その他 | ナノ





→トリップ主



「私は戦争を知らないんですよ。」



名前さんは俺達の生きる時代よりずっと後の日本から来たのだという。それを聞いた時、この子は守らなければいけないと思った。変な正義感や義務感じゃない。強迫観念とも違う。誰にでも差し伸べる彼女の手が、汚れてしまってはいけないと思うのは至極当然の事だった。だから、出来得る限り名前さんに向けられる殺意は排除してきた。戦争を知らない彼女が、戦う事など知らず、いつかは元の居場所に戻って平和に暮らせるように。俺みたいに、戦争が終わった後も頭が可笑しくなって戦争を続けているような人間にならないように。



「俺は平気だって。不死身って言われてるんだよ。」
「馬鹿言ってないで早く止血しないと!」



俺が怪我を負えば、名前さんは我が事のように心配をしてくれる。声音は俺を責めるように強いが、その表情を見れば声とは裏腹に今にも泣きそうだ。彼女には、俺の二つ名も意味をなさない。いつもそうだ。彼女は俺が不死身だと言う度に、泣きそうになる。それがどうしてなのか、俺には分からない。戦争に行ってから、もうとっくに人間性は剥がれ落ちている。殆ど、亡霊のようなものだ。死に場所を失って、今もこうして彷徨っている。金塊を見付けるまで死ぬつもりはないが、それでも死に場所を探しているような気がしていた。だが、彼女を見ていると自分が戦った事にも意味があったのだと思える。これから日本はまだ戦争をするだろうが、それでも、名前さんの生きる時代に戦争は確かにない。名前さんのように手を汚さずに生きられる時代がくる。戦争を知らないんですよ。その言葉に、良い時代が来るんだなと確かに思った。



「杉元!名前が!」
「名前さんっ……!」



夕餉の為に狩りをする為、山に入った時だった。後ろから着けられているのは気付いていたが、相手はどうにも人数が多く、地の利がない分、俺達が不利だった。一定の距離を保ちながら暫く様子を見ていたのが、一発の銃声が響いた時、全てが崩壊する。雪崩れ込む様に男達がわらわらと現れた。白石は役に立たないが、尾形と谷垣なら十分戦力になる。適当に放たれる銃からアシリパさんを庇いつつ非難させていれば、焦る様なアシリパさんの声が脳に直接響いている気がした。振り返れば、名前さんの直ぐ側で刃物を振り下ろす寸前の男が立っている。それを見た瞬間、反射的に体が彼女の元に向かった。殺すな。触るな。殺すぞ。そのままでは名前さんの首に刺さっていたであろう刃物を自分の手で受け止めて、力の限り男を殴った。不思議と痛みはない。頭が沸騰してそれどころじゃないんだと、どこか冷静な自分がいた。あらん限りの力で殴ったからか、吹っ飛んで木の幹に体を打ち付けた男に追い打ちを掛ける為、馬乗りになって足を封じてから、もう一度顔面を殴る。口の中が裂けたのか、拳に男の血がついた。地を這うような呻き声がして意識が男に戻る。まだ呻く余裕があるのか。素早く頭を殴ってから、暴れる腕が鬱陶しくて関節を外す。叫び声が聞こえ、もう一度、このまま殴って殺してやろうと拳を振り上げた。



「杉元さん!それ以上は死んじゃいます!」



叫び声が聞こえた。それは紛れもなく名前さんの声だ。殴るのを止めて振り返れば、不安そうに俺を見詰めている。死んじゃう、じゃなくて、殺すんだよ。今更、この男を生かしておく必要がない。名前さんを殺そうとした男だ。今殺さないと、もしかしたらまた殺されそうになるかもしれない。寧ろ、次は本当に殺されるかもしれない。殺されるくらいなら殺した方が良い。戦争では沢山殺した。顔も覚えちゃいない。今更、この男一人殺したところで何も変わらない。



「杉元さん……。」



でも、きっと、名前さんは違う。誰も殺していない、その意思すらもない無垢な手は綺麗なまま、もし、俺がここでこの男に止めを刺せば、一生、罪悪感として名前さんを縛るかもしれない。それじゃあ意味がない。俺は名前さんに人殺しだとか戦争だとか、そういうのとは無縁のままでいて欲しいんだ。拳を下ろし、じろりと男を見下ろせば、ひゅーひゅーと今にも死にそうな状態で呼吸をしている。殆ど瀕死だが、それでも運が良ければ生きられるだろう。もうこいつに用はない。周囲を見回せば、多くは既に殺されているか逃げられているかで、名前さんの周りは比較的安全なようだ。尾形と谷垣のお陰だろうな。素早く立ち上がって名前さんの元へ走り、しゃがみ込んでいる彼女と目線を合わせるように腰を下ろした。



「名前さん大丈夫?怪我はないか?」
「大丈夫です。ありがとう。」
「良かった。」



胸を撫で下ろしているのは、男がまだ生きているからだろうか。その目が揺れているのは俺に怯えているからか。でも、いいんだ。名前さんがどんなに怯えても、失望しても、生きてさえいてくれれば。どれだけ周囲の人間が死んでも、名前さんが生きていてくれれば、それだけで俺は救われた気持ちになる。まだ、生きていても良いと思える。大丈夫。何があっても俺が守ってみせる。周囲を殺して名前さんだけは生かしてみせる。怪我もしていない名前さんに安心して、ふっと気が抜けたように笑えば、一瞬だけ、名前さんは戸惑うように顔を歪ませた。