わたしと凰壮くんは十歳も年が離れている。 わたしが大学生で、凰壮くんが小学生。犯罪的な年の差だけれど、わたしたちは恋人という関係だった。 凰壮くんとの出会いはサッカーの試合の時。彼が所属する桃山プレデターのコーチをしている花島勝とわたしは従兄妹同士で、たまたま勝兄さんに誘われて見学に来たのがきっかけで凰壮くんと知り合うことになった。 最初は三つ子なんて珍しいなあとか、小学生なのにイケメンだなあと思うくらいで、それ以上の感情は持ち合わせていなかったし、凰壮くん個人を意識するようなこともなかった。 サッカーを頑張ってほしい、みんなと力を合わせて銀河一になってほしい、その思いでいっぱいだった。 それからわたしは、勝兄さんに誘われるがまま何回か練習や試合に足を運ぶようになった。応援をしたり、差し入れを持っていったり、マネージャーのような仕事を手伝ったり。そんなことをしているうちに凰壮くんとの接点が増えて、ある時、彼から想いを告げられた。 まさか好意を寄せられているなんて思ってもいなくて、戸惑いばかりが残ったけれど、凰壮くんを知っていくうちにどんどん彼の魅力と彼という存在に惹かれていった。 気が付くと、既に手遅れだった。抜け出せないほどに彼に惹かれている自分がいた。どうすることもできなかった。 いや、何かしらの抵抗はできたはずだ。 この想いに気付かないふりも、この想いに嘘をつくこともできた。でも、そうはしなかった。そんなことをしても好きな気持ちが消えないことを知っていたからだ。 わたしは凰壮くんに自分の気持ちを正直に告げた。 凰壮くんはすごく吃驚していたけれど、嬉しそうに笑ってくれた。顔を真っ赤にさせながら、あの時と同じように「好きだ」と言ってくれて、その告白にわたしは胸を躍らせた。心が歓喜に震えて、酷く熱くなった。 そして、わたしたちは恋人になった。 幸せでいっぱいだった。結ばれたことに喜んだ。でも、その反面で物凄く悩むようになった。自分の心に問いかけるようになった。 本当にこれで良かったのか。本当にこれが彼にとって最良なのか。彼の足枷になるのではないか。憧れと好意を一緒くたにしているのではないか。年が離れているのが珍しいだけなのではないか。ただの興味本意なのではないか。そんなことをひたすらに思い悩むようになった。 年上のわたしから見ても凰壮くんはかっこいい。これからどんどん成長していくだろうし、今以上にかっこよくなっていくはずだ。 わたしが五歳年を取れば、凰壮くんは高校生。そうすれば、わたしなんかよりもっと可愛い子に目が移るだろうし、おばさんになっていくわたしに幻滅するかもしれない。わたしを恋人にしてしまったことを後悔するかもしれない。そう思うと、どうしても一歩踏み出せなくて、どうしても一線を引いて接してしまうようになった。 そんなわたしに凰壮くんはたくさんの優しさを与えてくれた。溢れるくらいの好きをたくさんぶつけてくれた。「早く大人になってあんたに見合う男になるからそれまで待っていて欲しい」そんな言葉を贈ってくれた。涙が出てしまうような優しい約束をしてくれたのだ。 でも、わたしから不安が消えることはなかった。むしろ不安が大きくなっていった。 凰壮くんが遠くへ行ってしまうような、わたしの知らない人になっていくような、そんな言い知れぬ不安に駆られた。 その日は、晴天にと呼ぶにふさわしい日だった。 大学の講義が午前中で終わったわたしは、午後から入れていたバイトに勤しんでいた。 わたしのバイトは駅前近くのファミレスで、そこでウェイトレスとして夕方頃まで働くことになっていた。 平日のため人は少なく、テーブル席にはぽつぽつと数人の客がいるだけだ。暇というほどではなかったけれど、忙しいというほどでもない。 緩やかに進む時間に身を任せてオーダーを取り、料理を運び、空いた皿を下げる。そんな単調な作業を繰り返していた。 それから数時間、退勤時間が迫ってきた頃。空が茜色に染まっていく光景が窓から覗いて見えた。 わたしはなんとなくそちらに目を向けて、綺麗だなあと心の中でぽつりと呟く。そして、少ししてから、作業に戻ろうとふと目線を動かした――その時、見知った姿が視界の端に留まった。 (……凰壮くん……?) この時間帯は下校時刻のようで、小学生らしい姿が散り散りに見て取れた。 けれども、気になったのはそこではなかった。 凰壮くんの両脇に気になる影がふたつあった。でも、それは三つ子の誰かや友達といった感じではなくて、同級生もしくは上級生だろう女の子だった。 わたしは言葉を失った。 「…………」 ただ、茫然と見送ることしかできなくて、わたしは凰壮くんと彼女たちの姿が消えゆくまで見つめていた。 それからはよく覚えていない。気付いたら、更衣室にいた。 わたしは何度も瞬きを繰り返した。 視界が霞み、涙が滲んでいくのが分かった。けれども、わたしは気付かないふりをした。虚勢を張りながら着替えなきゃと自身に言い聞かせるように呟く。そして、専用のロッカーを開けると、備え付けの鏡が目に入り、自分の顔が視界いっぱいに拡がった。 嫉妬で歪んだ醜い顔だった。 わたしは自分のそれを見ていられなくて、すっと目線を逸らすけれど、今度は脳裏に凰壮くんと女の子の姿が過った。 違和感のない光景だった。 お似合いだったなあと呟いてみる。やっぱりああいう年頃の男の子にはああいう子たちが似合うんだろうなあと皮肉混じりに笑ってみせた。けれども、残るのは焦燥感や虚無感といった虚しさだけで、言いようの無い感情が渦巻いた。 そうして、わたしは再び、鏡の中に映る自分を見た。 二十歳前半のわたしは充分に若かったけれど、凰壮くんと並ぶとどうしても恋人には見えなくて、デートをしていても姉弟に間違われることの方が多かった。だから、あの子たちが羨ましいなと思った。 わたしも小学生だったら良かったのに、同い年だったらこんなに悩まずに済んだのに。そう思いながら、もっと遅くに生まれたかったなあと夢のようなことを考え、そして苦笑を零した。 こんなことを考えたところでわたしの年は変わらないし、もっと遅くに生まれたかったと強く願ってもこの事実は変わらない。でも、それが分かっていてもどうしようもなく望んでしまうのだ。 わたしはそっと涙を零した。溢れ出して止まらないそれを幾筋も流しながら、「凰壮くん」と名前を呼ぶ。すると、タイミングを合わせたかのようにスマホにメールの着信が入った。 慌ててそれを確認するとメールは凰壮くんからで、“会いたい。家に行ってもいいか?”といったシンプルな文面だった。けれども、わたしは嬉しかった。 凰壮くんの両脇にいた女の子たちが脳裏にちらついて気になったけれど、こうしてメールを送ってくれた凰壮くんはわたしに会いたいと言ってくれている。わたしのことを考えてくれているのだ。それだけで充分だと思った。 わたしは直ぐに返信メールを打った。 “今、バイトが終わったから10分くらいで家に着くと思う。わたしも凰壮くんに会いたい” 普段なら言わないことを文字にした。少し気恥ずかしかったけれど、これがわたしの一番の想いだった。 わたしは涙を拭うと、精一杯の想いを込めたメールを送信した。 金魚が息づく水槽に花を浮かべるような夢 (2013.03.19) 企画「スイミー」さまに |