を這わせた。
「華やかさからかけ離れているのは自覚してますけど、世界でたった一人の恋人の目にも煌めいて見えないと云われると存外ショックなものだと今知りました。もしかして有希子さんの方が私を好いてらっしゃるんでしょうか?」
「──っき、煌めいてる!クールでイケメンで超ダンディーだよ、昴さん!捜査官にしとくの勿体ないくらい煌めいてるから脇腹擽るの止めて!!もう、ダメ!」
薄い皮膚の上を擽る昴の腕を必死に叩いてコナンが訴える。苦笑しながら素直に引いて顔を覗き込むと、うっすら潤んだ蒼い眸に睨まれてしまった。
「長時間放置されたちょっとした仕返しですよ、コナン君」
悪気の欠片もない笑みを浮かべた男に子どもは小さな声で「…本物はもっと意地悪で心の狭い大人だって父さんに云っておけば良かった」と呟いた。しかし映画が完成している今となっては後の祭りである。







絨毯に落ちていた一枚のカラーペーパーに気付いたのはコナンだった。
擽られて暴れた時に落ちた脚本の間から零れ落ちたらしい。
「これ…映画の宣伝用?」
「そうみたいですね。私も脚本しか読んでないので役者の顔を見たのは初めてです」
宣伝用のポスター写真は加工されていて役者の顔は右半分しか見えなかった。想像していたより随分若い。三十路半ばの赤井より五つは年下だろう。役者に詳しくないが話題作の主役を演じるからには実力があると思われる。顔は赤井の何倍も端正で、クールな表情を浮かべているが何処か華やかだ。
(…前に見たことがあるような顔だな)
仕事柄、人の顔を記憶するのは得意なのに普段のようにするりと思い出せない。
「この人が赤井さん役なんだ。凄いイケメン、母さんが好きそう……あ、僕はちゃんと赤井さんの方がカッコいいって思ってるよ!」
「ハリウッド俳優に勝とうなんて厚かましさはありませんよ。だけどお世辞でも嬉しいです。──ハリウッド俳優より俺を選んでくれるのは世界中でボウヤだけだろうな」
先程の学習効果か必死に主張するコナンに苦笑し、そっと首もとのチョーカーのスイッチを切って礼を伝える。ついでに「お世辞じゃなくてホントだから!」と訴える唇にキスを一つ。
「…映画の中の捜査官はこんなことしないよ」
「そりゃ本物をそのまま描いたら大問題だ。俺の首だけじゃすまないだろうな」
真っ赤な頬をして、不服なように眉を寄せてみせる眉間にも一つ口づける。
最初から想定しなかったのか、親心なのか。映画にハリウッド映画につきもののヒロインは存在しない。完全なる一匹狼なのだ。それには内心、工藤氏に感謝していた。

「あっ、分かった!」
「…どうした、ボウヤ?」
せっかくだからこのまま食べてしまおうと思っていた男の腕の中で、急に子どもが推理のヒントをみつけた時のように眸を輝かせた。こうなると無理に色っぽい方向に持っていくことは難しい。
再び床に放り投げられていたペーパーを手に取って凝視している。
「やっぱりあの人だ」
「ボウヤもこの役者に心当たりがあったのか」
見たことがあるのは気のせいではなかったのか。
「髪を黒く染めてる上に緑のカラコンつけてるから分かんなかったんだ。この人、ホントは金髪碧眼だよ」
そう云われて役者の金髪碧眼と顔をイメージしてみる。脳内の記憶は直ぐ様ピントを合わせてくれたが、それはあってほしくない答えだった。
「まさかあの時の…」
「そう、母さんが持ってきた見合い写真の一人だよ。近々主演を張れそうな実力派だと聞いてたけど凄い偶然!」
「…偶然、ねぇ」
そんなわけがない。
力の抜けた身体で寄り掛かって来た男をコナンがきょとんとした顔で見上げた。
以前、息子に男の見合い写真の束を持ってくるという酔狂なことをしてくれたのは母親の有希子だが、用意したのは父親の工藤優作だ。恋人の見合い相手予定だった男が自分をモデルにした役を演じるなど偶然の筈がない。
「母さんが人の演技を認めることって珍しいんだよ。引退したのに未だに女優としてのプライドが高いから」
「…それは映画も期待出来るな」
「うん。本当は創作とはいえ色んな人に赤井さんを知られるのは何か厭だったんだけど、あまり似てないみたいで安心した。話は面白いし、役者さんも凄そうだし、単純に楽しめそう。日本で公開したら一緒に観に行こうよ!」
眉間に皺を寄せて読んでいたのは映画効果で赤井がモテるようになったらどうしようという不安だったらしい。そんな可愛い本音を洩らし、デートに誘ってくれる子どもの無邪気な笑顔に逃げるわけにはいかないと覚悟する。所詮、より惚れた方が敗けなのだ。
「……意地が悪いのは俺じゃなくて工藤氏だろう」
銀幕スターよりカッコいいと云ってくれる恋人の言葉を信じて挑むしかない。


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