■ 烏間氏の優雅な休日




烏間氏の優雅な休日



横断歩道を渡る歩行者が、車に乗っている烏間を見て慌てて顔を反らしていく。しまった、と思い顔の表情筋を緩めようとするが、逆に眉間に力が入る始末だ。
(──またその筋の人間だと思われたかもしれん…)
烏間の職種は真逆の国家公務員だが、如何せん目付きが鋭く、仕事柄体格も良い、もはや制服となっている黒いスーツが揃えば大抵の人間はそそくさと避けていく。しかも私物である国産車のボディが黒であれば勘違いされることもやむ無しだ。
(──次買い替える時は黒は無しだな。明るい色…は無理だろう。シルバーしかないか)

長い赤信号を待っているうちに苛つきが顔に出ていたらしい。一人の空間でも油断出来ないものである。
それでも時間を確認する度に気が急いでしまう。約束の時間はとうに過ぎてしまった。既に報告済みのことを再度口頭でするように要求され、僅かしかない休暇を削られても、宮仕えに口答えする権利などない。
烏間は一秒でも早く帰宅するため信号が変わると同時にアクセルを踏んだ。



玄関の鍵は開いていた。時間が不規則なため、事前に鍵を渡してあるから予想の範囲だが、中に人が居るときでも防犯の為に鍵をかけるよう云っておかなくてはいけない。
「渚?」
リビングに声をかけても返事がなかった。
首を傾げながら扉を開け、視界に入ってきた光景に納得する。
ガラスのローテーブルにはノートや教科書。革のソファーの上には小さな身体を丸めて眠る渚の姿がある。暇をもて余して宿題でもやって、その後寝てしまったのだろう。
足音をたてないようソファーに近づき、そっと顔を覗く。起きている時も実年齢より幼く見える子だが、寝顔はそれ以上だ。射し込む日の光によって、白くまろい頬にうっすら産毛が纏っているのが判る。二次成長は迎えているはずだが、とても髭が生える肌には見えない。聞いてみても大丈夫だろうか。烏間だけでなく触手生物やクラスメートたちも癒されている愛くるしい姿だが、本人は思春期らしく自分の成長ぶりに不満があるようだ。そんなつもりがなくても拗ねさせてしまう言葉が結構ある。
「…何だこれは」
ふと、開いたノートを見れば細かく添削され、某学習教材の先生のようにコメントまでついている。それはいい。それはいいが、コメントと一緒に描かれているイラストが蛸とは。担任の似顔絵、としても自虐的ギャグなのか前向きユーモアなのか迷うところだ。

「…烏間さん?帰ってたの?」
目を擦りながら寝惚けた声を溢し、小さな身体がむくっと起き上がった。
「おはよう。待たせてすまなかった」
「あ、おはようごさいます…じゃ、ないよ!…もう夕方ですよー。帰ってたなら直ぐ起こしてくれたら良かったのに」
拗ねているのではなく、烏間と過ごす時間を無駄にしてしまって落ち込んでいる様子に擽ったく思う。
「気持ち良さそうに寝てたからな。つい眺めてしまった」
寝崩れた髪に手をやってとかしてやる。いつも二つに結んでいる彼だが、今日最初から下ろしたまま来たようだ。肩にかかる細い髪の柔らかさを感じられる機会は少ない。
「遅れるって云ってたから宿題持ってきたけど、まさか全部やり終わっちゃうなんて思ってなかった…。殺せんせー、今回いっぱい出したのに」
「本当に悪かった。お詫びに甘いものを買ってきたから今お茶でも入れよう」
「お鍋で煮るミルクティーを入れてくれたら赦します」
ふんわり笑って命令されれば、烏間に手間隙の文句など浮かばない。国のトップの傲岸な顔で下される、無茶な命令を承けてきた烏間にとっては可愛いばかりだ。
「了解した」



慌ただしく引っ越して来た部屋は、未だ物が少ない。寝に帰るだけだからと思っていたからだが、最近生活用品が増えつつある。年若い恋人が過ごすにはこの家は退屈過ぎる。もてなすための茶器すら無く、これではマズイと思いいたってからは暇を見つけては買い揃えるようになった。
外食が基本の烏間のキッチンに鍋や調味料が並んだのも最近だ。しかし、そんなことを渚は知らない。
「…前も気になってたけど烏間さんがこんなマグカップ持ってるの意外です。でも可愛い」
ミルクと紅茶葉を煮る烏間の横で呑気にカップを観察する渚が、自分専用であることに気づく日が来るのだろうか。髪の色と同じ薄い水色のマグ一つ買うときの烏間の心境は筆舌し難いものだった。因みに烏間の白いマグカップは、引き出物か何かの貰い物だったか、いつの間にか家にあったものだ。
「あ、バームクーヘンだぁ!美味しそう…でも聞いたことないお店の名前だ。烏間さん、これ食べたことあるんですか?」
「いや、ないな。前に同僚から聞いたことがあったから、今日仕事帰りに寄ってみた」
同僚には数少ないが女性もいる。たまの雑談が恋人を喜ばせることに役立ったらしい。



忙しいここ数年は独り身だったが、烏間にも何人か付き合いをしたことがある女性が居た。いずれの女性も仕事ばかりで連絡もマメに出来ず、フラれる形で別れてきた。それに対して特に惜しいとも後悔もなかったので、自分は恋愛には向かない人間だと思って諦めていた。それがどうしたことか、こっそりカップを買い、縁のなかった店に足を運ぶ。恋人の笑顔一つを期待して。
「…人間変われば変わるものだな」
「烏間さん?」
ソファーを背に絨毯に座る烏間、その脚の間にちょこんと収まっている渚が逆さに此方を見上げた。小さな唇に上から触れるだけのキスを降ろし、耳元に口を近付ける。
「最近知ったが、この年からでも成長出来るらしい。何事も諦めるもんじゃないと思ってな」
突然のキスに顔を紅くしていた渚が、烏間の言葉に驚いたように肩を揺らし、くるりと身体ごと振り向いた。
「烏間さんまだ大きくなってるの!?ホントに?何やったら大きくなるの?」
「………」
「何か特殊な訓練でもしてるの?僕にも出来ること?」
真剣な、必死な渚の表情に笑ってはいけない。あまりにも予想外の反応に腹筋に力を入れて耐える。
「そうだな。…早寝早起きと、バランスのとれた食事」
「…それだけ?」
烏間の腕の中にすっぽり収まるサイズを気に入っているが、成長した姿も見てみたい。まだ上手く想像出来ないが。
「後は愛情だな」
「…烏間さん、僕、真剣に訊いてるんですけど」
白い眉間に皺を寄せる渚と笑みを浮かべる烏間。普段と真逆の表情だ。
「もちろん真剣だ。俺はそれで成長した」
「…ホントに?」
疑わしそうに烏間を睨む渚の腰に腕をまわして抱き込む。
残された少ない休日は、恋人の機嫌を直すために使うことになりそうだ。だが、それも悪くはない。



烏間の貴重な休日は、本人曰く充実した時間を過ごせたらしい。





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