ハンサムな彼女
「あの、マジで?」
問いかけると、こくりと頷く。虎徹の心臓は周りに音が聞こえるんじゃないかと心配になるくらいにバクバクと鳴っている。顔を赤らめる二人ににんまりと笑いネイサンは席を立った。
「さぁ、邪魔モノはおいとましましょうか」
「ん?あ、あぁ…」
ネイサンはアントニオの腕を取る。恨めしそうな目をするアントニオと目が合ったが、俺は軽く片手を上げて謝罪のジェスチャーを送った。アントニオには悪いが俺だって男だ、こんなにかわいい子と二人っきりで飲めるなんて、そんなチャンスをみすみす逃したくはない。
おいしすぎる展開に少々不安もあるが、俺はネイサンに感謝せずにはいられなかった。
「手を出したらだめよ、タイガー」
「心配いらねぇよ」
ネイサンに釘を刺されて虎徹は肩を竦めてみせる。たしかにこの子はとんでもなくかわいい。でも自分のファンだというかわいいお嬢さんをいきなり襲えるほど、俺は若くもない。そんな勇気はとてもない。
「あのっ……」
部屋を出て行こうとするネイサンを彼女は呼び止めた。席を立ち、コソコソと虎徹に聴こえないように会話をする二人から視線を受けて、さすがの虎徹にも心の中に疑いが芽生える。
そんな虎徹の視線に気付き、ネイサンがウインクをひとつ寄こす。
「なんでもないわ、気にしないで」
そんなことを言われたって気にしてしまう。ネイサンたちは部屋から出ていき部屋には二人だけが残された。やはりなにか裏があるんだろうと疑って虎徹が席を立とうとすると、彼女が隣に腰かけてきて虎徹は立ち上がるタイミングを失ってしまった。
「あの、さ」
帰る、と口にするつもりが視線が勝手に彼女の胸の谷間へと向いてしまった。彼女のキャミソールの上から覗く胸はとても柔らかそうで、なんだか見てはいけないものを見ている気分になり虎徹は慌てて視線を反らせる。
「うさぎ、です」
「……ん?」
「わたしの、お店での名前、うさぎっていうんです」
彼女の声はとても小さかった。白く長い脚の上に両手を揃えて腰かけている彼女の指先はわずかに震えていて、顔をみれば耳まで赤い。あんまり赤いので、虎徹は少し笑ってしまった。
「やっぱり、へん、ですよね?」
「あー、違う違う、名前のことじゃなくて」
震える彼女を安心させるように虎徹は笑ってみせる。
「顔、真っ赤じゃねぇか。いっつもそんなんなの?」
指摘されて彼女は両手を頬に添えた。
「やだ、あの、違うんです。いつもはこんなじゃないんですけど……」
真っ赤なうさぎちゃんを見てるうち、俺はあっさりと彼女に対する警戒心を解いてしまった。今夜はなんにも考えず、可愛いうさぎちゃんと飲もう。
初めのうちこそぎこちなかったが、彼女は頭の回転が速く話題も豊富で会話が途切れることはない。ヒーローにも詳しくて、俺が過去に携わった事件やなんかも俺以上に記憶していて、俺達は初対面とは思えないくらい大いに盛り上がったのだった。
断っておくが、疚しいことは何もない。本当に話しをしただけだ。いくらうさぎちゃんが可愛くて俺が長いこと女の子とのそういうことにご無沙汰だからって、俺はおじさんだからそのくらいの分別はわきまえている。
明日も仕事があるし適当なところで切り上げて、また来るからと席を立った。
「今日はすんげぇ楽しかった」
その言葉に偽りはない。こんなに楽しい気分になれたのは久しぶりだった。
個室を出ると、ロビーにいたネイサンに声を掛けられた。アントニオは?と尋ねると酔い潰れて別室で眠っているという。そんなことより、とネイサンはニヤリと笑みを浮かべた。
「うさぎちゃん、どうだった?」
「すんげぇかわいいと思うよ」
俺は素直に感想を述べた。可愛いし、いい子だと思う。
「ねぇ、誰かに似てない?」
「えっと、……誰かって?」
尋ねられて、俺は首を捻った。うさぎちゃんと一緒にいて、確かに頭の片隅で何か引っ掛かることがあった。しかし、そんなわけはないとすぐに考えないようにしたのだ。うふ、とネイサンの口角が上がる。
「アンタの相棒に似てるでしょ」
「えっ……、あ、あぁ。そう、かなあ?」
指摘されて頭の中でカチャリと何かがハマる感じがした。そうか、バニーに似てるのか。……それはあまり気が付きたくなかったかもしれない。
「あー、だから、うさぎちゃん?お前が付けたのかよ、名前」
「ふふ、まあ、そんなとこ」
この時のネイサンの含み笑いに俺は全く気が付いていなかった。
「あの子、かわいそうな子なのよ。両親を事故で無くしてて親戚に引き取られたんだけど、その親戚ってのがひどいやつでね。あんまりひどいからわたしが身元引受人になってあげたの」
俺が尋ねてもいないのに、ネイサンはうさぎちゃんの身の上を語り出す。姿形だけでなく、両親を亡くしているという境遇もバニーと良く似ているみたいだ。
「勿論、もういい大人だし独り立ちできるはずよ。でも世間知らずなのよね、働いたこともないし。だからこの店で社会勉強させてるってわけ」
「社会勉強って……、なにもこんな店で働かせなくても」
俺の常識的な反論に対しネイサンは反発する。
「あら、こんな店、なんて言ってくれるじゃない。ここはアタシの店の中でも究極に安全なのよ。セキュリティ面でも客層でも」
虎徹がツッコミたいのはそこではなくランジェリー姿というスタイルに関してなのだが。
「とにかく、アンタ、暇な時にでも話し相手になってやってよ。うさぎちゃんに会いに来るんならお代はいらないから」
「……マジで?」
それはここに来ればいつでもタダ酒が飲める、ということだろうか。虎徹の考えを読んだようにネイサンが口を開く。
「高い酒は出さないわよ」
それはつまり、高い酒じゃなければいいという意味だろうか。バニーに少し似てるけど、可愛い女の子付きでタダで酒が飲めるなんて、こんなうますぎる話は少し怖い。何か裏があるに決まっている。
頭ではそう理解しながら、それでも虎徹はうさぎちゃんの元へ通うことになるのだ。
その夜虎徹は少々浮かれて、鼻歌なんて歌いながら帰宅した。こんなにいい気分なのは随分と久しぶりだ。
うっかりアントニオを置いてきてしまったことに気付いたのは翌朝になってからだった。
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