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普段見えぬ首筋が見えた時。ピタリと張り付き体のラインが浮かび上がる礼装を着ている時。無邪気な笑顔の中に潜む加虐的な表情が見える時。ふと、抱いたことの無い感情を覚えるようになっていた。いつもより早鐘を打つ心臓を不思議に思いながら自分の胸に手を当て、暫くすると落ち着く心臓に安堵する。英霊の身で病気になる筈もなく、何処かから魔術的な攻撃を受けているのか。それにしては余りにも弱過ぎる。そして、カルデアが外敵からの攻撃を長期間見過ごす筈がない。他の方々には身に覚えがないらしく、今のところ被害は私一人ということになる。ならば、この胸騒ぎのような、胸中を掻き乱されるような原因はなにか。それを探る内に、私のマスターが大いに関わっている気がした。


「どうしてなんでしょう?」
「どうしてって……。」


食堂にいたもう一人のマスターこと藤丸立香は私にじとりと視線を向け呆れたような表情を浮かべつつも、ほんのりと頬を赤く染めている。はて、何か彼の照れるようなことを言ってしまったのでしょうか。全く心当たりがなく、こちらとしては首を傾げるばかり。そんな私を余所に、彼は頬の赤みはそのままにして、こほん、と一つ咳払いをすると口を開いた。


「天草は名前先輩のこと、どう思ってるの?」
「マスターのこと、ですか?」


うん、と頷いた彼からは幼さの残る表情が消え、真っ直ぐ私を見詰める瞳は真剣そのもの。元より相談を持ち掛けているのは私の方なのだから、彼の言葉から逃れ、はぐらかすつもりもない。彼の真剣な瞳から少しばかり視線を逸らして我がマスターのことを思い浮かべた。私を召喚した彼女は彼同様、ごく一般的な人間である。一般的な家庭で育ち、一般的な道徳心、倫理観を持ち、一般的な常識を持ち合わせている。ただ少し魔術の知識があるだけの人間。そんな彼女から悪意は感じない。善意が特別強い訳でもない。そして、無条件に私のことを信頼している。無垢といえば聞こえはいいが、魔術師としては評価に値しない。けれど、彼女から向けられる感情は生前、私の魔術を奇跡と呼ぶ人々の信頼に似ていて、どこか懐かしい。


「マスターと過ごすのはとても心地が良いですね。」
「……まぁ、そうだよね。」


質問を投げ掛けた割りに彼の返事は素っ気ない。というより、複雑そうな表情をして、眉間に皺を寄せ、腕組みをしながら唸り声まであげている。私の返事が気に食わなかったのでしょうか。悪口ととれるようなことは一切言っていないと思いますが。暫く何かを悩んでいた彼は頭を抱えていた訳ですが、突然意を決したように私へと向き直り


「天草にも人並みに欲求があるんだね。」


困ったように笑いながらそう言った。突然何を言い出すかと思えば。当然、私にも人並みの欲求はあります。一応、英霊になる前は私も魔術を少し嗜んでいるだけの人間でしたから。彼はなぜそのような当然のことを口にするのに悩む必要があったのでしょう。きょとんとする私を余所に、彼はこれ以上、自分からは言えないと言う。後は自分で考えるよう促されて、席を立ってしまった。暫し彼の言葉を反復してはみたものの、思い当たる節や解決策は見当たらない。結局、また振り出しに戻ってしまった。幸いにも実害はない。彼も何かを知っているようでしたし、そのうち解決するでしょう。私も席を立って食堂を後にした。

***

「おや、マスター。」
「四郎さん!ちょうど良かった。」


マスターの後ろ姿を見掛けて思わず声を掛けた。特に用がある訳ではなかったのですが、何となくそのまま去って行く姿を見ているのは落ち着かず。私が一声掛ければ、マスターはにこにこと笑って私の元に駆け寄った。手には何やら小さな箱が一つ。


「アーチャーのエミヤさんからカステラを貰ったんです。少ししかないから他の人にバレる前にお部屋で食べるといいって言われて。」
「それを私に話しても良いのですか?」
「少しと言っても、一人で食べるにはちょっと量があるし、四郎さんと食べようと思ってたんです。」


いくら私がマスターのサーヴァントといえど、本来食事は必要ないのだから、わざわざ私でなくともいいでしょうに。しかし、マスターの心遣いは素直に嬉しい。カステラが好物と言うわけでも甘味が好きな訳でもないが、その好意には甘えておくが吉と見える。急ぎましょう、と私を急かすマスターの声に頷いて、彼女の自室へと足を運んだ。


「今、お茶の用意をするので待っててくださいね。」
「ありがとうございます。」


マスターの自室と言っても作りは他の部屋と大差がない。家具なんかは丸っきり他の部屋と同じだが、それでも、所々に見える彼女の私物がここをマスターの部屋たらしめていると思った。ぐるりと周囲を見回して、それから部屋の端に用意されている簡易的なパイプ椅子に腰を掛ける。その間にマスターはテキパキとお茶の用意をすると、私の前に切り分けたカステラと湯呑みを差し出した。どうぞ、と促され一口食べてみれば程よい甘さが口に広がる。マスターはと言えば美味しい美味しいと言って次から次へとカステラを口にする。何となく、その仕草一つ一つをぼうっと見詰めてしまう。カステラを食べ易い大きさに切り分けて口の中へと運ぶ。男よりも厚くぽってりとした赤い唇を、ちらりと覗く舌が舐めとっていく。咀嚼をしてごくりと飲み込むと喉が動き、お茶を含んでほうっと息をつく様は、何か、落ち着かない。ふと、直前に話していた彼の言葉を思い出した。


「四郎さん?食べないんですか?美味しいですよ?」
「そう、ですね。とても美味しいです。」


は、と我に返り取り、繕うようにカステラを口に含む。「人並みに欲求がある。」彼はそう言った。もしや彼が言っていたのは、そういうことなのだろうか。私は彼女に対して、女性として劣情を抱いている、と。最早、久しく抱いていなかった感情に戸惑いの方が大きいが、考えれば考える程に点と線が結ばれる。なんだ、そういうことだったのか。すとん、と自分の中で落とし所を見付けたお陰か、妙にスッキリと晴れやかな気持ちだ。それならばそれなりの対応というものがある。カステラを食べていた手を止めてフォークを皿の上に置き、既に完食して満足そうにしているマスターを見詰める。


「マスター。」
「なんでしょう?」
「どうやら、私は貴方に恋をしているようです。」
「………………………こい?」
「お慕い申している、という、いえ、そうですね。今風に言うのであれば貴方の事が好きです。」
「…………………………すき?」


ぽかん、と口を僅かに開けたままのマスターがあまりにも間抜けなので思わず笑ってしまった。そうですね。自分の思いに気付いたからといえど、考えもなしに告白するものではありませんでした。本来であれば、そのような考えに至る筈もないのですが、これも恋の病というものでしょうか。気付かぬうちは対策のたてようもないが、原因が分かればこちらのもの。今後はいくらでもやりようがある。机の上に投げ出されているマスターの手を自分の両手で包めば、拒絶されることもなく、すんなりと受け入れられてしまう。


「名前さんのことが好きみたいです。」


是非、良いお返事を期待しています。