■ 赤ずきんの愚かさを笑えない

寄り道するなと云われたのに寄り道して、怪しさしかないお婆さんに化けた狼の姿をあっさり信じこむ。本当に子どもだったあの頃、散々文句と難癖をつけて幼馴染みの少女を泣かせてしまった事は今でも胸に刻まれている。
しかし、肝心のお伽噺の戒めを蔑ろにしてしまった子どもの運命はこれいかに。お婆さんに扮した狼よりも怪しげな男たちの後をつけ、幼馴染みを泣かせたあの頃の姿になってしまった。どれほど後悔しても、現実では都合よく猟師が助けに来てくれる筈がない。



赤ずきんの愚かさを笑えない



協力関係にある『沖矢昴』に対してコナンの信頼は厚い。猜疑心の拭えない哀にも大丈夫と太鼓判を押し通したのは他でもない、コナン自身だ。
だからこんな事態になってしまっても、助けを求める訳にはいかない。それ見たことか、と呆れた顔で怒られるのは探偵としての矜持が許さなかった。哀が聞けば「そんなくだらない矜持なんか捨ててしまいなさい!」と云っただろが、コナンは誰にも相談しなかったため、このピンチを知るのはコナンと昴の二人だけ。最も、ピンチだと感じているのはコナンだけだろうが。
(──まさか昴さんに俺の正体がばれそうだなんて!)
絶大の信頼はおいていても、完全に信用しているわけではない。それはお互いの立場だとか、目的は同じでも求めるものの違いだとか。命を預ける事が出来ても正体は明かせない、というのがコナンの思いだ。

工藤邸に居候の大学院生が馴染んでほっと胸を撫で下ろした頃、それは起きた。
「コナン君は噂の名探偵、工藤新一君にそっくりですね」
「………え?」
何の気なしに訪れた実家。読みたい本が父親の書斎にあることを思い出したのだ。居候である住人の昴は工藤家の親戚であるコナンを快く迎え入れてくれた。
天井の高い書斎は暖房が効きにくいからと、大広間のソファーに手を引かれ、紅茶とお菓子までご馳走になりながら和やかな時間を過ごしていた。完全に気を抜いていたコナンに事件は時を選ばず発生する。
「…突然何云ってるの、昴さん?」
「突然ではありませんよ。前々から気になってはいたんです。長い間、姿を表してないのに未だ警察に信頼されている平成の高校生探偵に。そして、その彼と同じくらい優秀な君に」
「…新一兄ちゃんと僕は親戚だから似てて当たり前だよ」
「えぇ、そうですね。だけど血が通っていても、こんなに似るものなんでしょうか?」
にっこり笑った昴がコナンを手招きする。冷や汗を流しながらも重たい足を向かいのソファーに運んだ。否定する言い訳を必死に考えて昴に近づいたが、その僅かな努力は見せられたモニター画面によって吹き飛ぶ。
「な、なにこれっ!?」
「見ての通り、工藤新一君ですよ」
画面に映っていたのは、かつてマスコミに持て囃されていた工藤新一。恐れを知らない自信に満ちた笑みを浮かべ、堂々とカメラの前に立っていた自分を殴りたい。個人のサイトと思われるページに並ぶ大量の写真に心中で叫ぶ。
(肖像権の侵害だろ!誰だこんなサイト作ったのは!)
「…これは新一兄ちゃんでしょ?全然僕と似てないよ!」
「そうですか?これなんかよく似てると思いますよ。ほら、君の綺麗な蒼い眸と理知的な眉の形。鼻筋の美しさにも面影がありますし、唇の愛らしさなんて流石女優さんの息子さんと云ったところですね」
昴が指し示した写真はカメラ目線の一枚。
「……昴さん、何云ってんのか僕ちょっとわかんない…」
余計な修飾は悪趣味なからかいだとして無視しても、昴の指差した写真は無視出来ない。ジャケットに蝶ネクタイ何て格好はパーティー会場だから、コナンの服は新一のお下がりだからと云ってもこの服装はコナンを連想させすぎる。
(──何かもっと決定的な言い訳を云わないと!)
「んー。だったらこれはどうでしょう?」
冷や汗で掌をびっしょり濡らして固まるコナンを、軽々膝に乗せて昴がキーボードに手を伸ばす。片手で器用に操作された画面はパスワード入力画面にたどり着いた。
「このパスワードを手に入れるのは少々苦労しました。このサイトを作ってる方、余程の工藤新一ファンらしくてマニアックな質問に答えないと教えてくれないんですよ」
そんな情報一生知りたくなかったと更に身を強張らすコナンを、昴は容赦なく追い詰めていく。
「…………」
「ね、今のコナン君とそっくりでしょう?」
画面に映った写真は過去の工藤新一。どうやって入手したのか、メディアに出始めた高校生ではなく、中学生や小学生の時のものまで。今の時代、恐ろしいのは名探偵でも犯罪組織でもなく、個人のストーカーなのか。
「し、新一兄ちゃんに報告しないと…」
「あぁ、大丈夫ですよ。後で私が責任を持って潰しておきますから」
何を、どうやって、とはコナンに尋ねる余裕はなかった。コナンの敵は画面の向こうではなく、優しく抱き上げながらも腕を回して逃がしてくれないこの場に居るのだ。
膝に抱えられたままのコナンの顔を背後から上向かせ、眼鏡を外される。
「…本当に瓜二つだな、ボウヤ?」
逆さまに覗きこんだ昴の眸は鋭いFBI捜査官のものだった。





相手が悪過ぎる。
今までもコナンの正体を見抜いた人間は存在する。予定外ではあったが、彼らを許容出来たのは敵になりえないから。だけど昴は分からない。強い目的がある彼は、場合によってはコナンの味方から外れる可能性があるのだ。
お互いに譲れない願いがある以上、コナンの正体は隠し通さなければいけない。

赤井秀一は確かにコナンを子どもだと信じていた。だから気づかれたのは最近の筈。彼への信頼から油断していたのだろう。
確信を持って問い詰められなかった事が唯一の幸いか。恐らく推察した状況証拠だけで決定的な証拠がない。あんな風に遠回りな問い詰めをした昴の胸中は分からないが、出来れば疑惑で留めたいところだ。
(…どうやって誤魔化そう)
哀の手を借りにくい現状で、蘭より難しい相手の目を誤魔化す方法なんてそうはない。
悩みに悩んだコナンが思いついた手段はシンプルな方法。とにかく今後は油断せずに工藤新一の証拠を与えない。そして、より子どもを強調して工藤新一を連想させないこと。
(たとえ昴さん相手でも為せばなる!)
最早、冷静に緻密な知略も立てられず、力業で突き抜けようとするほどコナンは焦っていたのだ。





それからというもの、コナンは日々微力な努力を始めた。
まずはアイス珈琲を止めた。子どもは珈琲なんて飲みはしない。代わりに選んだのはオレンジジュースかリンゴジュース。子どもといったらこれだろ、というのは完全に偏見だったが、大人の思い描く理想の子どもという意味では正しい。
新一の子ども時代の服も着るのを止めた。多少の罪悪感を抱きながらも、子どもっぽさ故に避けていた蘭の買ってくれた服を身につける。喜んだ蘭が益々可愛らしい服を買ってきて、少年らしさがやや中性的な姿になってしまっても不満など云えやしない。
「あなた趣味変わったの?まぁ、似合ってるからいいけど…」
コナンの変化に哀が首を傾げたりもしたが、他は概ね好評だ。特に大人受けは凄まじい。子どもは子どもらしく可愛いものである路線は大成功。外堀を埋めた後は昴相手に子どもらしさをアピールして、工藤新一疑惑を払拭させる。『男子高校生がこんな事する筈がない作戦』は、地道にかつ着実に押し進められていた。

地道な努力も昴に子どもらしさを見せつけなければ意味がない。なので積極的に昴に近づいた。今まで以上に家に遊びに行ったり、ゲームに誘ったり、外に出掛けたりと様々だ。一緒に過ごすことで彼の中の疑惑を晴らす為に。
「何か違うのでは?」、と云ってくれる親切な人物は生憎存在しない。

「映画のチケットを頂いたんですが、アニメと洋画のどちらが観たいですか?」
と云われれば勿論アニメを選び。
「動物園に行きませんか?」
と誘われたら一も二もなく頷く。
いつの間にか昴から誘われる事の方が多くなったが、寧ろ都合が良いと断らなかった。
気になったのはあの日から工藤新一の名前を出されることがないことだ。昴がコナンの前で新一を気にかけたのはあの一回のみで、コナンの正体を探られることもない。
(…様子見してんのかな?)
昴が何も云わなければ云わないほど疑心暗鬼になってしまう。そろそろこちらから決定的事を仕掛けた方が良いのだろうか。
「なぁ、灰原。子どもらしさって何だ?俺が持っていないもので」
「…さぁ?怖いもの知らず過ぎるくらいかしら。子どもらしく見せたいなら、もう少し躊躇しなさいよ」
なるほど、そうかと頷くコナンが思い描いたのはお化け。まさか昴相手に試そうとしているとは知らない哀が思い描いたのは殺人犯などの犯罪者。知っていればコナンの方向性の間違いを指摘してくれただろうに。





ホラーDVDを持って工藤邸を訪れたコナンを昴がいつもと同じく笑顔で受け入れた。
「コナン君がホラー映画を観たいとは意外ですね。お化けや幽霊は信じていないのでは?」
「…信じてないけど、独りで観るのは怖いから…」
「おや、珍しい事を云いますね」
方眉を上げて面白いものでも見たように昴が苦笑する。これまでの子どもアピールが浸透していないのか。無駄な努力だったとしても、今日の計画を止めるわけにはいかない。『男子高校生がこんな事する筈がない作戦』はこれが最終手段なのだ。
決意を固くするコナンに「何か違うのでは?」と云ってくれる人間はやはり現れなかった。お伽噺のように都合の良い登場人物は現実に存在しない。

まともに見たことがなかった邦画のホラーは流石に少し肝が冷えた。洋画のスプラッタやゾンビは平気でも、邦画のホラーは日本人を震え上がらせる。幽霊を信じているわけではない、映画の出来が良いのだ。誰に対しての言い訳か、胸中そう呟きながら隣の昴に身を寄せて震える姿は、傍から見れば本当にコナンの理想としたただの子ども。暗闇の中、昴がそんなコナンを目を細めて眺めていた事に気づくこともなく。
見終えた時には若干血の気が引いた状態だった。
「大丈夫ですか?」
「…平気。…ちょっと想像してたよりは怖かったけど」
「コナン君も怖がることがあるんですね」
あまり怖がっていると思われるのも男として否定したくなるが、今日は我慢である。この先が大切なのだ。
「もう遅いですから、車で送りましょうか?」
(──来たっ!)
昴に寄りかかっていたコナンは今こそ『男子高校生がこんな事する筈がない作戦』を発動する時だと気合いを入れる。
昴の服の裾を掴み、上目遣いに怯える子どもを演じきる。
「今日、おじさん麻雀に行ってて帰って来ないんだ。…独りで寝るの怖いから泊まっても良い?」
「…………、えぇ」
(──どうだ、見たかこの子どもっぽさ!)
これだけやれば工藤新一だとは思うまい。作戦をやり遂げた満足感で一杯のコナンは、昴の微妙な声の変化を気にしなかった。お婆さんに化けた狼の不審さに散々文句をつけた事も遠い日々。





懐かしいシーツの感触で目が冷めた。それとは正反対に初めて体験する全身の痛みに悲鳴を上げそうになる。実際は枯れ果てた喉では掠れた声しか出なかった。
「……何故こうなった」
完全な子どもを演じきって、昴から工藤新一疑惑を払拭することが目的だったのに。何故かコナンは全裸でベッドの上で呻いている。おかしい。頭上からはクスクスと小さな笑い声が聴こえ落ちてくる。
「及ばずながら推察しますが、恐らく君は手段を間違えたのでしょう。そして相手も悪かった」
「………」
「自ら美味しそうに装って、それを強調して、狼の寝床に潜り込んだ。食べられて当然だと思いませんか、工藤新一君?」
昴は疑いではなく、とうに確信していたのだ。コナンの正体を。身体をまさぐられながらそれを告げられ、返答を迫るなんて最早脅迫。数々の努力が滑稽に思えていっそ泣きたくなったコナンに「あまりに可愛い行動をなさるので食べたい衝動を抑えるのが大変でした」などと云って本当に泣かせた。人前で泣いたのは子どもの時以来だ。
「…昴さんは猟師だと思ってました」
コナンの最高の味方である、優秀なスナイパー。信用はしてなくても誰よりも信頼していた男。助けてくれる猟師だと思っていた相手にこんな形で襲われるなんて。
「ボウヤは大事なことを一つ忘れている。…猟師が男だって事です。好きな相手がベッドに潜り込んで来たら猟師だって狼になるに決まってますよ」
昴の言葉にコナンが目を見開く。
「…僕が好きなの?」
「猟師は紳士な男ですよ。誰彼選ばずに襲う訳がありません。まぁ、既に何度も云った筈なんですけど」
昨夜に、と云われても覚えてない。重たい腕を持ち上げて、何とか一回叩きつけただけで腹立ちが霧散してしまった。
笑う男に怒る気力も残ってない時点でコナンの返事も分かりきったもの。
「…紳士な猟師なら責任持って残さず全部食べてよ」
「望むところです」

その日の朝食は久しぶりの美味しい珈琲にありつけた。現実も案外ハッピーエンドに話が纏まるらしい。



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