■ 名探偵は風の子なんかじゃない

毛利小五郎はカーテンの隙間から漏れた朝日と冷たい空気に誘われて目を覚ました。布団からはみ出た肩が頗る寒い。冬の朝の訪れである。
「うぅ、さみぃー。…タイマーで暖房入れんの忘れてたな」
今日は一段と寒くなると夕べ天気予報で聞いてたのに。
「ん…?」
意識がはっきりしてきた小五郎は違和感に気づいた。冷えきった室温に対し、布団の中がやけに温かい。否、腹部だけが集中してぬくいのだ。しかもぬくいだけじゃなく締め付けられて苦しい。
何だこれは、と恐る恐る布団を捲った中に見えたのはあり得ない物体。黒い小さい頭が小五郎の腹の上に乗っているのだ。黒い頭は小五郎の呼吸に合わせて上下し、小さな手がぎゅっとしがみついている。
「……………」

──ごつんっ。

「っいってぇ!!」



名探偵は風の子なんかじゃない



沖矢昴はその日阿笠邸で世にも珍しい光景を見ることになった。
沢山作ったポトフの鍋を持って差し入れに来た昴を迎え入れてくれたのは、いつも以上に生ぬるい視線の哀だった。おざなりの挨拶だけを交わしてリビングへ向かった彼女の後を追い、部屋に踏み入れた先にはソファーに座っている阿笠博士の姿。いつもの光景だ。
ソファーに座った博士の大きく柔らかいお腹に、昴がよく知っている子どもがしがみついている事以外は。

「…あれは何でしょうか?」
「見ての通り熱源を求めて脂肪の塊に張り付いている引っ付き虫よ。博士のお腹が一番温かくて柔らかくて気持ちいいんですって」
「…なるほど」
昴と哀の会話に博士は困ったように苦笑したが、腹にしがみつくコナンを引き剥がす様子はない。コナンに至っては周囲の会話など聴こえていないかのようにピクリとも動かなかった。熱源を確保することの方が重要らしい。
部屋の中は適度に暖房が行き届いており、そう寒いとも感じない昴に対し子どもには物足りないのか。
「コナン君は随分寒がりなんですね。知りませんでした」
「…冷え性なのよ。痩せすぎで脂肪も少ないし」
「あぁ、そうですね。少しあばらが浮き出ているのは気になってました。もっと太って良いと思います」
昴の言葉に哀が冷たい視線を向けてきたのは分かったが、にっこり笑って場を流す。
阿笠博士にしがみついている様子は祖父に甘える孫のようで微笑ましい。普段全く甘える事をしない子どもが見せた意外な姿を、昴は面白く思った。出来れば博士の立場と入れ替わりたいところだが、無駄な脂肪のない身体ではコナンに満足してもらえないだろう。

つい固いばかりの己の腹を確認してしまった男に、哀が呆れた声で呟いた。
「腹が出てようが出てなかろうがあんまり関係ないみたいよ」
「…博士だから、ということですか?」
コナンと阿笠博士は長い付き合いだ。今はふくよかな博士も昔はほっそりしていたのかもしれない。
「博士じゃないわよ」
「え?」
「最近朝は毛利探偵のベッドに潜り混んで怒られるのが習慣らしいわよ。エアコンの調子が悪いんですって」
「………」
学校にもコートの上にマフラーぐるぐる巻きで来るし、ホッカイロも手放さないし寒がりにも程があるわよね──などと鼻で笑う哀に昴は固い笑みしか返せなかった。
「昨日なんか西の探偵さんに自分から抱っこをせがんでいたのよ。寒いと意地もプライドもなくなるのかしら。子どもであることを最大限に利用してるわよね」
阿笠博士にしがみつく子どもは相変わらず動かない。エベレスト並みの意地もプライドも寒さの前には地に落ちるのか。
「…因みに女性には?」
「スカート姿の女性は見てて寒いのですって。冬の江戸川君は暑苦しい男がお好みみたいよ。今なら殺人事件が起きても探偵ごっこはお休みするんじゃないかしら?」
殺人事件、と聴こえたのか、引っ付き虫の子どもが初めて動いた。意地もプライドも地に落ちても根っ子は探偵だ。
「…事件が起きたら動くに決まってるだろう」
不機嫌そうな横顔を覗かせた子どもを哀が笑う。今の引っ付き虫を見たらとてもそんな言葉は信用出来ないのだろう。
「雪が降ったら犯人そっちのけで穴蔵で冬眠しそうだけど?外に暖房はないわよ」
「……事件も犯人も春まで冬眠したらいいのに」
「あら、実現したら平和で良いわね」
果たして本当に根っ子まで探偵だろうか。



寒いから帰るの面倒臭い、このまま博士の家に泊まると云い出した子どもを昴が爽やかな笑顔で引き取る事を申し出た。少女から今日一番の生ぬるい視線を浴びせられたが痛くも痒くもない。
コナンの生家である屋敷は広すぎて隅々まで温かくする事は難しい。その代わりコナンの方から積極的にくっついて来てくれる事が楽しかった。昴には少々高めの暖房もこの楽しみの為なら我慢するのは容易い。

「冬の間はこの家に住みませんか?部屋も温かくしますし、一緒に寝れば朝も寒くありませんよ」
「…この家に居たら温かいけど、疲れたり身体が痛くなったりするからヤだ」
昴の手作りのポトフを美味しそうに食べながらコナンが返した答えはにべもないものだ。
しかし昴も簡単に納得するわけにはいかない。可愛い恋人が他意なくとはいえ他の男のベッドに潜り混んだり、抱っこをねだるのを黙って見てるつもりはないのだ。そんな仏のような広い心など持っていない。
「…疲れさせるような事は出来るだけ我慢します」
「昴さん、我慢出来るの?」
スプーンを片手に小首を傾げるコナンの表情はあどけない本物の子どものようだ。その子どもに欲情を抑えられない自分を情けないと思うが、健康体の若い男が恋人に対する反応としては正常な筈である。同じベッドに寝て我慢するのは難しい。
眉間に皺を寄せた昴を見て、コナンがほんのり頬を染めて俯いた。
「…僕は我慢出来ないからヤだ」
そんな可愛い事を可愛い顔で云われては「我慢します」など、もう云えない。昴はこの寒がりな子どもを、今までの良識を捨ててしまう程に愛して止まないのだから。



翌日、探偵事務所に帰ったコナンと一緒に段ボール一杯のホッカイロと湯たんぽが届けられた。
眠りの小五郎の布団に潜り混む事を禁止されたコナンが湯たんぽを抱いて眠る様子を、少し寂しそうに眺めている探偵が居たことは誰も知らない。


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