■ 意識しちゃってください



意識しちゃってください



渚は朝よりも軽い荷物を持って廊下を歩いていた。
午後の授業で受けた抜き打ち小テストの結果が想像以上に酷くて、殺せんせーに個人授業をしてもらっていたのだ。慣れないお菓子作りの為に、休日を潰してしまって苦手な教科なのにろくに復習してなかったことが原因か。
はぁ、と小さなため息が出る。
苦労して作ったカップケーキは無駄に終わってしまったし、テストはぼろぼろ。昼に殺そうとした相手に補習してもらうなんて、どうしようもなく間抜けな光景だ。もちろん、殺せんせーがそんなこと気にするはずもなく、手厚い補習内容で渚を助けてくれた。
本当に先生を殺せる日が来るのか。時間は限られているのに道は果てしなく遠くて厳しい。

「なーぎーさーくーん」
「わわっ」
背後からずっしりと重みが掛かり、思わず身体が前に倒れこむ。
「おっと危ない」
今度はお腹に腕を回されてそのまま引き寄せられた。
軽く咳き込んだ後に顔を上げて背後を見る。
「カルマ君。びっくりしたし危ないよ、もう」
「ごめん、ごめん。目の前に抱きつきたくなる身体があったから、つい」
抱きつきたくなるとは何だろう。業が他のクラスメートにそんなことをやってる姿は見たことないが。
「小さいってこと?」
「ちっちゃくて可愛いってこと。ぎゅってしたくなるでしょ」
判るような判りたくないような理由だ。
渚は腕をやんわり外し、業の横に並ぶ。授業が終わって大分経つのにどうしたのかと尋ねると、意外な応えが返ってきた。
「渚君と一緒に帰りたくて待ってたんだ」
「…それだけ?」
偶然一緒に帰ることは時々あるが、わざわざ一時間近く自分を待っているなんて。何か大切な話でもあるのだろうか。

「聞いたよ。俺が昼寝している間に重大事件が勃発したって」
「重大事件?…あ、もしかして僕がカップケーキで暗殺失敗したこと?」
重大でもなければ事件とも云えないような結末だったのに。
「そう、カップケーキだよ!渚君の手作りカップケーキをあのタコ先生が全部食べちゃっただなんて…」
渚が考えていたことと業の考えは少しズレていたようだ。
「一個も残ってないわけ?」
「うん、僕らで食べた後は殺せんせーに全部あげちゃったから。ごめん…もしかしてカルマ君甘いもの好きだった?」
作戦を決行するまえにお礼の意味も込めて奥田さんに、ついでに茅野、杉野と一緒に食べた。職員室にいるだろう教師三人分は最初から考えていたが、クラスメート全員には考えてなかった。あくまで目的は暗殺だ。

「好きに決まってんじゃん。渚君の手作りだよ。何でも食べるよ、ケーキでもクッキーでも和菓子でも!」
業がそんなに甘党だとは知らなかった。殺せんせーの観察を始める前から周囲の人のことも自分なりに見てたつもりだったのに。ましてや業はE組に来る前からの友人なのに知らないなんて、悪いことをしたかもしれない。
「ごめんね。帰りにアイスでも奢るよ。それともケーキの方が良い?」
「…渚君って。いいよ、今日は俺が奢ります。その代わり今度また何か作って食べさせて」
がっかりした顔は一瞬で、直ぐに払拭するような眩しい笑顔と言葉に渚は頷く。

じゃあ帰ろうと二人で歩き出す。
「茅野さんに聞いたけど、殺せんせー以外にも烏間先生の分まで別に作ったんだって?確かにあの人甘いもの駄目そうだけど、ならあげなきゃいいだけなのにさ」
古い建物は一歩進む度に木の軋む音がする。
「え、だって先生三人いるの判ってるのに一人だけないなんて…。前に女の子たちが、烏間先生は甘いもの苦手だって云ってたのを聞いてたから」
甘味好きの殺せんせーを殺すためのお菓子。ネットで自分でも作れそうなものを選んだはいいが、こんな甘いものを烏間は食べてくれるか悩んだ。折角作るなら食べてもらいたい。ぐるぐる悩んだ結果、一つ分個別に作ることになった。
「その気遣い、俺に欲しかったなぁ。烏間先生には勿体ないよ」
ふざけて口を尖らせる業に渚は苦笑した。

烏間は本当は教師じゃない。だけど雰囲気は三人の中で一番先生っぽいと渚は思う。常に眉間に皺を寄せていて、体格が良いので最初は怖かったけれども、頼りがいのある優しい大人だと今は皆知っている。
かっこいいと騒ぐ女の子たちの気持ちが渚にも少し判る。男子たちも普通の教師に対する態度よりかなり行儀が良い。緊張もあるだろうが、皆どこか憧れてを抱いているのだろう。渚自身、殺せんせーに対している時とは別の緊張感でドキドキしてしまう。
今日のお昼にお菓子を受け取ってくれた時は本当に嬉しくて、表情を装うのに苦労した。殺せんせーに毒入りケーキを差し出したときはもっと自然に振舞えたはずなのに。何故か頭まで撫でられてしまい、顔が火照って困った。触手じゃない(当たり前だ)本物の大きな大人の手だ。
あれは業と同じ理由だったのか。人は自分よりも小さき者見ると抱きしめたり、頭を撫でたりしたくなる生き物なのかもしれない。
(…って、そんなわけない!)
自虐めいた思考を頭を振って払おうとして足元が愚かになっていることに渚は気付かなかった。
「危ないっ」

一災起これば二災起こる。泣き面に蜂。ついてない日はとことんついてないと云うのは本当らしい。何かに足が引っ掛かって転倒してしまった。
「いたた…って、あれ?」
おもいっきりずっこけたのに大して痛くない。身体の下の感触もおかしい。
もしかして、とそっと目を開けて見えた光景は予想していた人物ではなかった。
「君、大丈夫か?」
「はっ、はい。平気です」
渚の身体はすっぽり抱えられて業、ではなく烏間の腕の中だった。正確には床に滑り込んだ烏間を下敷きにしてる状態だ。
「わっ、すみま…」
「ああ、床板が浮いているな。明日までに直しておこう」
謝る暇も退く暇も与えずに烏間が渚の後方を見て云う。抱えられたまま烏間の視線を辿って振り返ると、確かに床板の一部が僅かに浮いている。古い校舎だからあちこち傷んでいるのは仕方がない。
「もう、烏間先生邪魔しないでよ。俺の出番なくなっちゃったじゃん」
「邪魔?」
「渚君を助けるのは俺の役目って決まってるの。だから余計な手出ししないでよ、先生」
業が烏間に向かって奇麗に笑う。停学からあけたばかりの頃浮かべていた笑みに似ている。
「それは…」
「言葉のままの意味。判るよね、烏間先生大人だもん」
自分のことを話題にしているようだが渚には口が出せない。烏間と業の間に、主に業から冷たい空気が流れているようで背筋が寒い。業は渚や他の男子たちと違って烏間に憧れてなどない、だけど特に嫌っている様子もなかったのに。まだ教師という存在を嫌悪しているのだろうか。
「…赤羽君、目の前にいる人間が危ない目にあっていて助けるのは極自然なことだ。自分の出来る範囲でな。今回は私の方が潮田君を助けられる位置に居たというだけのことだ」
そう無駄に威嚇する必要はない。烏間は淡々と、しかしはっきりとした声音で業に告げた。
空気に呑まれてぼけっとしていた渚を軽々持ち上げ、床に下ろす。そして渚の上から下まで視線を流し、昼間と同じようにぽんと頭を撫でた。
「怪我が無いようでよかった。奴に補習が終わったと聞いたから、昼のお礼に来たんだ。初めて食べたが旨いものだな。ありがとう」
「こちらこそ助けてもらってありがとうだよ、先生。あと、…下敷きにしちゃってごめんなさい」
「……全然渚くんが謝る必要ないし寧ろ良い思いしただろって云うか俺の上に乗って欲しかったって云うか食べたかったって云うか何ていうか…あんたムカツク!」
「カ、カルマ君!?」

ノンブレスの早口の不満では足りないらしく、すっかり機嫌を斜めにした業をケーキでもアイスでも御飯でも好きなだけ奢るから早く帰ろう!と宥めて渚は逃げるように学校を後にした。



「イリーナに指摘されるだけでなく、あんな子どもに牽制されるくらいあれなのか、俺は。…そうか」
年長者として当たり前の対応、のつもりがつい剥きになって対抗してしまった。仕事ばかりでそっち方面が鈍くなっていたらしい自分と、自覚した途端に壁だらけの現実に頭を抱えている男が一人残された。



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