■ [番外]ありふれている大切なこと




ありふれている大切なこと



「そういえば、あれからどうなったのよ?」
「…質問するなら主語をつけろ。大体それが人にものを訊ねる態度か」
授業中の教員室。触手生物がいない部屋では新発売の高級コスメだとかをまとめ買いしたものを試すイリーナと、化粧品の放つ匂いにイライラしながらも黙って耐え続けていた烏間の姿があった。学校で化粧するなと何度注意しても「私の殺しの美学には自分が常に美しいことも含まれてるのよ!必要不可欠なの!」などと意味不明な逆ギレをするばかりなので諦めている。その美学とやらでとっとと奴を仕留めてくれるなら歓迎だが、色仕掛けもおざなり程度にしか通用しないことは既に判っている。
マスカラを念入りに塗りつけながらイリーナは器用に話続けた。
「潮田渚のことよ。あの仔猫ちゃんとはどうなったの?もう手は出したの?最後まで食べちゃったのかしら?…それはないわよね、あの様子じゃ」
「おまっ…!何云ってるんだ!?!」
思わず回りを見渡してしまう烏間だが、今は授業中、幸い聞いている人間などいない。
「何もしてないってことはないんでしょ?だってあの子、元々可愛らしかったけど、最近益々可愛くなっちゃって…男にしておくのが勿体ないわ」
「…何でお前に一々報告しなきゃならないんだ」
しらを通しきるにはイリーナは難しい相手だ。烏間よりもさきに烏間の感情に気づいていた上、殺しと同等に色恋沙汰もプロである。一般常識は足りなくても、恋愛柄みになると途端に鼻がきくようになるらしい。下手に隠しても意味がない。
「だってあの子、何度キスしても色気で迫ってもずっと初な反応なんだもの。やっぱりあんたより女の私の方が良い…きゃあっ!?な、なにすんのよカラスマ!」
気がついたらナイフをイリーナの身体すれすれに投げていた。対超生物用で人間には無害だから問題ないだろう。
「次渚に手出ししたら本物を使うからな。俺は女に手をあげる趣味はないが物事には限度がある」
「…ふんっ、好きな相手にろくに手出し出来ないへたれのくせに!」
「………へたれで悪いか」



平日は家に連れ込んではいけない。というのが烏間の中での暗黙の決まり事だった。烏間の仕事の関係もあるが、恋人は親の庇護下にいる年齢だ。特に門限はないらしいがあまり遅くまで引き止められない。だからといって休日に泊めることも憚られる。今のところ泊めたことはない。何もかも受け止める覚悟はしてるとはいえ、それは烏間の覚悟だ。渚がどの程度考えて烏間の手を取ってくれたのかは判らない。

「…あの、烏間さん話って何?」
平日に連れ込んではいけない、というのは烏間の一方的な決まり事だったが、渚も何となく察していただろう。そしてその決まり事を破って連れてこられた渚は、烏間の不穏な空気を感じ取っていつも以上に大人しい。床に腰を下ろす烏間の前でちょこんと正座して不安げに眸を揺らしている。
「あのな、云いにくいんだが…」
「い、いいにくい話って、えっ」
見る間に大きな目に泪を溜めていく渚に烏間が慌てた。
「まて!違うんだ!わ、別れ話なんかじゃない!」
「…え?…だって」

暖かい紅茶のカップを握る渚の顔をは珍しく眉が寄せられている。怒っているというより、別れ話だと勘違いして泣いてしまったことが恥ずかしいらしい。
「ひどいです。あんな切り出し方するから僕てっきり…」
「悪かった。変な云い方をした」
一回り年下の渚相手に謝るのは何度目か。これもイリーナが見たらへたれだと呆れて云われそうだが、へたれで何が悪いのか。烏間には渚の気持ちが自分の矜持より大事なのだ。
「それで、別れ話じゃない云いにくい話って何ですか?」
「…聞きたいんだが、君はそんなに何度もイリーナにキスされたりセクハラされてるのか?」
初対面でのキスは生徒たちが話してたのを聞いたことがある。セクハラも目撃したことがある。どちらも教師としての立場を逸脱しているときつく注意したが、それは烏間が感情を自覚する前の出来事だ。
「ビッチ先生のキス…?時々キスされたり、顔を胸に押し付けられることはあるけど、あれはセクハラなのか、窒息させて苦しめる拷問なのか微妙だし…」
渚は首を傾げているが、充分逆セクハラだ。しかし地球防衛の為とはいえ国が雇っている暗殺者を訴えることなど無理である。
「そういう時は殴って逃げろ。自己防衛だ」
「女の人相手にそんなこと出来ないよ。…それにビッチ先生の力の方が強いから捕まったら逃げられない…」
体格の良い生徒も逃げられないのなら小柄な渚にはもっと難しい。相手は女とはいえプロだ。やはり烏間がきつく説教するしかないのか。
「だったら、セクハラされたら報告しなさい。俺があの女に注意するから」
「は、はい」

話が済んだので遅くなる前に送ろうと腰を上げた烏間を、小さな手が止めた。
「待って、僕も烏間さんに聞きたいことがあります」
「俺に?」
「…今日ビッチ先生が僕に、烏間さんはへたれのクソ野郎だからやめるなら今の内だとか云われたんですけど…どういう意味ですか?」
───女の怨みは執念深い。烏間の投げたナイフは恐ろしい変化をとげて返ってきた。流石は数多の修羅場を掻い潜ってきたプロの殺し屋、というべきなのか。
答えに窮する烏間に再び眉を寄せた渚がじっと睨む。
「ビッチ先生なんで僕たちのこと…烏間さん何か云ったの?」
「…イリーナはその道のプロだから黙っていても勘づくんだ。心配しなくても云いふらしたりはしないぐらいの分別はあるはずだ」
烏間よりも先に気づかれていたとは云えない。
渚は少しほっとしたように息を吐き、今度は首を傾げて「へたれのクソ野郎って?」と訊ねてきた。
「それは、その、あれだ。俺がまだ最後まで手を出す度胸がないへたれだと云いたいらしい。…あいつは本当に鼻がきくんだ」
「最後までって…えっ、!まさか!?…ビッチ先生恐い!」
意味が判って途端に耳まで真っ赤に染めた顔で渚が狼狽える。一応触るぐらいまではしたことがあるので、余計にリアルな羞恥があるのだろう。
「へたれと云われようが、こういうことは早ければ良いというものじゃない。君が受け入れる精神状態になるまで、最後まで手を出すつもりはない」
腰を下ろし、狼狽える渚の背中をそっと撫でた。落ち着くよう、暫く撫でているとゆっくり渚が身体を起こした。紅い目元のまま烏間を見据えたかと思うと、ソファに置いていた鞄を探りだした。
「渚?」
烏間の呼び掛けも無視して誰かにメールを打っているらしい。打ち終わるとこの状況で一体誰に?と呆然としている烏間に向き直った。
「親に今日は友達の家に泊まると連絡しました。明日は丁度休日だし。だから、今日は泊めて下さい」
「…泊まるって、渚、どういう意味か判ってるのか!?」
突然何を云いだすのか。驚く烏間の首に、大きな目を潤ませた渚が強い力でしがみつく。
「烏間さんのばか。僕、もう、好きって云ったのに…。覚悟なんてとっくにしてるよ」
烏間さんだけじゃないよ。小さく囁く声は震えていて、彼なりの覚悟の意思を伝えてきた。子どもはいつだって精一杯考えている、まがりなりにも教師として生徒たちと接していて知っていたはずなのに、時々忘れてしまう。
必死にしがみつく細すぎる腰に手を回して支えた。少し力を入れただけで壊れてしまいそうで恐い。
「あのな、全部俺のせいにしていいんだぞ」
「…ばか、烏間さんって本当にへたれなの?そんなことビッチ先生に云わせないで」
自慢したくなるくらいかっこいい彼氏でいてよ。そう云って笑う渚に完全負けた。烏間は恋人にはへたれな男で良いと思っていた。自分の矜持より渚の気持ちの方が大事、それは変わらない。
「判った。君に自慢してもらえるよう、努力しよう」
君に愛されなければ意味がないから、男としての矜持も大切にするよ。





お題サイト 確かに恋だった
青い恋をしている10題より ありふれている大切なこと


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