■ 暑さが全ての原因です




暑さが全ての原因です



化け物に見えてもその実、中身は周囲の人間よりも常識的な思考をしている教師だと烏間は認識している。なのに教員室(たまに教室でも)で堂々とグラビア雑誌を読み耽るという行動は如何なものか。エロ本ではないところがギリギリ我慢している理由だ。せめて純文学を読んでいるが如く涼しい顔を浮かべていれば、こちらとしても大人として見て見ぬ振りを貫いてやるのに。表情豊かなこの謎の生物は教え子と同じ思春期真っ只中のように欲望が駄々漏れなのだ。
教員室に入った途端、この夏の暑さに盛大な鬱陶しさが加わって烏間のイライラゲージも最高ラインを割るのはあっという間だった。

「ぎゃあああっ!」
「余裕で避けてる癖に大袈裟な悲鳴を上げてんじゃねぇよ、暑苦しい」
腹立たしいが、こんな真正面からの攻撃がマッハ二十に敵うとは思っていない。対生物用の弾が籠められた拳銃を懐にしまい、烏間は苛立ちを隠さず乱暴に席に座る。
「当たらないのは当然ですけど!折角私とこのたわわなボディーの女の子があっはうふふしてる素敵妄想が良いところでとぎれちゃったじゃな、──ぎゃあ!私の本が!!」
「うるせぇっ、学校で何してんだ手前は!それでも義務教育機関の教師か!」
対生物使用の武器は他の物を傷つけるには向かない為、グラビア雑誌を引き裂いたのは烏間の素手によって塵と化した。破れにくいカラーページの束も元空挺部隊所属の烏間にはちり紙同然らしい。
「教師だって人間ですよ。万年発情期の人間がえろ思考なのは人類が誕生した瞬間からの常識じゃないですか。満員電車の中でスポーツ新聞の官能記事を読み耽るサラリーマンと同じですよ!」
「都合の良いときだけ人間のふりするな。大体電車の中で官能記事を読む行為は是非の問われる問題だ」
何故殺すべき相手とこんなくだらない問答をしなくてはいけないのかと眉をしかめながら、紙くずになった雑誌をゴミ箱に放り投げ、再び席に腰をおろした。



「あぁ、私の楽しみを台無しにしてくれちゃって…。もうっ、大体烏間先生は少し堅物過ぎるんですよ。これくらい同じ男として見逃してくれたっていいじゃないですか。貴方こんなグラビア雑誌で動揺する可愛らしい童貞じゃないでしょうに!」
触手でぺちぺち机を鳴らす相手に「殺すぞテメェ」と云えないのが口惜しい。この生物相手では脅し文句にならないのは今のところ厳しい現実だ。
──いつか絶対殺す。
決意を新たにする烏間に殺害対象の生物は収まらない不満をぶつけ続ける。
「うちの女生徒たちにも貴方のような三白眼のどこがいいのか好む子が居るみたいですし、イリーナ先生だって何だかんだいって貴方に矢印向けてるじゃないですか。モテるんでしょ、どうせ!」
ふんだっ、これだからモテる男は腹立たしい!などと検討違いの怒りをぶつける生物に烏間は呆れる。
「馬鹿か貴様は。生徒や同僚とどうこうなるわけないだろ」
確かに相手に困ったことはないが、烏間は遊び人ではない。自由の利かない男社会の集団生活が長かったこともあって、そこそこの付き合いをしてきた女性が片手ほどいたぐらいだ。一般的にみても平均かそれ以下の人数だろう。まぁ、玄人相手の一夜が無いとは云わないが。しかし皆、烏間の仕事とは全く関わりのない者たちだ。
「えぇー勿体ない。生徒は兎も角、イリーナ先生なんて美人の上にボン、キュッ、ボンですよ!しかも男なら誰もが一度は夢見る金髪碧眼!」
「夢見てんのはテメェだろ。自分の嗜好を勝手に人に当てはめるな」
「ギリィっ!よくも私の浪漫をばっさりと…!じゃあなんですか、烏間先生にはイリーナ先生が魅力的に感じられないということですか?一体どんな人が好みだって云うんです?どんな条件をクリアすれば欲情するんですか!?」
大人しか居ないとはいえ、最早教育現場でする話題ではなかったが、返答を考えてしまっている烏間も暑さで頭が沸いていたのだろう。元空挺部隊員、現地球滅亡を阻止する為に派遣された防衛省職員も、触手生物の云う通り暑さで疲労するただの人間だった。

イリーナは遣り手の殺し屋である。確かに初対面の時に比べればお互い認めあってきたと思うが、イリーナは相変わらず烏間に突っ掛かってくる。遣り手とはいえ、まだ二十歳の精神的未熟さも目につく。生徒たちに殆ど遊ばれてるところも頭が痛い。烏間にとってイリーナは目的を同じとする仲間であり、手のかかる妹みたいな存在に成りつつあった。イリーナにしても矢印を向けるどころか口煩い親父くらいに思っているのではないか。
「仕事と無関係なところで出逢ったら可能性も無くはなかっただろうが。見た目も調子に乗りやすい性格も可愛いもんだと思ったかもしれない、──殺し屋であることを除けばな。しかし仕事で出会った以上仲間より近い関係はなり得ない」
「オフィスラブという世間に支持されている一大ジャンルを知らないんですか、烏間先生!」
「世間がどうだろうが俺は知らん」
この生物はドラマやワイドショーに感化されやすい節がある。職場内恋愛など昔から一定数存在するが、別れた時の面倒臭さなどを考えて嫌厭する人間も多いというのに。
「じゃあ金髪よりも黒髪に拘りがあるとか?豊満なボディーよりもスレンダーな女性が良いと?確かに私も好きですよ、今は絶滅危惧種な大和撫子なんて大好物ですよ!」
ムフフとにやける超生物に心底呆れる。烏間の話を聞いてなかったのだろうか。
「…容姿は関係ない。恋情じゃなくて欲情なら性格もあまり関係ないな。要はタイミングの問題だろう」
「ははぁん、なるほど。万年発情期の人間にも関わらず烏間先生は発情のオン、オフがあるというわけですね。オンの時偶々目に入った人間がある程度自分の中の美醜ボーダーラインをクリアすると欲の対象になると」
「殺すぞテメェ。人を動物と一緒にするな!」
瞬間撃ち抜かれた銃弾はあっさり避けられる。
「フハハハ、殺せるものなら殺してご覧なさい。しかし先生、何事も決めつけるのは良くない、非常に良くない。奇しくも同じ教育者として忠告せざる得ません」
「何が云いたい?」
「何処で何時出会ったなどとか、お互いどんな立場かにも関わらずある日すとんと落ちる。──それが恋というものじゃないですか?」
どや顔でびしっと決めた超生物は「いやぁ、ちょっと恥ずかしいこと云っちゃった!」と触手をくねらせて羞恥に悶えている。
「…お前、欲情対象の話をしてたんじゃないのか?」
「え?あ、あぁっ!?恥ずかしっ!…いいじゃないですか!欲情も恋情も似たようなものですよ!好きならヤりたくなっちゃうでしょ!」
こいつを本当に教師にしてよかったのだろうか。そんな思いが烏間の頭を掠めたが、昼近くになり、いい加減暑さも極まってきたこともあって「自分の仕事には関係ない」の考えを元に一蹴してしまったのだった。







午後は烏間による体育という名の暗殺術修練の時間だった。
ただでさえ動きの鈍る食後だというのに、今日は暑さも厳しい。梅雨明けしてから然程日数も経ってないのに真夏並の日射しだ。短時間ならかなりの動きを見せる磯貝悠馬や前原陽斗も部活動で鍛えているわけではないので、人並みの体力しかない。後半になるにつれ、他のクラスメイト同様鈍ってきた。赤羽業に至っては暑さに嫌気が差したのか、午後から姿が見えない。
「いいなぁ、殺せんせーとビッチ先生。木陰でアイス食べてるよ」
生徒の声に反応して咄嗟に辺りを見渡すと、グラウンド脇の木々の隙間に何処から持ってきたのか、大きなパラソルの下でビーチチェアで涼をとる教師が二人──。最早怒りも湧いてこない。
「今日の授業はこれで終わりだ。空いた時間は水分補給して身体を休ませるように」
チャイムより早い授業終了に驚く生徒たちに担任を指し示す。あの生物のことだから気温のことを考えて生徒たちのぶんのアイスも用意しているだろうと踏んでいる。その予感は当たり、一足早く木陰に駆け寄った生徒が感激の叫びを上げた。
「暑さが続くならこの先の授業内容も一度考え直さないとな…」
太陽を見上げながら小さい呟きが溢れた。

木陰に集まった生徒たちは思い思いアイスや飲料水を手に涼んでいるようだ。烏間も少し距離をとって木に背中を預ける。上着は脱いでいるが、首元のネクタイが暑苦しい。

「先生もどうぞ」
暑さで参っているとはいえ、突如顔の前にペットボトルを差し出されて驚く。意地で表情には出さずに済んだが、一体誰だと水滴の滴るペットボトルをたどり、見つけた顔に納得した。
低い位置に特徴的な小さい頭。白い肌は日焼けしにくいのか、頬と首筋が汗を伝わせながら僅かに紅く火照っていた。潮田渚は時々気配を全く読ませなくなる稀有な存在だ。まだ意識して自在に操られる訳でもなく、本人もその特異さに気づいていない。烏間のように常に周囲を警戒している者にとっては不気味さすら感じる能力だ。
「…えと、烏間先生はアイスの方が良かったですか?」
小首を傾げて困ったように眉尻を下げる渚に、烏間は苦笑してペットボトルを受け取った。プロに畏怖を感じさせるこの少年は、欠片の悪意も持たず素直で穏和な子どもだ。そのアンバランスな様子に複雑な想いが込み上げる。
「アイスよりこっちの方が助かる」
「よかった」
実はアイスはもう品切れだったんです、出遅れちゃって。烏間の礼に安堵の表情を浮かべて笑う渚も片手に同じ飲料水を持っている。
「こんなに暑かったらアイスよりこっちの方が飲みたくなりますよね。みんな後で喉乾いたりしないかな?」
木々の隙間から見えるパラソルの元では生徒たちと教師二名の賑やかな掛け合いが伺える。渚がそちらに顔を向けながら熱を逃がそうと運動着の胸元をぱたぱた揺らし、身長差の為に上から覗き込む形になった烏間に他意などなかったはずだった。
頭が動いた拍子にまろい頬に滴が流れ落ちた。
顔を伝った汗が首筋を通り胸元に吸い込まれるのを見た瞬間、覚えたのはよく知っている、しかし暫く感じていなかった欲に酷い目眩がした。
──嘘だろ、おい。
───そんなはずがない。
確かに贔屓目に見ても可愛らしい、少女のような顔。烏間からすれば頼りない骨格に筋肉など無いに等しい身体つき。成長途中としても男臭さからかけ離れている。
──しかし紛れもなく男の子のはずだ。
───しかも彼は何歳だ?十四?十五?
超生物のグラビア雑誌妄想を叩いている場合ではなくなってしまう。
烏間は防衛省所属の地球滅亡阻止の為に派遣された現場責任者だ。十数メートル先で生徒たちとアイスの取り合いをしている触手生物を殺すことが第一で、第二はない。仕事が全てだ。
「先生?早く飲まないと温くなっちゃうよ」
クラスメイトの戯れを観ていた相貌がいつの間にか烏間を見上げていた。殺気も気配も無にしてターゲットに近づける癖に自分に向けられている視線に鈍い。無防備に晒されている唇に誘っているんじゃないか、だなんて万が一にも無い妄想をしてしまうのは暑さのせいか。あの生物の悪影響か。
「…そうだな。暑さで脳が溶けそうだ」
「そうですね。僕も溶けちゃいそうです」
貴重な木陰の中で本当に溶けて無くなりそうな、何処から現実離れした笑みだった。

容姿に拘りはない(充分過ぎるほどに上等だが)、性格もたいして気にしない(素直で穏和なことに文句があるわけがない)、タイミングだけが問題だと烏間は云った。
何処で何時出会ったとか、お互いどんな立場かにも関わらずある日突然──奴はその後何と云ってたのだったか。
「あー、決着着いたみたい。やっぱり殺せんせーが勝ったみたいだけど…もう全部溶けちゃってますよね。誰も気にしてないのかな」
欲情も恋情も似たようなもの──だとしたら欲を抱いてしまったこれは恋なのか。どうなんだ。考えようとしてもも頭が回らない。
「あぁ、暑いからな。皆頭が回ってないんだろう」
「そっか。…暑いから仕方ないですね」
冷えたら冷静な思考が戻ってくるはずだ。一晩寝て起きたらどうかしてたと思うはずだ。そうじゃないと烏間の立場として困ったことになる。



「…冷えても変わらなかったらどうするかな」


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