■ 飛行機雲を掴む方法

どんな小さなことも見逃さない名探偵も自分のことになると中々鈍い。
特に自分が関係する色恋沙汰となると、途端に見た目同様の幼い反応を見せたりするのだ。幼馴染みの少女に対する煮え切らない態度は、殺人犯を前にした時のような頼もしさがかけらもない。
そのギャップの激しさに呆れるやら、苛つきながらも、哀は傍観者の立ち位置から見守ってきた。胸の奥底に名探偵に対して一種の愛情があることを自覚していたが、それ以上に彼の幸せを願っているのだ。



飛行機雲を掴む方法



大人の目から見ると大概の子どもは可愛いものである。それは見た目の愛らしさだったり、言動の微笑ましさだったり、或いは両方だったり。余程の子ども嫌いでなければそう思うだろう。幼い身体でありながら実年齢が大人に近い哀は、実感を持ってそれを知っている。
お世辞にも愛想が良ろしくない哀でも「可愛い」と云われるのだ。愛想の良い子どもはもっとだろう。大人の好感を利用している江戸川コナンは、もちろんそれを知っていて精一杯可愛く振る舞い、上手く活用している。
そう、彼は「可愛い」など云われ慣れている筈なのだ。それなのに──。

阿笠邸に子どもたちが集まり、隣人の男が差し入れを持ってやって来る。最早珍しくもない光景。
ゲームに夢中の歩美と光彦。博士の作った飛行機のラジコンを部屋の中で飛ばそうとする元太と、それを叱りつける哀。そんな賑やか過ぎる部屋のソファーで昴とコナンが話をしていた。ゲーム音楽で会話の内容は聞こえないが、昴の柔らかな笑みとコナンの無理のない無邪気な表情から、単純に楽しい会話なのだろうと哀は思った。ゲーム音楽と子どもたちの声が途切れたのは一瞬。
「───」
昴の声が哀の耳に届いた。話の前後は分からない。ただ、「かわいいですね」と聞こえたのは確かだ。ソファーの方を見ると、昴は変わらず笑みを浮かべてコナンに向き合い、一方のコナンは俯いた横顔の頬がやや紅かった。
(──なんて顔してるのよ)
恥ずかしそうに俯いて、しかし嫌悪はない。哀にはそう写った。
「なぁ、灰原!もう部屋の中でやらないからコントローラー返してくれよ。皆で外に飛ばしに行こうぜ!」
「…そうね。回覧板を回しに行った博士が帰って来たらね」
元太にそう答えてから再びソファーを見ると、コナンの表情がいつも子どもたちに見せる、頼り概のある生意気なリーダーのものになっていた。
「元太、それは十年以上昔の飛行機なんだ。飛ばすには結構コツがいるんだぜ」
「マジかよ!俺にも飛ばせるか?」
さっきの顔は気のせいだったのか。そう思うくらいの変貌。歩美と光彦も加わって何処に行けば自由に飛ばせるか相談し合う彼らを、離れた位置から昴が優しい表情で眺めている。この男は一貫して変わらない。
(…あの「かわいい」は何だったのかしら)

気のせいかと思ったコナンの表情を、それから度々見ることになる。
それはいつも昴と一緒に居る時、人の目が二人に向いていない時に限られた。忙しない日常や事件の中でふとした瞬間に訪れる。哀が気づけたのは、あれから然り気無くコナンの様子を気にかけていたからだ。
何気なく髪を撫でたり、手を繋いだりする昴に困惑しながらも拒否しないコナンに、哀は不可解でならない。コナンの昴に対する態度はまるである感情を連想させるからだ。



「ねぇ、あなた『かわいい』って云われたことある?」
「…いきなり何の質問だよ」
博士の開発中の道具を見に来たコナンを地下に招いて訊ねる。実験台に並んだ器具を興味深げに眺めていた顔が、驚いて目を瞬かせた。
「ただの興味本意よ。参考までに」
「だから何の参考だよ。…まぁ、蘭は良く云うな。俺のことを弟みたいに可愛がってるし。あと知らない大人たち。やっぱり女の人が多いな」
「男に云われることはないの?」
「んー、大人からすると子どもに男女はないからなぁ。結構云われるけど」
それはコナンが見目も良く、節度のある大人受けのする子どもだからだろう。
「云われて嬉しい?厭じゃないの?」
「…いや、俺やお前は本当の子どもじゃないだろ。大人ぶりたい子どもの矜持もないし、単純に可愛がってくれてるのが分かってるから。有難うって答えてるけど?」
確かに通りすがりの大人に「まぁ、かわいい子ね」と声をかけられても(殆ど犬猫を可愛がるそれと同じだ)、「えへへ、ありがとう」などと素直かつあざとい笑顔で返しているのを何度か見たことがある。多分、本物の子どもよりも多い。彼は大人キラーなのだ。
「……じゃあ、お隣のあの人に『かわいい』って云われたら?」
「え?」
「あなた彼に可愛がられてるじゃない」
「いや、そんなことは…」
「御託はいいから、何て思ってるの?」
それまで何ともない顔だったのが一変して狼狽え出す。なんなのだ、その反応は。
「や、昴さんは身近な人だし、ちょっと照れるって云うか…むず痒いって云うか…」
あの時みたいに昴を前にしたかのような表情。若干俯いて頬を紅く染めて困ったように狼狽えている。だけど否定の感情はないのだ。
「嬉しいの?厭なの?」
「い、いやなわけねぇだろ!嫌いな人じゃないし…ただちょっと困る。何か心臓がドキドキしちまって…どうしたらいいのか分かんなくなるから」
「………」
この馬鹿は自分が何を云ったのか分かってないのか。先程までの堂々としたあざとい子ども演技の解説は何処へやった。昴にもそれで返せばいいのではないか。
「ドキドキするのはあの人だけ?蘭さんにはしないの?」
「……したりしなかったり?」
何故疑問系なのだ。そこははっきり「蘭にはもっとドキドキする」とか答える場面じゃないのか。
「…なぁこれ、何の参考にするんだよ」
「私の心の整理の為の参考よ。もういいわ。……私、今まで大きな誤解をしてたみたい」
「誤解?」
「えぇ。あなたが名探偵であることは認めてるけど、これに関してここまで鈍いなんて思ってなかったのよ」
「…訳わかんねぇんだけど」
その台詞、そのままそっくり返してやりたい。自分のことにこれ程鈍い人間が、何故人の感情が深く絡む殺人事件の推理など出来るのだろう。残念ながら、その理由を答えてくれる名探偵はここにはいない。
可愛らしく小首を傾げて悩む、役立たずの名探偵の姿に大きく溜め息を吐いた。
「…私には可愛いより小憎らしく思えるわね」





とある休日。
今日も少年探偵団の子どもたちは阿笠邸でわいわい賑やかだ。先日は飛行機だけだったが、博士が何処からか出してきたヘリコプターや戦闘機のラジコンまである。コナンはどれも見覚えがあるらしく、目を輝かせて子どもたちに説明している。つまりこれらは彼を溺愛している博士のかつての手作り玩具なのだろう。午後はまた飛ばしに外出することになりそうだ。

「彼らに混ざらないのですか?」
「あなたに云っておくことがあるのよ」
焼きたてのクッキーを持ってやって来た男の隣に腰を下ろす。コナンのように触れるくらい近い距離ではない。人一人分、これが哀と昴の距離。
「私に話?彼らに聞かれたくない内容ですか?」
「そうね、江戸川君には聞かれたくないわ」
そういうと、昴は面白そうに口角を上げた。改めて見ると、胡散臭い笑みだと哀は思った。この男はコナンとは別の意味で偽りの塊だ。どこまでも本心が見えない。
「…彼を惑わすのを止めてほしいの。あなた、大人なんだから彼の心の揺らぎに気づいているでしょう?あんなに分かりやすいもの」
コナンが昴に抱いているのは恋ではない、今はまだ。形になっていないそれを固めていくのを止めて欲しい。
哀はずっとコナンは幼馴染みの少女のことが好きなのだと思っていた。コナン自身もそう思っている。だけどそれは、本人も自覚がないほどあやふやで、柔らかく、完全に形作られてない。恐らく、形を得る前に幼馴染みと歪な引き裂かれ方をしてしまった距離が、彼に恋だと思い込ませているのではないか。元々大切だった相手と自分を離したくない焦りから。
それを思うと悲しいが、彼が元の姿を取り戻し、時間と余裕をもてば彼らは自然と恋人になれるだろう。
それが一番幸せな筈だ。
「…随分勝手な意見ではありませんか?」
「そうね。勝手なのは承知の上よ。これは私の希望だから」
江戸川コナンと工藤新一の幸せを願う哀の希望だ。
「君の希望は可能な限り叶えてあげたいと思っています。私は君の幸せを願っていますから」
昴からの予想外の言葉に思わず顔を見上げる。男の笑みは穏やかで優しいものだった。本心だと思ってしまいそうだ。
「…だったら」
「だけど、これだけは叶えてあげられません。彼の心は私が決めれるものではありませんから」
昴の云う通りだ。
「あなたが彼を可愛がらなければいいだけじゃない。無駄に優しくしないで」
「それも無理です。私は彼を可愛いと思っています。とてもね」
「…無理なのは一つだけじゃないの?便利な物言いね」
「私は大人ですから。狡くて身勝手なのは自覚してます。君も彼も本気で幸せになってほしいですし、私自身も幸せになりたいと思ってます」
哀は驚いた。この男がそんなことを云うとは思ってもみなかったのだ。

誰かがラジコンを落としたらしく、鈍い音と騒ぐ声が響き渡った。はっとして子どもたちに目をやると、泣きそうな歩美が大丈夫だと阿笠博士たちに慰められている。コナンの手の中にある飛行機はプロペラ部分が少し変形しているようだ。
「…あなたの幸せと彼を可愛がることに関係があるの?」
「もちろん。私はコナン君のことが好きだからそうしてるんです。可愛いと云いたいし、優しくしたい」
誤魔化すことなく告げられた言葉に、哀は僅かに身体を震わせた。誤魔化す必要がないくらい、昴は本気で云っているのだ。
「……彼は男だし、まだ子どもよ」
「そんなことは大した問題ではありません。大事なのは彼が私に恋をしてくれるかどうかです」
「彼に伝えたの!?」
「いいえ」
昴の返事にほっと息を吐く。よく考えたら分かりきったことだ。もし伝えていたなら、コナンは哀にドキドキするなんて云わないだろう。恋愛感情に鈍くても、気づいた途端に彼の思考回路は冷静さを取り戻す。人に悟られるような真似はしない。
「…彼は今、とても大きな悩みや問題を抱えているようです。そんな中、無理矢理私の感情をぶつけても困るでしょう。形が整っていないもの下手につついて歪ませたくありません」
「自然に形作るなら彼女の方が優位じゃないの?」
何処か自分が勝ち取る自身が垣間見え、腹立たしく思って睨む。そんな哀に男は困ったように苦笑した。
「彼に好かれているという多少の自惚れはありますからね。後は時間と私の努力次第です。負けると思って勝負に挑んだりはしません」
「…あなた本当に大人げないわね」
子どもだと信じているコナンにここまで本気になれるものか。まさか正体がばれているのでは。
(…高校生っていうのがばれてても、男ってことは変わらないのよね)
コナンが何歳だとか性別が男だということは、昴にとって本当に些末なことなのだろう。全く、性質が悪い。こんな男を引き寄せた鈍い子どもも。

「灰原!昴さんも飛ばしに行こうぜ!」
「壊れたんじゃないの?」
コナンと子どもたちが、それぞれラジコンとコントローラーを手に持って駆け寄って来た。変形した筈のプロペラが元に戻っている。
「これは博士の手作りだから。直すことも簡単さ。なぁ、博士!」
「まぁ、わしの腕もまだまだ捨てたもんじゃないということじゃ」
可愛がっている子どもに信頼されていることが嬉しいのだろう。博士の顔が緩んでいる。
「…阿笠博士の方が強敵かもしれませんね。気を引き締めないと」
「…もう私は、彼が幸せになるなら何でもいいわ」
彼の幸せは彼が決めるのだと、当たり前のことを忘れていたようだ。
はしゃいで外へ出かけようと急ぐ子どもたちと、同じくらい待ちきれない様子のコナンが昴の手を取って急かしている。
哀も阿笠博士の背を押して玄関に向かった。

外は雲一つない青空が広がっている。


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