■ アガパンサス




アガパンサス



最初はその小ささばかりが印象に残った。

同い年の少年少女が集まる教室を初めて見回した時は彼の存在を気に止めることなく、年齢に対して体格の良い、身体の出来上がった生徒たちのみ記憶していた。烏間がこの中学校に訪れた理由からすれば当然のことだ。国も自衛隊も手に終えない超生物の暗殺を、たった十四、五歳の子どもたちに依頼しに来たのだ。僅かでもあの生物を殺せる可能がある人物がいないだろうかと。何の訓練も受けたことがない、ごく普通の子どもたちを巻き込むことが決まってしまった以上、烏間は彼らを頼るしかなかった。

「自爆!?」
授業が終了した放課後、烏間は教員室を訪れた。学業の邪魔になることは契約上禁じられている。だからこんな時間にしか顔を出せなかった。近々学校に出入り出来るように手を打たなくてはと考えながら顔を出すと、思いもよらぬことを云われた。
「ヌフフ、そうなんですよ。私も驚きました。まさかこんな手法でくるとは。渚君はやればできる子だと見抜いていたはずですが、今回はすっかり騙されてしまいました」
それでもマッハのスピードにかかれば逃げるのは容易いことでしたけどね、などと云って笑う触手生物を睨み付ける。
「…その子は無事なんだろうな」
触手生物からの攻撃は禁止しているが、生徒自身が身体ごと攻撃することは想定に入っていない。
「もちろん。偶然にも脱皮の時期でしたから、私の脱け殻に守られてかすり傷一つありませんよ」
「…強要した奴らはどうした」
「ヌフフ、こんな手段は私も教師として見過ごすわけにはいきません。きつ〜く注意しておきましたから、もう大丈夫でしょう」
深く息を吐いた。自爆した生徒の無事と、もう二度とそんなやり方を赦してはならないという忠告がなされているのなら、もう烏間が口出しすることではない。
「実行した生徒の名前は渚君だったな?」
「ええ、子猫のように愛らしい子ですよ」
そんな名字の生徒がいただろうかと記憶を探る烏間に、にやけた触手生物が告げた言葉がさらに混乱させる。君づけしていたから男だと思っていたが、愛らしいということは女生徒だったのか。

「君が…渚、君か?」
あくる日、渚という生徒を呼んで来てくれと学級委員の子に頼んだ。大人しい女の子を想像していた烏間の前に現れた姿に絶句する。
「は、はい。僕が潮田渚ですけど…あの、何ですか?」
上目使いにそっと烏間を伺う様子は確かに大人しい性格なのだろう。小さな頭上で二つに結った薄蒼の髪がさらりと揺らいでいる。前髪の間から覗く眸は大きく、子猫の様に目尻が上がっている。大変愛らしい。触手生物の云っていたことは正しかった。
しかし足元を見ると、履いているのはスカートではなくズボンだ。
(──これで男の子なのか…。とても火薬を持って奴に飛び込みそうには見えないが)
しかも渚は名字じゃなくて名前だという。あの触手生物は他の生徒を名字で呼んでいたはずだから、この子はかなり気に入られているのかもしれない。油断して懐に踏み込ませてしまうくらいに。
「…君が奴に暗殺を仕掛けたと聞いたが、随分危険な方法を用いたらしいな」
「えっ、あ…それは」
渚は烏間の言葉に一瞬目を見開いて驚き、顔を青ざめさせた。
「すまません!…殺せんせーにも叱られました。自分を傷つけるやり方は認められないって…」
「それには私も同意せざるえない。今回は奴の機転で無傷で済んだが、君にもしものことがあったら…奴はここを出ていくだろう」
「…はい」
項垂れる渚を見て言葉を選び間違ったことに気づく。触手生物が出ていくことも問題だが、今云いたいことはそれじゃないのだ。
「すまない、間違いだ。今私が心配してることは君のことだ、潮田君。君に傷ついてほしくない」
「………」
俯いていた頭がゆっくり上向き、ぱちぱち瞬く大きな目が見えた。改めて、本当に小さな子どもだと思う。殴りあう喧嘩も経験ないだろう、大人しくて幼い、あどけない子ども。そんな子どもに一体何をやらせているのかと、やるせなさに襲われる。
「あの、…もうあんな方法で暗殺しません。自分のことを捨てたりしない。烏間さんにまで迷惑かけてごめんなさい」
幼げな顔が落ち着いた表情へと変化する。柔らかく微笑む渚に、実際はちゃんと冷静に思考出来る人間だと知る。烏間を見上げる渚の頬に吸い寄せらるように手を添えると、瑞々しい肌の感触が伝わってきた。
「…かけられたのは迷惑じゃなくて心配だ。もうしないでくれ」
「は…、はいっ!」
烏間の行動に驚いたのか、顔を真っ赤にした渚が上擦った声で頷く。色んな顔を見せる素直さに微笑ましく思いながら、烏間も口角を上げて頷いた。



教師になってからは渚と直接話す機会が増えた。
女子に紛れてしまうくらい小柄な渚の姿を見つけるとつい声をかけてしまう。大抵は暗殺に関係のないとりとめもしない話だ。話かけるのは烏間だが、担任の授業で起こったちょっとしたハプニングだったり、苦手科目に苦心してるらしい話を提供してくれるのは渚だ。へにゃりと笑って話す渚を、気のきいた返答も出来ないまま見下ろす。
一日中暗殺に思考を囚われている烏間には、渚との僅かな一時は心安らぐ貴重な時間だった。
「烏間先生は随分渚君がお気に入りみたいですね」
そう云った触手生物の声は、笑みで固まった顔に反して低いものだった。
「…別に贔屓してるつもりはないが。お前こそ彼を気に入ってるだろう」
暗殺に関しては皆平等に指導しているつもりだ。生徒たちの性格や特技が判るようになってからは寧ろ積極的な生徒に関わることが多い。自爆暗殺以来、渚は大人しい性格に見合ったサポート位置に回っているようだった。
「もちろん私は彼を気に入ってます。素直で賢い可愛い生徒ですから」
「つまり何が云いたいんだ」
遠回しな話し方に眼光が鋭くなる烏間に、生徒思いの教師は宥めるような声音で告げた。
「泣かせるようなことはしないでくださいね。彼は私の可愛い生徒ですから」

馬鹿なこと云うなとかえせなかった自分が信じられない。烏間は確かに渚に好意を抱いているが、それが奴のものとどう違うというのか。どれだけ可愛くても渚は同性の、しかも一回りも年下の子どもなのだ。
泣かせるようなそんなこと、あるわけがない。



上層部に送り込まれてきたのはプロの殺し屋。
烏間よりはるかに若いとはいえ、その出で立ちはとても中学校に馴染むとは思えない。胸を強調した露出の多い服装の上に、明らかに素人とは違う空気を放っている。海外ならば少し派手なセレブで通るかもしれないが、日本ではどこにいても浮くだろう。ある意味暗殺ターゲットよりも異質だ。
どれだけ凄腕のプロだろうがこれでは無理だ。初対面でそう思い至った烏間は頭を痛めた。
今までの功績があるからか、余裕の表情のイリーナに「過去のターゲットたちと一緒にするな」と忠告したところで無視されるだろう。暗殺者だとバレてない人間の第一撃は、奴の虚をつく貴重なチャンスなのにこれでは意味がない。せめて可能性が高まるよう助言をした。
「生徒の潮田渚に話を聞け。奴の情報を一番持っているのは彼だ。…それから出来るだけ生徒と強力しろ。近くにいる彼らに奴は最も油断する」
「油断するくらい近くにいても失敗してるんじゃ使えないわよ。まぁ、その情報を持ってる子には協力してもらうわ」
「………」
自信あふれる華奢な後ろ姿を見送る烏間の眉間から厳しさが消えることはなかった。

事態はやはり想像通りに進んだ。
暗殺に失敗したあげく生徒たち反感をかい、軽く学級崩壊まで起こした。これは失敗するより悪い。上層部の強い推し進めがある彼女を烏間の独断で辞めさせることは出来ない。しかし邪魔にしかならない行動をとるイリーナに、烏間の我慢の限界が越えた。
「ここで留まって奴を狙うつもりなら、見下した目で生徒を見るな」
生徒たちの反感を理解出来ないイリーナに強く言い含める。高い矜持を抱く彼女にその道のプロでもない男の言葉は聞きがたいものだったろうが、存外素直に受け入れてくれた。否、一度失敗してしまっても一旦冷静になれば、自分の悪い状況に向き合うことが出来る人間なのだろう。イリーナは良くも悪くもプロだった。



落ち着いた様子の教室を見届け、教員室に戻って息を吐いた烏間に厭な笑い声が届く。
「ヌルフフフ。生身の英会話も彼らの力になりますが、彼女は別の刺激も与えてくれそうですね」
「別の刺激?」
「年頃の子たちの集団にあんなお色気先生がいたら、彼もドキドキせざるえないでしょう。勉強も大事ですが色恋も成長に大切です」
何を考えているのか、蕩けた顔を浮かべる触手生物を冷めた視線で睨む。確かにその通りだが、過度の色気は繊細な精神の年頃の子どもたちは逆に嫌悪を与えるだろう。特に女生徒には。
「彼らに彼女のあからさまな色事は重すぎるだろう」
そう吐き捨てた烏間に聞き覚えのある低い声音が被さる。
「烏間先生は彼女より頭が固くて柔軟性にかけるようですね」
「は…?」
「そんなことだから渚君のファーストキスを奪われちゃうんですよ。しかも相当なディープだったらしいですね。生徒たちからの情報によると腰砕けになっちゃったそうですから。…渚君は本当に可愛いですよねぇ」
頭が真っ白とはこのことか。
間抜けにも、数秒何を云ってるのか理解出来なかった。烏間が見てない間に何があって、何故態々烏間に報告するのか。停止していた頭を無理矢理に動かす。
(──キス?あの暗殺者が渚に?腰砕けるほどの?)(──こいつはどうして俺に云うんだ?まるで俺に行動に出るよう唆しているみたいじゃないか?)
先日のやり取りで烏間が渚に特別な好意を抱いてると思っていることは知っている。しかし普通反対するものじゃないだろうか。大切に思っている生徒を汚すような存在など。
「…まさか俺を暗殺から目を背けさせるために云ってるんじゃないだろうな」
「馬鹿云わないで下さい。私は知っての通り誰より生徒を大事に思っている教師ですよ。渚君を傷つけることは赦しません」
「………」
烏間が返答を考え及んでいたその時、チャイムが授業の終了を告げる。直ぐに廊下に賑やかな声が溢れだした。
「お昼ご飯の時間ですね。今日はどうしましょう。天気が良いから外で食べたいですが、その前に買いにいかないと。だけど海外が雨で濡れるようなことになると気分が台無しです」
心の読ませない触手生物は、何事もなかったかのようにパソコンで昼食を検索し始めた。
烏間は黙って教員室を後にした。

「烏間先生」
一人になろうと校舎裏に足を向けた烏間に耳に馴染んだ声が追いかけてきた。
「…どうしたんだ?昼食は?」
「あ、烏間先生の姿が見えたから、つい追いかけてきちゃいました。…何か用がないと先生に話しかけちゃ駄目ですか?」
拗ねるような、怯えたような、微かに甘えを含んだ視線で見上げられるのが厭じゃない。正直にいえば、渚に好意を向けられるのは嬉しい。誰にでも甘える子ではないと知っているから。
「いや、君が厭じゃなければいいんだ。友達と食べなくていいのか?」
「はい。ここで一緒に食べてもいい?」
渚のこの素直な好意の種類は何なのか、烏間に見分けることは出来ない。
(──身の回りに少ない年長の男への尊敬?自分が持たないものを持つ人間への憧れ?それともまさか…有り得るのだろうか)無意識に渚の唇へ目が行く。小さな唇は慎ましく、聞いてなければとても深い口付けを知っているとは信じられない。想像するだけで不快感に苛まれる。自分じゃない誰かが触れたことに。
(──泣かせるような事態など有り得ない?…これじゃあ、しっかり劣情してるじゃないか)
またしても奴の言葉は正しかった。
「先生?」
「…そういえば、君はイリーナにキスされたそうだな」
急激に思い知らされた感情を上手くコントロールできない。初恋に翻弄される中学生じゃあるまいに。冷静に考えなければと思う一方、口は勝手に開いた。
「えっ、えっ……はい。何か、情報を聞き出す為だったらしいですけど…僕には何でそうなるのか判んないけど」
おずおずと渚が話すのを聞いて溜め息を吐きたくなる。情報を渚に聞けと云ったのは烏間だ。中学生相手に使う手段じゃないだろうに、あの女は。
今すぐイリーナを問い詰めたいが、烏間にも過失がある。
「…嬉しかったか?」
性格に難があれど、イリーナは誰の目からみても美女に違いない。
「えっ、…それは別に。突然のこと過ぎてびっくりはしたけど。あの、外国の人だから価値観が僕らとは違うのかと思って」
「…なるほど、そういう納得の仕方か。だったら君は」
校舎裏は影が覆って薄暗い。それでも表情がはっきりと判るくらいには明るかった。烏間の手に余る細い肩を掴んで壁に押しつける。驚いて見開いた蒼い眸に目付きの悪い男が映っていた。
「───だったら同じ日本人の俺にキスされたらどう思うんだ?」
返事をする暇を与えず唇を塞いだ。防衛本能で反射的に逃げようとする腕も押さえつける。
両者に愛情も劣情もなかったとはいえ、赦しがたいキスを消し去る為により深く。
(──泣かせることはするな?)
薄く瞼を開いて見れば、紅潮させた頬と涙を浮かべた眸が視界に入ってきた。しかしまだ赦すことは出来ない。プロの技術を書き換えるにはこれでは足りない。何かを訴えかけてくる蒼い目も今は無視して、烏間は瞼を閉じた。

泣かせることはするなと云っておきながら同時に人を唆す。あの触手生物の真意は判らない。
(──泣かせたらどうだっていうんだ。見ないふりをしていた俺に気付かせたのは貴様だ)

───罰を受けようが後悔などしない。





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