■ 選択肢は一つしかない




選択肢は一つしかない



冷たい水で乱雑に顔を洗い鏡を見た。
見慣れた目付きの悪い顔に磨きがかかり、街を歩けば人が避けていくだろう厳つさが出てしまっている。これではいけない。自分が女子どもには近付き難いと思われるタイプであることを烏間は承知していた。今まではそれで良かった。国の要人、ひいては国を護る立場の人間としては、多少威圧感があった方が良しとされる。
しかし今は環境が違う。抹殺すべきターゲットは、烏間の殺気など気にもかけない余裕の持ち主だし、何より烏間が目を向けなくてはいけないのは中学生の子どもたちだ。部下でもない極一般の子どもに暗殺指導をするのだから神経を遣う。怯えられては困るからだ。



「烏間君、もっと厳しく子どもたちを指導してくれないかね。お遊びのような戦闘訓練ではとても来年まで間に合わない」
胸に勲章を付けた初老の上官は、本来直接言葉を交わすこともないトップの人間だ。
「君は指示を出す側の人間だろう。自衛隊から隊員を借りて教えるのはどうだね」
「契約では教師を増やすことは出来ますが、あくまで教師です。立場を超えることを子どもたちに行えば契約違反になりかねません。あの生物はそれを赦さないでしょう」
何より身体が出来上がってない子どもたちを、無理に鍛えて壊してしまうわけにはいかない。この上官が、彼らの身体の心配など欠片もしてないことなど判っているので、反論しにくい言い分を探す。まるで聞き分けの悪い子どもを相手にしている気分だ。
朝から呼び出されたかと思えばこれか、と烏間は奥歯を噛み締める。今日は午後から体育があるから飛んで戻らなければいけない。くだらない進言は出来れば電話で済ませてほしいものだと、胸中愚痴った。



急いで学校に戻り着いたのは四時間目も終わりそうな頃。生徒たちに顔を会わせる前にこの苛立ちをおさめなくてはと、先ず向かったのは洗面所だった。
顔を洗い深呼吸をして感情を整える。そしてハンカチで顔を拭いて洗面所を出ると、生徒二人が通りがかった。いつの間にチャイムがなってたのか。
「あ、烏間先生こんにちは」
「ああ。君たちは外で昼食か?」
「…は、はい」
手に持ったコンビニ袋と弁当包みを見て尋ねると、生徒の一人、杉野は強張った表情で返事をした。あまり物怖じしないタイプの生徒だったはずだが。
もう一人、更に視線を下げた位置にぽかんとした渚の顔があった。大きな目を瞬かせて烏間を見上げている。
「潮田君?」
「あっ、すみません」
名前を呼べば慌てて必要のない謝罪をし、何故か手に持ったコンビニ袋を探りだす。中から何かを掴み烏間に差し出した。
「…飴?」
「あの、良ければお一つどうぞ」
白い小さな手のひらの上にカラフルな包みが山となっている。
「赤が苺で、紫が葡萄です。ピンクは桃で黄色はレモン味。薄い黄色が…パイナップルだったかな?」
「…何故私に?」
「あのー、えっと…今日の烏間先生、空気がちょっと怖いです。だから…」
云いにくそうに、しかし正直に思ったことを告げられる。
「な、渚、そんなはっきり云わなくても…」
落ち着かせたつもりだったが、彼らの目には烏間の機嫌は駄々漏れだったわけか。飴でも舐めて機嫌を直してくれと生徒に懇願されるとは、全くなっていない。
「あの、僕、烏間先生は厳しい顔も似合うと思うけど、もう一本眉間の皺が減ってくれたら、もっとカッコイイと思います。ね、杉野?」
「え!あっ、うん。俺もそう思います!」
返事を求められた杉野は冷や汗を浮かべながら頷いている。少々無理があると思う渚の誉め言葉だが、烏間の空気をどうにか和らげようとする必死さが伝わり、否定出来ないのだろう。
烏間は込み上げてくる笑いをどうにか堪え、渚に尋ねる。
「成る程。それで、眉間の皺を消すのに一番効くのはどの味だ?」
烏間の質問に再びぽかんと目を見開き、そしてほっとしたように幼げに笑った。





引き出しのに転がる飴を見て思い出していた。
あれはまだ教師として赴任したばかりの頃だ。本職での顔と子どもたちに接する顔を上手く切り替えられず、随分恐れられていた。触手生物の方が寧ろ自然に接していて、どうしたものかと頭を痛めたものだった。

あの日結局、手のひら一杯の飴を貰い、その場で赤い飴を一つ食べた。烏間が子どもの時は砂糖の味しかしなかったような記憶があるが、渚がくれた飴は果物の甘味が強い。残った飴は上に呼び出される度に一つずつ消費された。
机の中にはピンクの飴があと一つだけ。
(──あの時からか)
イリーナに指摘されるまで気付かなかった体たらくだが、思い返せば心当たりが有りすぎる。平等に生徒を見ているはずが、一人特別に見てしまっている。流石に自分の仕事とは分別してはいるが。

烏間の仕事はE組の生徒たちに暗殺を成功させることである。勿論、国も考えられるだけの手は打っているし、烏間自身チャンスを伺い日々実行しているが、ほぼ無駄打ちと云っていい。ターゲットに遊ばれている。
そんな全人類の命が懸かっているときに、サポートする立場の者が恋煩いなどしている場合か。しかも相手は同性の一回りも離れた子どもだ。教師じゃなくても本職でもバレたら終わりである。
それ以前に彼がこんな年上の男相手を受け入れるはずがない。告白などしようものなら、あの時と違い、怯えて逃げ出すだろう。そして幼げな笑顔を向けられることもなくなる。
想像するだけで胸が鈍く痛んだ。

「おや烏間先生、いつもより一段と難しい顔してますね」
にやにや笑った触手生物がいつの間にか席に座っている。手には湯気をたてている鯛焼き。買ってきたのか作ったのか、どちらにしろ授業が終わって三分も経っていないにご苦労なことだ。
「また無駄な暗殺手段でも思案してるんですか?諦めたほうがいいと思いますがねぇ」
「喧しい!貴様は黙って鯛焼きを喰ってろ!」
「雑談くらいいいじゃないですかー。同じ教師のよしみで悩み相談くらい受けますよ。誰か、烏間先生の手に終えない生徒でもいらっしゃるんですか?」
触手生物の言葉に渚の顔が浮かぶ。確かにある意味手に終えない相手であり、事態ではあるが。
「…お前は手に終えなければどうするんだ。諦めるのか」
「どうするもこうするも出来るまで手を尽くしますよ。貴方方政府などが無謀にも私を殺そうと、手段を選ばずあの手この手で実行してるようにねぇ。私に諦めるという選択肢は有りません」
鯛焼きを方張りながら触手生物はにやりと笑った。

腹ただしいが奴の云う通りだ。
烏間は正しさだけで生きている男ではない。目的の為には時として手段を選ばない。
未来が有ろうが無かろうが、実行もせずに諦めるという選択肢はないのだ。

「殺先生」
呼んだ瞬間、丸い頭が歪み、青と緑のグラデーションに染まった。見たことのない皮膚の色だ。しかし、今はどうでもいい。
「か、か、か、かっ!…烏間先生!?どうしたんですか、私のあだ名を呼ぶなんて!病気ですか?」
「これが最初で最後だ。あだ名を呼ぶのも、礼を云うのも」
「お礼?何の?」
「お前のお陰で思い出した。礼を云っておく」
「………はいぃ?」

来てもない未来に怯えて何もしないなど、烏間には有り得ない。
覚悟さえ決めてしまえば目的を達するまで進むだけだ。






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