■ それだけで十分




それだけで十分



「渚はどう思う?」
別方向へ帰る友人たちに手を振りながら、当たり前のように問いかける茅野に渚は首を傾げた。

土曜日の半日授業の後、たまには息抜きしようとクラスメイト数人でゲーセンとカラオケに立ち寄った帰りだった。日々の暗殺(成功したことはないが)と受験勉強(前途の理由で忘れがちだが)にストレスが溜まっていたようで、皆かなりはしゃいでいた。
夕方になり各々帰り道を行く結果、女子三人と渚が一緒になり、内二人も今道が別れたところだ。先程までの会話はまさに女子トークで、渚が口を出すことはなかった。
「だから烏間先生のことだよ。やっぱり恋人居るのかな?」

最初は殺せんせーの私生活の謎が話題だった。日々、先生の特異体質──月に一度脱皮するとか、お風呂に入ると泡風呂になってしまうとか─は明かされるけど、過去は勿論現在も殺せんせーの私生活は謎だ。しかしマッハで海外に遊びに行ったりする先生の行動は渚たちには予想の斜め上過ぎる。女の人に興味はあるようだけど。

もっと想像しやすい人へと話題は移り、ビッチ先生ことイリーナがターゲットになった。態度の酷さから反感を買ったりしたが、生徒たちの彼女に対する感情は落ち着いている。寧ろ女子にはなめられているようだ。
「ビッチ先生はきっと恋人居ないよ。遊び相手はいるだろうけど」
「ビッチ先生だもんね。一途には見えないし、本人もそういうの求めなさそう」
「そうだよね。馬鹿な男を手玉に取ってるのが似合うよね」
好き勝手に話す女の子たちに、渚は内心ハラハラしながら聞いていた。
「自分に自信があるならそういう生き方もありかな。あたしには無理だけど」
なるほど。女の子の方が身体も心も成長が早いと聞いたことはあったが、実際にイリーナのような敵を作りやすい女性を認めることが出来るくらい達観しているのか。

そして最後は烏間だ。その時点で渚は耳を塞ぎたくなったが、そうはいかない。
「烏間先生も私生活は謎だよね。本当はあたしたちと話す立場の人じゃないし」
「それを云ったらビッチ先生も…殺せんせーもだよ、多分。一番私たちに近いのは烏間先生だよ。日本人だもん」
ざっくり過ぎるくくりだが、反論出来る者はこの場には居なかった。
「そっかー。でも偉い人なんだよね?何処に住んでるんだろ?恋人いるのかな…まさか結婚してるとか!」
「話飛びすぎだよ。…結婚してる気配はないと思うけど。指輪してない…は根拠にならないか」
よく見てるものである。
「ちょっと威圧感あるけど国を守る人なんだから、あれくらい厳しい空気でもいいよね」
「全然ありだよ。カッコいいことに変わりはない。寧ろ頼りがいがあっていいじゃん!それにあたしたち生徒には優しいよー」
「生徒にはね。…烏間先生って、ようは私たちを守ることも仕事の内だし。大変な仕事だろうから恋人に掛ける時間もなさそう」
彼女たちはもしかして渚の存在を忘れているのかもしれない。
「仕事にはマメだけど、恋人にはそうじゃないってこと?確かに烏間先生は尽くすより女の人に尽くされるタイプに見えるかも。昔の日本男子みたいな」
「黙って俺についてこいタイプ?…私、無理かな。頑張って尽くしても、目に見えて返って来なきゃ辛いよ」
「それが出来る人もいるんだよ、世の中には」
烏間に憧れはあるが、大人過ぎて今の彼女たちには手が届くと思えない相手、というのが結論のようだ。
そこでタイミング良く別れ道に差し掛かり、また来週と手を振る。そのまま話は冒頭へと続いたのだ。

自分の存在を忘れられたわけではなかったらしい。しかし渚は返事に困った。
「…えっと、聞いたことないから判んないよ。結婚はしてないと思うけど」
「渚も知らないのかぁ。烏間先生は平等だけど、渚には割と笑顔見せてるから何か聞いてると思ったんだけどな。笑顔というより微笑かな?」
茅野の発言に渚は目を見開いて驚く。
「…そんなことないよ。茅野ってば何云ってるの?」
「そんなことあるよー。私、渚と一緒に居ること多いもん。渚も烏間先生のこと好きだよね」
心臓の音が茅野に聞こえてしまうんじゃないかと思う程に激しく鼓動する。手のひらは汗びっしょりで、顔は赤やら青やら酷い色になってるに違いない。
「な、なんで…」
渚の内心の焦りを知らず、茅野は歩きながらあっけらかんと告げた。
「渚ってば可愛いもん。烏間先生だって小動物みたいな渚見てたら可愛がりたくなるよ、絶対。渚は烏間先生に憧れてるんでしょ?タイプ違いすぎると思うけど…あんな大人になりたいのなかって?」
渚は悲しいかな年齢に対し小柄だ。顔もお世辞にも男らしいとは云えない。茅野や友人たちは悪気なく可愛いと云ってくるので、渚もその言葉に傷ついたりはしない。
どうやら渚の心配は無用のものだったようで、ほっと息をついた。少し後ろめたいが、こればかりは茅野にも本当のことは云えない。
「…そうだね。僕も烏間先生はカッコいい大人だと思うよ。口にするのは恥ずかしいけど」
「でしょ。やっぱり正解じゃん」
茅野は嬉しそうに笑った。



ガチャン、と開いた冷蔵庫の中は缶ビールで埋まっていた。他には水、チーズ、タコわさ、キムチ。卵と使いかけのニンニク。食材と云えるものは卵ぐらいだ。
「烏間せんせ…じゃなくて烏間さん、これじゃ何も入らないよ」
冷蔵庫の前で立ち尽くす渚に、烏間は額を指で掻いて弱った様子で謝る。
「すまん。お茶もお菓子も直ぐに食べるだろう、入れなくていいから」
「わかりました」
烏間の云う通り、ペットボトルのお茶はグラスに移して残りは常温で放置。チョコレート菓子もまだ溶ける季節ではない。

信じられないことだが、ごく最近、渚は烏間とお付き合いを始めた。
告白したのは渚だ。受け入れられるはずがないと判りつつ、殺せんせーが地球滅亡させなくても人の命の終焉はいつ迎えてもおかしくない。先のことは誰にも判らないのだから。そう思ったらやれることはやっておきたくなった。
自覚したばかりの気持ちの衝動で当たって砕ける、はずが砕けなかった。烏間は驚愕したが、一日考えさせてくれと云い、次の日目の下に薄く隈を作った顔で「私も君が好きみたいだ。恋人になってほしい」と応えた。子供の他愛ない思春期の勘違いでかわしてしまえばいいのに、どう考えて受け入れることにしたのか渚には判らない。ただ、烏間はいい加減な気持ちで応えたわけではないことは信じられる。

今日は日曜日。学校以外にも忙しい烏間だが、今日は何もない。中学生の渚はあまり遅くまで出歩けないので専ら逢うのは昼から夕方が多い。
「昨日は遊びに行ったと聞いたが勉強は大丈夫なのか?」
黒革のソファに腰掛けた烏間の膝に、軽々渚を乗せて云う。
「…大丈夫、多分。帰ってから勉強したし、今日もちゃんとします…」
「そうか」
渚も私服だが、スーツ姿じゃない烏間はまだ見慣れなくて気恥ずかしい。スーツがVネットのニットとパンツになっただけで黒には変わらないのに。
「烏間さん、お酒好きなんだね」
「…嫌いじゃないな」
あれだけの量があるのに嫌いじゃないとは。何故素直に好きと云わないのだろう。
烏間は思ってたほど武骨な男じゃなかった。二人きりの時は驚いてしまうくらい知らなかった顔を見せる。告白までしておきながら男のことは知らないことだらけだ。出逢って数ヶ月なんだから当然だが。
「部屋の中、殆ど荷物無いけどずっと此処に住んでるわけじゃないよね?」
「前は都内の官舎だ。此処に通うには距離があるからな」
「…僕、烏間さんに何もしてあげられてないけどいいの?」
「…渚?」
困惑気な顔の烏間に昨日から頭に残っていた疑問を吐き出す。
「け、…けっ結婚して、ないよ、ね?」



「突然何事かと思ったぞ」
肩を震わせて笑う烏間を上目遣いで睨んだ後、渚は真っ赤になって俯いた。声をあげて笑うとは、これも初めてみる姿だがあまり嬉しくない。
「だって聞いたことなかったし…」
「結婚していて君と付き合う程、俺は不誠実な男に見えたか」
笑いをおさめて渚の顔を除き込む烏間はどこか意地の悪い表情だ。
「い、いえ…」
「それは良かった。ついでに云うが、恋人に尽くしてもらいたいと思ったことはない。渚がしたいなら嬉しいが、無理に背伸びする必要はない」
「…はい」
渚もこんなことを聞くつもりはなかったのだ。と云うより、考えたこともなかった。昨日女の子たちの話を聞くまでは。
「変なこと聞いてごめんなさい」
恥ずかしい。穴があったら入りたい。切実に。
「変ではない。知らないのは当たり前だ。俺だって君のことはほんの少ししか知らない」
それでどうして付き合ってくれたのだろう。
「これから知っていけばいいだけの話だ。この先、…地球が、国が無事であれば時間はいくらでもある。知ることで君が俺を嫌いにならなければ、という前提もあるがな」
「なりませんっ!……ねぇせんせ…、じゃなくて烏間さん、どうして僕と付き合ってくれたの?」
当たって砕けるつもりだったから、恋人になるなんて考えたことなかったから、後から後から疑問が出てくる。渚のことをほんの少ししか知らないのに。
烏間は渚の目を見たまま器用に髪をほどいた。首に掛かる髪を感じて小さく震える。
「その質問の答えは前にも云ってるが覚えてないのか?」
「え?」
「まぁ、何度云ってもいいが」
──君が好きだからだ、と聞こえた後唇を封じられた。



荒い呼吸を繰り返す渚に、こういう時は鼻で息をしたら少しは楽だと男は苦笑する。その余裕ぶりに渚はとんでもない選択をしてしまったのでは、と今更ながら気付いた。
「せん…」
「今日三度目だな」
うっかり先生と呼びそうになったのを人差し指止められる。二人きりの時は先生とは呼ばない、烏間も渚の苗字ではなく名前で呼ぶ、最初に決めた約束事だ。
「呼び方を間違えないようになるのが早いか、呼吸の仕方を覚えるのが早いか試してみるか」
にやりと笑う烏間から逃れる術もなく、心の中で渚は叫んだ。
──微笑じゃなくて悪い笑みだよ、茅野!



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