ハンサムな彼女
アリシアとヨーコの二人が退室し、部屋にはバーナビーとネイサンの二人だけが残された。
空になったグラスに自分でワインを注ぐと、ネイサンは脚を組み直し真っ直ぐにバーナビーと視線を合わせる。
「じゃあ、本題に入りましょうか」
どうして彼女にそんな話をしてしまったのかわからない。
僕は誰にも言わないつもりだった。これまで悩みがあっても僕は一人で解決してきたし、誰かに相談するだなんて選択肢は僕の中にはなかった。
「僕、虎徹さんのことが好きなんです」
ぽつり、とバーナビーは口にした。笑われるかと思ったがネイサンの返事は予想外のものだった。
「知ってるわよ」
ネイサンは穏やかな笑みを浮かべていて、そこに揶揄するような色はない。
それで、僕は心を許してしまった。もしかしたら自分で思っている以上に僕は弱っていたのかもしれない。誰かに話を聞いてもらいたかったのかもしれない。
「やだな…、そんなにわかりやすいですか?」
「そうね、気付いてないのは当の本人くらいじゃないの」
バーナビーから溜息が零れた。口元に自嘲的な笑みが浮かぶ。
「そんなことはないです、告白したんですよ」
ネイサンは大きく瞳を見開いた。
「ハンサムって意外と行動力あるのね、見直したわ」
「でも、ありえないって言われました。男同士なんて気持ち悪いって」
バーナビーはグラスに注がれていたワインを一気に飲み干す。
「……ひどいわね」
「いえ、僕が悪いんです。虎徹さんのことを好きになってしまったから」
バーナビーの言葉を聞いて、ネイサンは深い溜息を吐き出した。虎徹がノンケだということはこれまでの付き合いでわかっている。ノンケとそうではない人間というのは、こちら側の人間であるネイサンには簡単に見分けが付くのだ。
でも、それにしてもひどい。恐らくかなりの勇気を振り絞ったであろうバーナビーの告白を、虎徹は気持ち悪いと撥ね退けたという。
ネイサンにも経験がないわけではない、何故かノンケの男ばかりに惹かれてしまうネイサンの失恋の回数は数え切れないし、気持ち悪いと言われたこともある。しかし、そんなヒドイ振り方をした相手にはそれなりの報復をしてきた。
しかしバーナビーは自分が悪いという。バーナビーは何も悪くはないのに罪悪感を抱えてしまっている。
慈愛に満ちた笑みを浮かべ、ネイサンは席を立つとバーナビーの身体を抱きしめた。突然のネイサンの行動に戸惑い、身体を硬くするバーナビーにネイサンはただのハグよ、と笑う。
「ハンサムはなんにも悪くないわ。恋をしただけだもの。それはとっても素敵なことよ」
ネイサンの腕の中で小さくバーナビーの身体が震えた。泣いているのだろう、しかしネイサンは何も言わずただバーナビーの背中を撫で続ける。
本当に、こんないい子を泣かせるなんて。フツフツとネイサンの中で虎徹に対する怒りが沸き上がる。正確に言えばそれは虎徹に対する怒りだけではなく、男だという理由で自分を振ってきた相手たちへの怒り、なのだが。
大体、虎徹だって悪い。その気がないのなら必要以上に構ったり優しくしたりしなければいいのに。あの男のことだから深く考えないで、ただ自分に懐き始めたハンサムのことが可愛くて可愛がっていただけなんだろうけれど。本当に、あの天然タラシは!
無自覚にハンサムのことをタラシこんでおいて、それでハンサムが好きだと言ったら”気持ち悪い”だ?……許せない!
バーナビーが泣き止むのを見計らい、ネイサンは突拍子もないことを口にした。
「ねぇ、ハンサム。アンタ、女になってみない?」
「え……?」
バーナビーは驚いて、涙の引っ込んだ瞳を大きく見開いた。
「女になってタイガーのことを落とすのよ」
「まさか……、冗談、ですよね?」
ネイサンは唇の両端をむにゅっと吊り上げる。
「あら、ワタシは本気よ?実は女の子が足りないのよね、さっきのアリシアもやめちゃうし。新しい子が入るまでの、少しの間でいいワ」
ようやくバーナビーはネイサンが冗談など言っているわけではないと理解した。
「もしかして、僕にこの店で働け、と言うんですか?」
最初からほんの少しはそのつもりでいたのだ、ハンサムの悩み相談を聞いてあげて、気分転換のつもりで働いてみないかと持ち掛けるつもりでいた。乗ってくれたら面白いし、断られても構わないくらいの軽い気持ちだったがバーナビーの話を聞いてネイサンの気は変わった。
「ハンサムなら本気を出したらNO.1になれるわョ」
彼女は最初からそのつもりで、僕をこの店に連れてきたんだろうか。さっき紹介されたNEXTもこの話に繋げるための布石に思えて仕方ない。本当に食えない人だな、とバーナビーは再び溜息を吐き出した。しかし口元は微笑んでいる。
「どうですかね、あまり自信はありませんが」
ネイサンは己の企みが成就するのを確信した。
「わたし、人を見る目はあるのよ。……商談成立ね」
こうしてバーナビーはネイサンの店で働くことになったのだった。
「イイ先生を付けてあげるから、彼女から男を落とすテクを盗んで見に付けなさい。指名が入るようになったらタイガーをお店に呼んであげる」
「……虎徹さんが、こんな高そうな店に来ますかね?」
自分が女になってこんな店で接客をする、ということは当然不安だったが現実味が無さ過ぎて実感が湧かない。なので虎徹さんが、虎徹さんにとっては居心地が悪いだろうこんな店に本当に来るのかどうかの方が疑問だった。バーナビーの心配はもっともな物だったが、事も無げにネイサンは答える。
「心配ないわ。タダ酒が飲めるって言えば簡単に来るわよ。2回目以降来るかどうかはハンサムのがんばり次第ね」
ネイサンによれば、今までもネイサンが経営する他の高級クラブに誘ったこともあるが断られたことはない、ということだった。
「ところで、ハンサムのお店での名前は何にしましょうか」
「名前、ですか?」
「まさか、バーナビーのままじゃいけないでしょ?」
ネイサンはバーナビーに品定めするような視線を送った。そしてピンと頭に閃いたその名前にむにゅっと笑う。
「決めた。”うさぎちゃん”」
「え?」
「アンタの名前はここでは”うさぎちゃん”。ぴったりだと思うわ」
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