■ ナイフと特効薬




ナイフと特効薬



───柔らかな刃が、毎日胸の奥深くに傷をつける。

停学になってしまったからといって、特に思うことはなかった。信じていた人間に裏切られた。胸の奥が冷え込んだ状態になって、その後の出来事は何も感じなかったからだ。待機して自宅に居るときも何も頭に浮かばない。無意味に時間が過ぎていくのを待つだけ。
停学明けまで僅かの日数になったとき、机に放置したままのプリントを見つけ、そういえばE組に入ることになったのだと思い出した。落ち零れのための隔離教室らしいが、業にとっては通う教室が多少遠くなるだけだ。
そこでふと気付く。最近会っていないあの子も、今はE組に居ると噂で聞いた覚えがある。業より随分低い位置にある顔を上げて、大きな眸で視線を合わせてくれた。穏やかな性格そのまま乗せた声は柔らかくて、耳に心地いい。

進学クラスの頃にあの子とはたまに会話を交わすくらいで特別仲が良かった訳じゃない。他の生徒たちと同じように接しているつもりなのに、いつの間にか耳に心地いいあの幼げな声を求めていた。距離を取ろうとしても出来ない相手。だから業はあの子のことを勝手に特別な友人だと思うことにした。向こうはきっと、沢山居る友人の中の一人だと思っているだろうけど。
業は誰とでも気安く話すが、常に一定の距離を保つ。それが呼吸のしやすい環境を壊さないためには必要なことだから。間違って距離を詰めすぎると、この間のように痛い目に合う。もう同じ失敗はしない、と思っていたけれど、やっぱりあの子だけは諦められない。業の中の特別な場所に居てほしい。



痛みの激しい木造校舎だが、業は前の無駄に綺麗な鉄筋コンクリート校舎より気に入っている。意識しなくても楽に呼吸が出来る気がするから。新しい担任が予想外に面白く、クラスメイトたちが起こしてくれる騒ぎも厭じゃないことも理由の一つかもしれない。だけど一番の理由はやっぱりあの子だ。

体育という名の暗殺術の授業が終わり、皆めいめいに校舎に戻りだした。いつもの様に小さな姿を探すと、まだグラウンドに居るのが見えた。
見つけた喜びは一瞬しか持たなかった。一緒にいる男の姿まで見つけてしまったからだ。
(──学校内で堂々としやがって)
二人は別に何をしているわけではない。周囲にまだ生徒がちらほらいるのだから、会話も教師と生徒のものだろう。
あの子は、──渚は男に柔らかな笑顔を向けている。冷たい笑みも作ることが出来る彼だけど、無防備なそっちの笑顔の方が好きだ。向けているのが業じゃないことが、胸の奥に小さな傷をまた一つ増えるけど。
男はいつも眼光鋭い硬い顔しか見せないくせに、渚を見下ろす今は僅かにキツさが減っている。渚は一緒に居る相手を、無意識に謎の癒しマジックにかけてしまうようで、それが男にも間違いなくかかっている。あのタコ先生すらめろめろにしてしまうのだから、凝り固まった眉間の皺を一本減らすくらいの力があってもおかしくないけど。
(いっそ渚君の癒しマジックがなくなってしまえばいいのに)
自分だけにかけてくれるなら良い。他の奴らには効かなくなってしまえと思う。
E組に入って間もなく、業は渚に特別な友情ではなく、もっと強い感情を抱いていることを自覚していた。

「渚君!」
黙って見ているのも我慢の限界を迎えて、小さな背中に走って飛び付いた。
「わっ、カルマ君!」
「早く戻んないと着替える時間なくなっちゃうよー。烏間先生なんかほっときゃいいんだよ」
しがみつくには頼りない華奢な首と肩に腕を絡ませ耳元に囁く。軽い響きで聞こえるようにしているが、本音を隠したりはしない。
「…カルマ君てば、もう」
しがみついたまま離れない業に渚が視線くれる。「目上の人間に対してそんなこと云っちゃ駄目だよ」と「仕方ないなぁ」の意味を含んだ優しい苦笑だ。キス出来そうなくらい近くから届く声に浸っていたい業の思いを、邪魔な男が打ち砕く。
「赤羽君、君はな……私に対しての悪態は構わないが、じゃれ合っている時間はないんだろう。もう五分もないぞ」
指導者として、教師らしく正しいことを云ってのける烏間に業は笑いが込み上げてくる。
淡々と話す低い声は、綻びなく普段と変わらない。しかし鋭い眼光が敵意を持って業を突き刺す。立場も場所も烏間が表立って嫉妬を見せることを赦さないが、業の渚への想いに気づいている男は誰にも判らないように釘を刺す。業が二人の関係に気づいた頃、男もこちらの嫉妬に抜かりなく気づいていた。
(──国家防衛の精鋭も恋の前では一人の男ってわけね。ご立派な姿勢じゃないか)
ようは渚によからぬ想いを抱くものを触れさせたくないのだ。
「カルマ君、ホントに遅れちゃうよ!次の授業小テストがあるのに」
「よし、走ろう渚君」
云いながらどさくさで渚の手を取って走り出す。振り向くことはしなかったが、あの男はきっと苦虫を噛んだ顔で重なる手を見てるはずだ。



昼休み、業は一人で人気のない校舎裏に来ていた。渚と一緒に食べたかったけれど、一足早く茅野と杉野に奪われてしまった。混ざることは簡単だが、業には渚と二人きりじゃないと意味がない。
空腹を感じず、食べることを放棄して苺ミルクのパックに口をつける。
「カルマ君、こんなところに居たんだ。学校中走り回っちゃったよ」
「渚君」
木陰に腰を下ろしている業に向かって渚が駆け寄ってきた。手にはコンビニの袋を持っている。隣に座ってもいいかと聞かれ、黙って頷く。
「茅野たちと一緒に食べたんじゃないの?」
「え?あぁ、誘ってもらったけど今日は断ったんだ。カルマ君と一緒に食べたかったから」
何でもないことのように笑って云う渚の本音はなんだろか。
「どうして俺と?」
「だって…前は誘ったらカルマ君も一緒に食べてくれてたのに、最近誘う前に居なくなっちゃうから。…もしかして僕たちと食べるの厭だった?…今もお邪魔だった?」
徐々に眉尻を下げて、不安げな表情になる渚の腕を取って抱き寄せる。幸か不幸か、このくらいのことをしても彼は厭がらない。
「騒がしいのはイヤだけど、渚君と二人きりならいつでも歓迎だよ」
「カルマ君…ほんとにスキンシップ好きだよね。だけどこれじゃ、僕ごはん食べれないよ」
「大丈夫、俺が食べさせてあげるから」
少しだけ照れくさそうに頬を染めているけども、逃げようとはしない。カルマがE組に来てから何度となく抱きついているうちに、渚の中では「業はスキンシップ大好き人間」に定着してしまった。
好き好き言葉にしているのだから、業の好意は知っているはずだが、あくまで友情の延長と捉えているようだ。告げる度に恥ずかしげにへにゃりと笑って「僕も好きだよ」と答えてくれる様が可愛くて、意味が違うのだと判っていても、今はまぁいいかと思っていた。全く、馬鹿にも程がある。
そんな余裕をかましているから、予想外の人間にかっさらわれたりするのだ。
「食べさせるって…僕のお昼ごはん、パンだよ。離してくれたら自分で食べるから」
「折角の渚君とくっついているのに、離れたくないよ」
「…じゃあ、食べてる間だけ離して」
離せばもう戻って来てくれない。あの男の元に帰ってしまうのだろう。他の誰かの手に渡してしまうくらいなら、いっそ。
「……今の瞬間に殺せんせーが地球を滅亡させてくれたらいいのに」
「カっ、カルマ君!?何云ってるの!」
大きな目を見開いて驚く渚を見て、目が零れ落ちそうだとぼんやり考える。
「だって今死ねたら幸せに終わるもん、俺」
「………」
「渚君は俺なんかと一緒じゃ厭だと思うけどさ」
「…カルマ君、何かあったの?僕が一緒に居たら助けられることなの?」
恋情には恐ろしく鈍いが、渚は基本的に感情の機敏に聡い。業の腕の中におさまったまま、静かな視線で見つめてくる。
「最近胸がちょっと痛いだけ」
「…そう。僕はこうしてるだけでいいの?」
「うん。渚君、湯たんぽ並に暖かいから痛みが和らぐみたい」
業の胸の奥に傷をつけるのは渚だ。見えない刃で小さな傷を増やし続け、鈍く痛む。前の担任にばっさり傷つけられたときは、心を殺して痛みなど感じることもなかったのに。渚相手ではそれが出来ない。
傷つけるのが渚なら、痛みを癒してくれるのも渚なのだ。
「じゃあ、痛くなくなるまでこうしてようか?」
小さく笑って囁く声は、やっぱり心地いい。
「一回じゃ治んないよ。だから明日からもぎゅっとさせて下さい、先生」
「…カルマ君の助けになるのはいいけど、先生ってのは何?」
「渚君、俺のお医者さんだから。治療が終わるまで見捨てないでよ」
業のものになってくれないのなら、せめて傷が全て消えるまでは責任もって癒して。
見えない刃を持っていることに気づかない渚は、ずっと業の側に居てくれるだろう。



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