■ わがままBaby




わがままBaby



ぱちり、と目を覚ました渚の視界に入ってきた風景は思いがけないものだった。見慣れた自分の部屋の天井や壁紙ではない。顔のすぐ側にあったのはどう観ても人の肌。しかも筋肉の線がくっきり浮き上がっている男の肌だ。
「あっ」
漸く自分の状況に思い至り、既に遅しと判っていながら両手で口を塞いだ。
(…そういえば泊まったんだった)
思い出した途端、全身のだるさやあらぬ場所の傷みなど、最近覚えたそれらに一気に襲われる。
(うわー、本当に泊まっちゃったんだ…)



とても大っぴらには云えないが、渚は現在(表向きは)教師の烏間とお付き合いなるものをしている。防衛庁所属のエリートで生真面目な大人の男と、なんの変鉄もない(学校内ではむしろ落ちこぼれ)中学生男子が結ばれるまでには結構なごたごたがあったわけだが、それも既に過ぎ去った出来事である。時間とは常に進み続けているもので、現在の二人は比較的穏やかなお付き合いをしていた。二人の多大な時間を占める学校生活を思えば本当にほのぼのとしたものである。
初めてのお付き合いで何をするにもどぎまぎしている渚に対し、烏間は経験豊富な大人。歳の差があるせいか喧嘩も起きない。言葉でも態度でもこちらが羞恥を感じるくらいに愛情を与えてくれる。学校生活を含めても毎日が充実して楽しい。これが世に云うリア充というものなのか。そんな風に幸せに過ごしていたはずなのに、渚は最近モヤモヤしたものを抱えるようになっていた。
モヤモヤしたものは正体不明のまま少しずつ存在感を増していった。
何も問題ないのに鬱屈した気持ちになるなんてどうかしている。自分がどうしようもない贅沢な駄目人間に思えてくる。しかしそうやって落ち込む一方、胸の中のモヤモヤはおさまってはくれない。そんな渚がモヤモヤ解消の為に出た行動が烏間に我が儘をぶつけてみる、という我ながら子ども染みたものだった。考えに考え抜いた方法がそれだった。モヤモヤが正体不明なら解決方法も正しいものにならない。





「今夜泊まってもいいですか?」
「…え?」
烏間が目を丸くして驚くのも当然だ。極普通の両親を持ち、家族仲も良い家の子どもが早々外泊出来る訳がない。実際、渚は家に泊まるほど親しい友人も居らず、烏間と深い仲になってからも遅くなった時も外泊だけは避けていた。烏間も泊まっていけとは云わない。それは二人にとって暗黙の了解のようなものだったのだ。
「実はもう親に友達の家に泊まるって云ってきちゃってるんです」
「…俺が駄目と云う可能性は考えなかったのか?」
「どうしても駄目だったらネットカフェとか、…最悪野宿でも今の季節なら大丈夫かなぁと」
「そんなこと許可するわけないだろ!大体君は未成年でネットカフェには…あぁ。…最悪でも俺が泊めると判ってたんだな、君は」
「だって、烏間さんは僕に駄目って云ったことないから」
「………」
それは渚が烏間に煩わしいと思われたくなくて、困らせるような言動は避けていたからだ。
言葉にせずとも当然のようにあった決まり事を破る発言をした渚を、烏間は眉間に皺を寄せて見下ろす。

(──流石にいきなりこんなこと云って怒ってるかなぁ?)
友人との約束が駄目になったと云って帰ることも出来るが、野宿する可能性、──限りなく低いがあるとしていて烏間が許可しない訳がないと確信していた。正しく計算ずくの行動である。
ただ、泊まる事を許可してもらっても、渚に対する烏間の心情がどうなるかまでは予想出来なかった。現状を把握出来ない愚かな子ども、或いは理性的な判断が出来ない我が儘な子どもと判断して嫌気が差すかもしれない。地球の滅亡の前に渚の愚行が理由で身の破滅、なんてことになるかもしれないのだから。
(──それとも他愛ないことだって苦笑いして許してくれるかな)
所詮子どもの浅知恵だと広い心で受け止めてくれるだろうか。
どちらにしてもあまり楽しい想像ではない。お互い無言の時間が数十秒過ぎた頃になって、今更渚の心に後悔の想いが押し寄せてきた。
(──何でこんなこと云っちゃったんだろ)
折角、奇跡の様に好きな人と付き合えているのに自分から不和になりそうな行動を起こすなんて。

無言に耐えきれず、フローリングの床を眺めていた渚の頭にそっと重みがかかった。
最近漸く馴染んできた手のひらだ。渚の知っている誰よりも大きくてごつごつ節が目立つ、力強くて優しい手のひらだった。烏間はよく頭を撫でる。学校では生徒に対する上出来の合図で、ここでは渚を可愛がるための行為として。
「確かに俺は君に駄目と云ったことがないな。君はいつも懸命に俺に気遣ってくれてるから」
顔は見えないが声から怒気は感じない。
(──呆れたのかな)
「渚、心配しなくても俺は怒ってもなければ呆れてもない。ちょっと驚きはしたが」
「…烏間さん、もしかして僕の心の中読んでるの?」
心中をなぞったかのような言葉に思わず顔を上げて烏間を見る。
「そんなわけあるか。そんなこと出来たらこんなに驚いていない。それに渚の不安にも気付いてなかった」
「…不安?」
渚は不安などない。だって二人の付き合いは穏やかで何も問題など起きていないのだから。
烏間が何を云っているのか判らず、首を傾げる。
「何だ、自覚しての大胆行為じゃなかったのか」
にやり、と口角を上げた笑みを見て、渚は脳内がパニックになってきた。
(──僕、何か不安になってこんなことしたんだっけ?ただモヤモヤしたものがあって…あれ?)

「取り合えず座ろう」
そう、烏間の自宅に来て落ち着く間もなく渚の爆弾発言があったのだ。事前に計画しての行動にしては急きすぎだ。自分でも知らない内にかなり緊張感していたらしい。
脳内パニックに陥っている渚を烏間は軽々持ち上げ、ソファに下ろした。否、ソファに座った烏間の膝の上に座らせた、が正しい。
「あの、僕、不安なことに心当たりがないんですけど…」
「それは自覚がないだけだ。察してやれなかった俺が云うのもなんだが、寧ろ不安が無い方がおかしい」
「えぇっ?だって何に不安になる必要があるの?烏間さんは凄く優しくて、僕のこと好きだって云ってくれて、いつだってかっこよくて、浮気してる様子もないのに…。え、僕が気付いてないだけでまさか浮気問題が発生してるとか!?」
まさか、そんな。正直考えたこともなかった。
「まて、変な方向に考え過ぎだ。俺が浮気なんてするわけないだろう」
最初は誉めすぎだと思ったのに何でそんな急ハンドルを切るんだ、と笑って渚の頬を撫でる。その微笑に渚はほっと安心する。今のところ浮気問題
はないようだ。

「そうだな、想像するに先のことだろう。今の関係に満足してるからこそ先のことが不安になる。例えば地球が──俺達の努力が実り、滅亡しなかったとして、その先はどうなるのかとかだな」
頬に手を当てたまま告げられた言葉に、息が止まるような気がした。先程貰った安堵は一瞬で立ち消えてしまったようだ。
二人の出逢いは、奇妙で優秀な教師のお陰で成ったものだ。地球が無くなれば未来など無い。あの大好きな教師の暗殺に成功したら、烏間との接点もそこで終わり。渚は普通に(椚ヶ丘じゃなくても)学校に進学して、烏間は地球規模ではない、それでも一大事な国の守りに戻るのであろう。いずれにせよ三月で全てが終わる。
見ない振りをしていた、どうしようもない現実だった。自覚してないのではなく、自覚したくなかった。

「泣かないでくれ」
気付かない内に片目から滴が零れ落ちていた。それを指で掬い上げられる。
「泣かせたくて云ったんじゃないんだ」
(──じゃあ、どんなつもり?)
「渚、君は俺を好きなんだろう?」
「すきです。すきに決まってるじゃないですか」
馬鹿みたいにこの男が好きなのだ。そうじゃなくなる自分なんてありえないと思った。
「だったら何も変わらない。──あの腹立たしい生物を殺すことが出来たとして、まぁ、今みたいに毎日会うことは無理だろうが。君が俺を好きでいてくれて、俺が君を好きなうちは二人の関係は変わらない」
喧嘩をしたり、仲直りしたり、愛情が深くなるだとかの細かいことは置いといて、今大事なことはそれだろう──と烏間が真面目な表情で云う。
「そんなこと子ども相手に云って良いの?僕、真に受けますよ?」
「本当に子どもだと思ってたら付き合ったりしない」
「いつも僕を抱っこしたり、頭を撫でたりするのに?」
「それは恋人に対する俺の大事な愛情表現だ」
真面目な表情が少し崩れて、声に微笑が含まれる。
「僕、ずっと烏間さんがすきですよ」
先のことなど誰にも判らないけど、今そう思っているのだ。
「だとしたら俺も嬉しい。俺もずっと君を好きだろうからな」



涙の後が残る頬に口づけを貰って、一頻り抱き締めたりした後に改めて宿泊の許可を貰った。
「泊めるのはいいが…ご両親は何も云わなかったのか?仮にも受験生だろ」
「僕、今まで友達の家に泊まったことなくて…、寧ろ喜んで送り出してくれました。青春を謳歌しなさいって」
「………」
それはそれで申し訳ないな、という呟きは烏間の胸にひっそり仕舞われることになった。
「ねぇ、烏間さん。何で僕が不安になってるって判ったの?自分でも気付いてなかったのに」
「あぁ、君は全く我が儘を云ってくれないからな。何かあったと思うだろう」
たったそれだけで?と渚は目を見開く。烏間くらい大人だと当たり前なことなのだろうか。
「だけどあまりにも突然で本当に驚いたよ。普段からもう少し我が儘を云ってくれたら俺の心臓にも優しいし、恋人としても嬉しいものだが」
「我が儘が嬉しいの?」
困らせられることが何故嬉しいのか。大人の男は謎だ。
「小さい我が儘を叶えてやることが大人の喜びだったりするんだよ」





昨日のことを思い出しながら烏間が目覚めるのを待つ。今日は休日だから、急用が入らない限り一緒に居られるはずだ。
烏間が目覚めたら朝食は出掛けようと誘ってみようか。少し遠出すれば人目も気にしなくていいし、行きたいけど自分で行くには遠すぎると茅野がぼやいていたパンケーキ屋は渚も興味があった。甘いものが苦手な烏間は眉根を寄せるだろうが、最終的には苦笑して受け入れてくれるだろう。
何しろ渚の我が儘はこの男の喜びにもなるらしいから。




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