■ 最強の男

結婚したい男ナンバーワンに選ばれている俳優が電撃結婚するという話題のワイドショーを観ながら、全く関係のなさそうな子どもたちが騒いでいた。日本中の女性に混ざって落ち込む歩美を元太と光彦が不器用に励ましている。しかし「あんな男大したことない」や「おじさん過ぎますよ」という嫉妬混じりの言葉は益々少女の心を傷つけたようで、慌てて謝っているザマである。子どもながら女心の扱いは男には難しい。

「二人ともまだまだよね…。あなたが手助けしてあげたら?」
向かいのソファーから三人の様子を見ていた哀が、隣で我関せずと雑誌を見ているコナンに横目で促す。
「手助けって何をだよ。俺だって元太たちと似たような事しか云えないぜ?」
もっと間近な人間に失恋したというなら本気で考えもするが、相手は遠い世界の俳優だ。
「あら、気障な台詞がすらすら出てくるフェミニストのあなたも恋愛がらみだと案外役に立たないわね」
「フェミニストって…なんだよそれ」
確かに母親から女性に優しくするよう厳しくしつけられてはいるが。芸能人に憧れる少女の気持ちを恋愛と云えるのか。
「…だいたいあの俳優、そんなに良い男か?顔は整ってるけど、ドラマしか出てないから性格は何もわかんねぇじゃん。画面の外では普通の人か、もしかしたらやな奴かもしれないし」
コナンは別に好きでも嫌いでもないが興味もなかった。俳優である以上、画面から分かるのは顔の良さと演技力の上手さだけだ。どちらも彼以上の人間が身内に存在している。
「…あなた、男には評価がやけに厳しいわよね。まさか自分より上の男なんか存在しないと思ってるわけ?」
「馬鹿、そんなわけないだろ。この世にはもっと良い男がいる事を知ってるだけだっつーの」
呆れた視線をコナンに向ける哀に、ただの事実を告げる。

そう、コナンは誰より上等な男を知っていた。容姿が良く、長身で立ち振舞いも上品。常に冷静で穏やかなのに力強く、とても頼り概がある。知識が幅広く、思考も柔軟で頭の回転が早い。男らしく、尚且つ大人の余裕を持ち合わせる人物───工藤優作、コナンの父親である。
決して口で伝えたりはしないが、幼い頃から自分の父親以上の男など存在しないと思っていた。それは成長して様々な出会いをした今でも変わらない。



最強の男



「よう名探偵、御機嫌麗しそうでなによりだぜ」
道を歩いていたら物陰に引っ張り込まれた。すわ強盗か通り魔かと思って緊張した矢先、背後からコナンを抱えている人物が発した声は非常に軽かった。その軽さにどっと力が抜け、時計型麻酔銃を向ける気力も沸かない。
「………今まで手癖の悪い怪盗だと思ってたけど、これからは小学生をビルの隙間に連れ込む変質者として通報すれば良いのか、キッド?」
「おいおい、勘弁してくれよ。知り合いの可愛い坊主がいたから、つい声を掛けちまっただけだって」
薄暗い通路に放置してある木箱の上にひょいとコナンを乗せ、深く帽子を被った男が両手を脇に上げて苦笑した。顔は良く見えないし、服装もその辺りの若い男と変わらない私服だが、確かにキッドの声である。
「真っ昼間から仕事でもなさそうなのに、よく堂々と俺に声掛けたな…暇なの?」
「そんなつれないことばっか云うなよ、名探偵。たまには俺にも可愛くだーいすき!会えて嬉しい!とか云っても罰は当たらねぇぞ」
「………僕、正直者だから思ってもないこと云えないもん」
「うわっ、酷っ!?」
大袈裟にショックを受けて見せるキッドにコナンは小さく溜め息を吐いた。演技だと分かっている癖に甘えられて何が嬉しいのだろうか。
「なぁ、名探偵?前々から思ってたけど、俺に対して当たりがキツすぎないか?」
「そう?」
別に普通だろう。可愛いぶる必要のない相手にはこれが通常の態度だ。幼馴染みないし、クラスメイトないし、コナンの正体を知っている服部にもこんな感じである。寧ろ犯罪者相手に優しい態度だとコナンは思う。
「そう?っじゃなくて!…これでも私は世間の淑女の方々には大変な人気を得ているのですよ。名探偵も少しは私の男ぶりを認めて下さっているでしょう?」
口調を改め、世間で認知されている怪盗らしく丁寧な言葉と所作でアピールするが、コナンは冷めた表情になるしかない。
(…子ども相手にカッコつけてどういうつもりなんだ?)
「…そりゃ、マジックの腕と気障っぷりには少し敬意を持ってるけど。俺に認めてもらって嬉しいの?」
コナンの素朴な問いかけにキッドは口角を上げて顔を近付けて来た。薄暗い上に逆光で益々顔が見えない。
「勿論。貴方に認めてもらえたら私はとても光栄ですよ。好意を持っている相手には良い男だと思って貰いたいものでしょう?」
唇が触れそうな距離で伝えられ、背筋が微かに震える。
(───何の震え?恐怖を感じる相手でもないのに)
意味不明の震えを落ち着ける為、一呼吸置いてからキッドを見上げる。
「…お前のことは確かに認めている。だけど良い男だなんて思った事はないから」
出来る限り平坦な声で何事もなかったように云うと、凛とした空気を醸し出していたキッドがガクリと崩れ落ちた。
「……名探偵、鈍い上に酷過ぎるでしょ」
「キッド?」
地面に膝を着いた怪盗は疲れたようにそう云い、ゆっくり立ち上がって向かいの壁に寄り掛かった。
「ま、今はいいよ。その代わり参考までに訊きたいんだけどさ、名探偵の思う良い男ってどんなの?」
そんな事聞いてどうするんだと疑問に思えたが、もう身体が震えるような事態は避けたかったので素直に答える事にした。
「んーと、頭が良い男。知識が広くて深くて、尚且つ柔軟な思考。優しくて懐が深くて紳士。男らしくて頼り概があって逞しい。清潔で品があって所作が美しい。何事にも冷静で余裕のある大人の男、かな。出来れば身長が高くて顔が良ければ尚良し。……まぁ、お前も三割ぐらいは当てはまってるかな?」
思い浮かべて羅列するとキッドにも多少当てはまる所があったので、ちょっとは良い男かもしれない。
小首を傾げるコナンに対し、次々出てくる条件に凍りついていたキッドが一拍遅れで叫んだ。
「ハードル高っ!!今時女子でもそこまで高望みしないって!つーか、そんな人間存在しないから!!」
拳を握って力説するキッドに、やっぱりさっきの三割を二割に変更と心に決める。
「ちゃんと居るから。俺知ってるし」
「だ、誰っ!?」
「……俺の父さん」
誰にも云ったことがないのにキッドの迫力に負け、羞恥を堪えて小声で告げた。
「………名探偵、ファザコンなの?」
「ばかっ!ちがうっ!」
間の抜けた声で云われた言葉を即座に否定する。だから教えたくなかったのだ。
「厭、否定するならそれでもいいけど…。あぁ、父親なんて越えようのない壁じゃんか。…いいや、人間努力すれば越えられない壁はないはず…」
ぶつぶつと訳の分からないことを呟いているキッドを置いて、そっと木箱から飛び降りる。今日の所は泥棒じゃないし何か怖いから見逃してやる、と胸中告げて踵を返す。
「──名探偵」
「……なに?」
帰りたいんだけど、と恐々口にするとキッドは苦笑した。帽子の影で見えない表情が少し落ち込んでいるように感じた。
「てっきり俺は最近名探偵の傍に居る長身の眼鏡兄さんの事かと思ったぜ。随分なついているみたいだからな」
「昴さんのこと?」
「違うならいいんだ。精々名探偵のお父上を越せるよう、男を磨いてみせるさ」
「…父さんを越してどうするんだ?」
コナンの問いにキッドは唇だけで笑みを作って答えなかった。
「──またお会いしましょう。今度は私たちに相応しく、美しい月下の元で」
大きく優雅に頭を下げ、キッドはビルの闇へと姿を消した。







コナンは毛利探偵事務所ではなく実家へと走った。キッドの言葉を確認したくなったのだ。
(…父さんを越える人間なんて居ないと思ってたけど)

「やぁ、いらっしゃい。息が切れているけど今日は何か急用かな?」
柔和な笑みに迎え入れられコナンは、急に恥ずかしくなりそっぽを向いて何でもないように話した。
「ちょっと近くまで来たから、美味しいお茶とおやつでもご馳走になろうかと思って」
可愛くない訪問理由にも昴は笑みを崩さず扉を開いた。
「それはそれは。君にご馳走するチャンスを与えて頂いて光栄の至りです。ささやかですがおもてなしさせて下さい」
全く、出来た男である。子ども相手にここまで下手に出て、しかし品があるとは。これは可能性があるかもしれない。


大広間にてそれぞれソファーに座り、コナンは希望通り香りの良い紅茶とクッキーを貰い、昴は向かいで膝に乗せたノートパソコンを叩いていた。
クッキーを摘まみ、クッションを抱えながら男の様子を観察する。
──頭は良い。詳しい出身や学歴は知らないが、男の頭脳のレベルをコナンは十分熟知していた。文句のつけようがない。少年探偵団にもきちんと向き合って会話をするぐらい優しくて紳士だ。本当の顔の時も少しぶっきらぼうだがいつだって優しかった。細身に見える身体は鍛えられていて逞しい。然り気無く影から見守られていて安心する。昴と赤井は全然性格が違うのに気だるげな言動をしても不思議と下品ではない。
──動揺するところなど見たことがないし、冷静さも大人の余裕もあるとは。
(……くそっ、ケチがつけられないじゃないか!!)
しかも顔(偽りの仮面の下)も端整で長身だ。足はもしかしたら父よりも長いかもしれない。
何とか父親より劣る点を探しだそうと躍起になるが、悲しい程に見つからない。
(銃の腕も当然昴さんが上だし、車の運転も父さん並みに滑らかだし、扉開けてくれるし。他に何かないのか…!?)
最早ただの意地である。物心ついた頃から絶対の男であった父親を越す存在が居るなど、簡単には認められないのだ。

クッションに顔を埋めて唸っていると低い笑い声が聞こえて来た。
「…昴さん何笑ってるの?」
「いえ、つい。穴が空くんじゃないかと思うくらい熱心に見詰められるのは照れますね。君が私を見ながら何やら必死に悩んでいる様子だったので…」
やはり気付かれていたらしい。この至近距離でFBIの優秀な捜査官が気付かない訳がなかった。
ノートパソコンをテーブルに置いた昴に手招きされる。強い言葉も態度もないのにコナンはこの男に逆らえた試しがなかった。大人しく傍に立ち寄る。ソファーに座った昴とは視線がほぼ対等だ。
「…何のお悩みですか?」
「…昴さんが完璧過ぎてケチつけられないのが困る…」
頬を大きな手で挟まれて、口を尖らせて正直に答えた。この男、コナンより犯人を尋問する才能があるのか、魔法でも掛けられたように唇が開いてしまう。
「完璧?」
「…僕の父さんよりカッコ良い男なんて存在しないと思ってたのに、昴さんが勝手に越えちゃったんだよ…酷い」
ああ、そうだ。コナンどころか工藤新一の絶対の世界を壊されたのだ。これが酷くなくてなんだろう。
「誉めてくれたのかと思ったら責められているようですね」
昴がコナンの目の下に親指で触れながら苦笑している。こんな理不尽な理由で責められているのに腹を立てないとは懐が深すぎるだろう。また負けたような気がして悔しい。
「…昴さん、欠点ないの?」
「沢山あると思いますけど…。例えばよくユーモアがないとは云われますね。博士のような楽しいクイズを作ったり、毛利探偵のようなウィットに富んだギャグも云えませんよ。つまらない男なんです」
「…え、それは身に付けちゃ駄目なやつだよ。っていうか絶対駄目!」
冗談かと思ったが、男が案外真面目な顔で眉を顰めたので、コナンは慌てて止める。そんな残念なスキル、昴にはいらない。
「しかし面白い男はモテるらしいですよ。ワイドショーで云ってました」
「皆そう云うけど、口で云うほど面白さ求めてないから!芸人さんだって私生活は普通だから!一般人で面白さをアピールするやつは痛々しさと紙一重だから!」
「…コナン君も求めてませんか?」
「僕は受けを狙った笑いより、自然に笑える事で十分だから」
答えに納得してくれたのか、男は引っ込めていた穏やかな笑みを浮かべてコナンの身体を抱き上げた。乗せられた膝の上で安定する場所を探して男の胸に身を寄せる。
「コナン君はお父さんが大好きなんですね」
「…ファザコンじゃないよ」
言葉にされるまえに否定しておく。
「ご両親を尊敬なさってるのでしょう。素敵な事です」
いちいち返しがスマートだ。キッドもこう云ってくれれば良かったのにと思う。

「ところでコナン君、私は多分君のお父さんよりカッコいい人を知ってますよ」
「えぇ!?…昴さんよりも?」
ショックな事をいともあっさりコナンに告げる昴を睨む。知っていても黙っていてくれたらいいのに。
「はい。今、私の膝の上で可愛らしく睨んでくる子どもの事です」
「…………」
「私が知っている人物の中で誰より推理の才能に溢れ、恐ろしい程に度胸があってカッコいいんですよ。その上大変愛らしいのです。カッコ良さと可愛らしさを両方持ってる方が最強ではありませんか?」
目を細めた男が固まったコナンの髪を撫でる。

──『好意を持っている相手には良い男だと思って貰いたいものでしょう?』

キッドの云っていた事を思い出す。確かに昴に純粋な好意を抱いているコナンにとって、カッコいいと思われる事は嬉しい。可愛いという言葉も厭じゃない。
「…誉め言葉まで卒がないなんて完璧過ぎるよ。何か欠点見せてよ、昴さん」
熱い顔を隠すように男の胸に埋める。
(…うぅ、何この胸板の逞しさ!?父さんをもっと鍛えさせるように母さんに云っておかないと!)
「欠点は沢山ありますけどね。やっぱり男は好意を持ってる相手にはカッコ良く思われたいものですから、出来れば見栄を張ったままいたいものです」
男の囁くような低い声は、父親改造計画を企てている子どもの耳に届くことはなかった。


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