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→トリップ主



鯉登少尉が呼んでいるから来て欲しいとの知らせを受けて扉を叩けば、部屋の中はアルコール臭に満ちていた。気持ち廊下よりも温度が高い気がする。何事かと思いながら部屋の中を凝視していれば、机をだんだんと叩きながら何時もの様に暴れている鯉登少尉と、最早面倒臭いと顔に書いてある月島軍曹が居た。帰りたい。この惨状を見て、ここに留まろう等と思う人は居ないだろう。中に入る事を躊躇していれば、かなり飲んだのであろう鯉登少尉が私の存在に気付いてしまった為、内心溜め息を吐きながら中に足を踏み入れた。



「ん!」
「はぁ。」



入るなり早々、両手を突き出してきた鯉登少尉に徳利とお猪口を渡された。お前も飲め、という事なのだろうか。一応、両方を受け取ってから席に着く。勿論、自分が飲むよりも先に、鯉登少尉と月島軍曹にはお酌をする。上司や目上の者にはお酌をして回るなんて現代ではだいぶ薄れたマナーだが、立ち場が物を言うこの時代、守っておいて悪い事はないだろう。鯉登少尉なんかは分かりやすいくらい機嫌を持ち直した。本当に単純だな、なんて思いながら月島軍曹にお酒を勧める。口には出さないが、労いの気持ちを込めて。



「さぁ、わいも飲め。」
「ありがとうございます。お気持ちだけで「なんじゃと!?おいん酒が飲めんのか!?」」



凄い面倒臭い酔い方してるじゃないか。現代で培った知識をフルに活用して逃げようと思ったが、ここまで露骨なアルハラかましてくる上司も中々に珍しかったのでは。さ、と視線だけを月島軍曹に向けて助けを求めれば、諦めてくれと言わんばかりにお猪口を口に運んでいた。普段ならもうちょっと粘って助けてくれるが、月島軍曹も大概酔っているのかもしれない。単に面倒なだけかもしれないが、救援は早々に諦めた。心の中で溜め息を零しながら、一気にご機嫌斜めになって呻く鯉登少尉をこれ以上怒らせると余計に面倒臭くなると判断し、大人しくお猪口を差し出す事にする。中身を空けずに鯉登少尉と月島軍曹に延々とお酌をして潰す作戦に移行だ。



「では、少しだけ。」
「遠慮すっな!沢山飲め。」



手元がおぼつかないのか、お猪口に並々とお酒が注がれる。ともすれば零れそうな程だ。お陰でお猪口を口に運ぶまでもなく、お酒の香りが鼻腔を霞める。薄々、気付いていはいたが、これは日本酒だ。人並みにお酒を嗜むが、日本酒ともなると話は変わってくる。カクテルばかり飲んでいる現代人に、これを延々と、まして一気に飲んだりなどは決して出来ない。二日酔いどころか、その場で吐くとか記憶を失うとか、兎に角、大惨事になる事は目に見えている。絶対に酔ってはいけない。早く潰さなければ。使命感にも似た感情を抱きながら、ちらりと鯉登少尉を盗み見る。先程とは打って変わってにこにこと嬉しそうだ。まぁ、一口くらいは口をつけておかないと不自然だろう。毒気を抜かれてお酒を口に含んだ。



「んっ!?からぁ!なんれすかこれぇ!」
「ははっ!名前は酒は苦手か?」



アルコール度数の高さに思わず声を荒げてしまった。何度のアルコールか分からないが、こんなもの飲み続けていられる訳がない。というよりも、絶対に飲み続けてはいけないものだ。どことなくひりひりする舌を出して冷ます真似をする。私では一口でこんな風になるというのに、よくこんな物を飲んでいられるな、と感心した。確か、鯉登少尉の出身は九州の方だった筈。現代でも九州地方の人はお酒が強いイメージはあるが、そんな偏ったイメージを体現しているように思える程だ。鯉登少尉を見ると、じっとりと据わった目をしてこちらを見る目と目が合った。浅黒い肌でも分かるくらい頬は紅潮しており、どれだけ飲んだのだろうかと疑問を抱きつつ、ふっと、笑顔に戻った鯉登少尉にすかさずお酌をする。



「それで?どうして今日はこんなに飲んでるんですか?」
「う……。」
「鯉登少尉?」



私が主題を持ち掛ければ、一変して暗い顔をした。ころころと表情が変わる忙しい人だな。暫く、少尉の言葉を待っていれば、ぼそぼそと何かを喋り始める。先程までは明朗快活に喋っていたというのに、突然どうしたのだろうか。少尉、と声を掛けようとしたところで、勢い良く顔を上げた鯉登少尉が叫び声にも似た声を発した。



「○☆♯×〜¥*▽!!!」
「え???」



なんて?こんなにも大きな声を出しているのに、早口のお国言葉のせいで全く分からない。月島軍曹は分かっているのか、はぁ、と短く溜め息を吐く。月島軍曹が訳すに、この癖のせいで鶴見中尉と直接お話が出来ずにもどかしい、と言っているらしい。口には出さないが、女子高生かよ、と内心ツッコミを入れた。月島軍曹は何度も聞かされているのか、学習したらいいでしょうに、とごちている。月島軍曹って大変なんだな。再び、拳を机に叩きつけては早口で何かを捲し立てている鯉登少尉だが、月島軍曹はもう通訳をする気が起きないらしい。毎度毎度、鶴見中尉の事でこれだけ騒ぎ立てられるのはある意味で才能なのではないだろうか。感心しつつ、このまま放っておいては机が壊れかねない。慰めの一つも必要だろうと、取り繕う様に笑顔を作った。



「でも、方言って可愛いですよね。私のところでは方言男子って言って、一定層の女性から人気ありましたよ。」
「……そうなんか?」
「はい。」
「……名前はどうなんじゃ?」
「私ですか?可愛いと思いますよ。鯉登少尉の薩摩弁はちょっと早口で何を言ってるのか分からない時もありますけど、好きです。」
「!」



ぴくりと肩を揺らして固まった。慰めるというよりも気を紛らわせただけに過ぎないが、これで机が壊される事はないだろう。この時代、机一つをとっても大事な資源だ。ホイホイと買えるものでもなし。物は大切に扱って頂きたいものだ。顔を伏せている為、あからさまに安堵の色を映したところで、怪訝に思われる事もない。それまで、様子を窺うように大人しかった月島軍曹が、ぐい、とお猪口を傾けて中身を空にすると席を立った。



「あまり飲み過ぎるのも明日に障ります。私はこれで。」
「☆×○〜!!!□♯*¥!!!」
「月島軍曹お部屋に戻るんですか?それなら私も……。」



流石に、夜、酔っ払いの男と二人きりになるのはまずいだろう。自意識過剰かもしれないし、向こうにその気が全くなかったとしても、何かがあってからでは遅い。部屋を出ようとする月島軍曹に習って席を立てば、がしり、と思い切り強い力で手首を掴まれた。体のバランスが崩れて後ろへと倒れそうになったところで、これまたがしりと後ろから抱き締められる。こちらが目を白黒させて状況把握に徹している間に、月島軍曹はやれやれといった顔をして部屋を出て行った。え?この状況で普通置いて行く?呆然とする私を余所に、その扉は静かに音を立てて閉まってしまった。



「好きか。」
「はい?」



私を抱き留めた酔っ払いは訳の分からない事を言っている。顔だけ後ろに向ければ、据わった目の内に何か良くないものを感じた。無意識のうちに逃げようと少尉の腕を解く為に掴めば、腰に回った腕は逆に力を強くして体を引き寄らせてしまう。本当に何だと言うのだ。



「鯉登少尉?」
「好きちゆたじゃろう。おいもだ。」
「方言の話ですよね?」



あれだけ強かった腕の力が緩むと、ぐるりと体の向きを変えられて少尉と正面から向き合う形になった。膝の上に乗せられている上に体がくっついてしまって、あまりにも距離が近過ぎる。パーソナルスペースが存在しないのか、なんて軽く現実逃避をしながら、普段は見上げている少尉を見下ろした。上目でこちらを見詰めてくる様は不覚にも可愛いと思う。目が据わっていなければの話だが。どうしたものかと考えあぐねていれば、突然ぎゅう、と抱き寄せられて首筋にちくりとした痛みが走った。そのまま首筋から胸元にかけて、ちゅ、ちゅ、とリップ音を立てながらキスをされる。突然の事で気が動転していた私だが、少尉の手が着物に掛けられたところで慌てて肩を押し返した。



「な、何してるんですか!?」
「ないって。言わせてんか。」



何照れてんだと言いたい。言わせるも何も、言わせて照れる様な事をする仲じゃない筈なのに。ぐいぐいと体を引き離そうとすれば、倍の力で腰を引き寄せられてしまう。お陰様でお尻に硬いものが当たっている事に気付いてしまったではないか。びく、と大袈裟なくらい体を跳ねさせれば、少尉が熱の籠った目をして私を見上げていた。首筋に掛かる息がくすぐったくて今直ぐ逃げ出したいと思うのに、熱に浮かされた目を見ていると私まで動けなくなってしまいそうで。ごくりと唾を飲み込めば、少尉の顔が近付いて自然と唇が重ねられた。完全に流されている。分かってはいるが、早鐘を打つ心臓が何か勘違いさせて抵抗する気を削いでいるように思えてならない。息を吸おうと小さく口を開いたところで、少尉の舌がぬるりと入り込んで来る。すかさず舌を絡め取られて口内を蹂躙されると、お酒のアルコールまで移されている気がした。何度も角度を変えてキスをされると、酸欠とアルコールで頭がくらくらする。苦しい。少尉の胸板を叩いて訴えると、思いの外、あっさりと離れてくれた。



「はぁ、はっ、しょう、い……!」
「!!!」



浅い呼吸を繰り返し、早く止めさせなければと思うのだが、私がそれを言うより早いか、少尉は私の体を持ち上げて机の上に押し倒してくるではないか。慌てて押し返すも、手首を掴まれて、何事もなかったかのように顔中にキスをされる。その合間に、名前、名前、とうわ言のように名前を呼ばれ、好き、と。ぶわ、と全身が一気に熱を持った。これだけ態度に出されたら分からないと言う方が難しい。どうしよう。どうしたら。混乱する私を余所に、少尉は今一度私の名前を呼ぶと触れるだけのキスをして、ふにゃりと気の抜けたような笑みを零した。



「名前さん、好きです。」



流石にそれはずるくないか。



――――
月島軍曹は元から進展させたい事を少尉から相談されてたけど、面倒になったので適当に酒でも飲んで勢いつけたらどうですか、みたいな事言ったら予想外にその意見が受け入れられてしまい、酒を飲んで主を連れて来るまでは付き添って良い感じになったら席を外す腹積もりだったので最初から主を逃がすつもりがないからいつもの面倒見の良さは鳴りを潜めたというか、少尉の面倒見てたって感じです(長い)。