■ 渚君の幸せな休日




渚君の幸せな休日



スーパーの生鮮食品売り場にて渚は悩んでいた。視線の先には一個五十八円の玉葱と、五個入りで百六十円の玉葱。暗算などしなくても後者の方がお得だと判る。
(──だけど絶対使いきれないよなぁ…)
二人分の材料として玉葱五個は多すぎる。しかも一食分なのだ。余ったら持ち帰ればいいのかもしれないが、親に何て言い訳すればいいのか判らない。かといって置いてっても外食ばかりらしい大人が使ってくれる可能性も期待出来ない。
(──次僕が行ける日も烏間さんの休み次第だし…)やはり腐らせるよりは割高の方が良いだろう。

今日は休日だ。烏間も今のところ呼び出しを受けてないとメールで確認した。教師の立場に身を置いているが、本来の職務上、仕事で休日が潰れることも多々ある。回り回って渚にも関係してくることだが、暗殺関係のことは他の生徒と平等な情報しか与えられない。しかし、これは別に平等を意識してのものではないらしい。むしろ逆かもしれない。
烏間の立場は全人類の生命がのしかかっているといってもいいほど重い。それを認識している烏間は任務遂行に懸命だ。目的の為にあらゆる手段を考え実行しているらしい。らしいというのは烏間と殺せんせーの喧嘩のようなやり取りで知ったことで、直接渚が教えてもらうことはない。きっと知らないことの方が多いだろう。暗殺を依頼しておきながら、手段を選ばないと云っておきながら、烏間は何処か渚たちに手を下させたくないと思っている。矛盾する烏間の思いに気づいていても渚は何も云えないし、何もしてやれない。
暗殺実行を依頼されてるE組の一員とはいえ、渚にその重圧を想像は出来ても理解するのは難しかった。
(──あの眉間の皺を一本でも減らしてあげたいけど、僕に出来ることってあるのかな)
本当なら、たまの休日くらい一人で過ごした方が身体も心も休まるんじゃないかと考えたこともある。しかしその考えは「俺の貴重な癒し時間を奪わないでくれ」と真面目な顔で嘆願されてしまった。何もしてやれてないのに烏間には渚を必要としてくれる。
目に見える手助けが出来ないのがもどかしい。



つらつらと考えている間に、烏間の住むマンションにたどり着いてしまった。携帯で時間を確認してほっと息を吐く。まだお昼には余裕がある。
チャイムを押すと直ぐに扉が開いた。中から現れた男は前髪を下ろしたままで、いつもより若く見えた。
「早かったな。連絡してくれたら駅まで迎えに行ったのに」
「今日は寄りたいところがあったから。お昼前に着けて良かったです」
「寄りたいところ?…その買い物袋は何だ?」
渚の手にぶら下がるスーパーの袋に気づいた烏間が目を瞬かせている。渚はそんな烏間に笑顔で答えた。
「今日は僕がお昼ごはんを作ります」

烏間の家のキッチンは綺麗だ。一人暮らしには勿体ないくらい立派な造りなのに全く活用されていない。お情け程度にやかんとフライパンがあるのは知っている。渚が来たときには必ず紅茶をご馳走してくれるのだ。烏間本人は水か珈琲しか飲まないのに。
「えと、台所お借りしていいですか?」
「それは構わないが。…どうして料理なんか」
「たまには良いかと思って。烏間さんいつも外食だし。……一応食べれるものを作るつもりですが、そんなに不安なら止めますけど?」
烏間の喜ぶでもなく、厭がるでもない微妙な表情にこれはまずったかなと思う。今まで烏間と食事をする場合、出来合いモノを買ってくるか出前が多かった。恋人同士の食事としては味気無いと思いつつも、外で食べるには人目が気になる。別に知り合いに見られても、食事くらいなら問題にならないと烏間はいうが、念のためだ。
しかし考えてみると自分で作れば、少しはデートっぽくなるのではと思い至った。これなら渚にも出来るし、外食よりは烏間の身体にも良いだろうと考えての行動だったが、烏間は世話されるのが鬱陶しく感じたのかもしれない。
「いや、不安なわけじゃないが。だが手間だろう。折角貴重な二人きりの時間が減ってしまう」
「か、烏間さんっ…!?」
付き合い始めてから判ったが、烏間は案外てらいなく言葉を使うタイプだった。渚より一回りも歳上なのだから経験は豊富だろうと思っていたが、堅物の外見からそういうことを口にするタイプだとは思ってなかった。
「料理をしてる時間の分いちゃつけないじゃないか」
「いっ、いちゃっ…!?…そんないつもいちゃついてません!」
平然とした顔で何云ってるのだろうかこの人は。確かにこの家に来たときは学校で近づけない分、接触過多な部分もあるかもしれないが。
「もう!とにかく僕が作りますから!烏間さんは黙って待ってて下さいっ」

キッチンスペースから烏間を追い出してもリビングと続いているので丸見えだ。ソファに座る烏間を一時的に忘れて料理に集中することにする。自分で作ると決めておきながら、渚は料理が特別得意というわけではない。だから何度か作ったことがあるメニューに決めた。
最低限の調理器具しかないのは承知済みなので、必要そうなものは家から持参だ。鞄からエプロンとヘアピンを取り出して身に付ける。渚の普段の髪形は特徴的なので、烏間の家に出入りするときは髪を下ろすようにしていた。今日は料理をする予定だったので髪を下ろすか少し迷ったが、ヘアピンを持っていることを思い出して使うことにした。いつだったか茅野に貰った物だ。
横の髪が落ちてこないよう、前髪ごとヘアピン二本で止めていたところで、リビングの異変に気づく。座っていたはずの烏間が、ソファに崩れ落ちるようにうつ伏せに倒れていた。
「…烏間さん?眠いんですか?」
小さな声で呼び掛けてみる。
「…いや。あまりにも眼福な光景に悶絶してしまった。料理するのも無駄じゃないな」
ソファに身体を沈めたまま呟かれたことは聞かなかったことにしたい。
「殺せんせーみたいなこと云わないで下さい」
「なっ、奴と一緒にするな!」
いつも禁欲的な雰囲気を発していてかっこいいのに、烏間も時々崩れるらしい。やはり作り終わるまで無視しようと頬を軽く叩いて気合いを入れた。



「できたっ!」
白い皿に黄色い山。数少ないレパートリーの一つ、オムライスである。卵をふんわり仕上げるのが難しい。人に食べてもらうものだからと集中して作った甲斐があって、過去最高の出来かもしれない。ついでに野菜サラダも用意した。
「本当に料理が出来たんだな…」
「烏間さんのオムライスにはケチャップじゃなくてタバスコで書きますね」
「いや、疑ってたわけじゃない!想像してなかったから驚いただけだ」
失言を慌ててフォローする男に笑いながらケチャップで文字を書く。
「…自分の名前がこんなに気恥ずかしく感じるのは初めてだ」
「…僕もです。名前が定番だと思ってやったんだけど…」
漢字は潰れるので平仮名でそれぞれ「なぎさ」「ただおみ」とケチャップで書いた。これは先程の烏間に文句を云えないくらい恥ずかしいことをしでかしてしまったかもしれない。
「はっ、早く食べましょう!そんで名前崩しちゃって下さい!」
「それは勿体ないだろう。折角だから記念に写メでも…」
「ちょっ、やめてー!烏間さんのばかぁ!」
写真を撮ろうする烏間と携帯を取り上げようとする渚の攻防は暫く続いた。しかし身長も体力も、そもそも防衛のプロの烏間に渚が勝てるわけがない。恥ずかしい写メは烏間の携帯に保存される運びとなった。

「少しでも烏間の為になることがしたかったのに…もうごはんなんて作りません」
食後の紅茶を飲みながら目の前の男を睨み付ける。
「何だ、そんなことを考えてたのか。…心配しなくても俺は君が傍にいてくれるだけで充分助かっている」
烏間が目を細めて笑う。学校では中々見られない穏やかな表情に渚の心もつられてしまう。男の何気ない優しさの所作や言葉がとても好きだった。
「でも、何かしたかったんです」
烏間がいつも紅茶をいれてくれるように。
「…ならしてもらおうか」
「え?」
然り気無い仕草でマグカップを奪われ、手を引き寄せられる。
「食事にはデザートがつきものだからな。俺に食べられてくれるだろう?」
今にも触れそうな距離で囁かれて、真っ赤になりながら渚は小さく頷いた。



残さず綺麗に食べ終えた男は、お礼に片付けは全て引き受けた。







[ prev / next ]
「#オリジナル」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -