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→hollow軸?
→第5次マスター面子と知り合いの人とランサーの話
→マスターではない。魔術の知識がある一般人。



午後2時を過ぎた昼下がり。ランチタイムも終わった平日のカフェでは人も疎らで、その静けさが気に入っていた。テーブル席に座れるのも気に入っている事の一つである。ソファーのような椅子に腰を下ろして、普段頼む時と同様に店員さんお勧めの紅茶を頼んだ。午後からは大学の授業を組んでいない為、こうして好きに時間を使う事が出来る。提出予定のレポートもあるし、学生らしく勉学に励む事にしていた。のだが、紅茶を運んできた店員さんはティーポットやティーカップ等、諸々をテーブルの上に置くと、目の前の席に座り始める。にこにこと、いやに愛想が良い。



「……ランサー?お仕事しなくていいの?」
「細けぇ事は気にすんな。こんだけ人がいねぇんだから、俺がここでサボってようが変わんねぇよ。」
「サボってちゃ駄目でしょ……。」



目の前の男に溜め息を吐いた。神代に生きたこの人にとって現代の、それも日本の労働形態など窮屈で仕方ないんだろうなとは容易に想像出来るが、それでも馴染んでいるのは流石の順応力とでも言うべきか。どんな環境でも生きる事に長けているという事を、まさかこんなどうてもいい日常生活で思い知らされるとは思わなかった。呆れたような感心したような、複雑な心境でじっとりランサーを見詰めていれば、いつまでも紅茶に手をつけない私に、ランサーが勝手にティーポットを持つとカップの中へと紅茶を注ぐ。明るく半透明のような琥珀色をした紅茶は、店員さんことランサーのお勧めである。こう見えても紅茶に詳しいというのは割とギャップ萌えというやつではなかろうかと常々思っていた。



「まーた小難しそうな本持ってんな。」
「私だって読みたくないけど、レポート仕上げる為に必要なの。邪魔しないで。」
「へぇ?俺が邪魔か?」
「当たり前でしょ。」



元々、一人を想定していたのだ。邪魔なのは当たり前である。砂糖をティースプーン一杯程入れてミルクも少し。甘過ぎるのは好きではない。けれども、苦いのも好きじゃない。そんな私の我が儘を聞いて、ストレートでもミルクを淹れても丁度いいブレンドの紅茶を持って来てくれた事に関しては感謝している。お陰さまですっかり私は紅茶派だ。琥珀色から飴色に変わった紅茶を一口含むと、程良い甘さと口当たりの良さに自然と張っていた神経が緩む。



「いいねぇ。あんたのそういう顔。」
「え?変な顔してた?」
「いんや。」



頬杖をついてにやにやと笑うランサーに緩み切った神経が少しだけ引き締まる。この男は人をからかって遊ぶのが好きな人種なのだ。あんまりにも気を許してしまうと、直ぐに弱いところを突かれてしまうから気をつけなければならない。カップをソーサーに戻し、目の前の人物を無視して本を開く。ランサーがさっさと仕事に戻るように、と思っての事だ。そんな私の態度に最初こそ悪態を吐いていたが、渋々とでもいうようにランサーは仕事に戻って行った。ようやく静かになり、時折紅茶を飲みながら時間が更けていく。



「まだ読み終わらねぇのか?」



本を読み始めてからどれだけ時間が経ったのか。窓から差し込む光が黄昏色なあたり、かなり集中して読み耽っていたらしい。不意に掛けられた声に顔を上げると、テーブルの側を歩いていたランサーが正面のソファーにどっかりと腰を下ろすところだった。見れば制服ではなくラフな私服になっている。どうやらバイトの時間は終わったようだ。栞を挟んで本を閉じる。



「まだ終わらないよ。」
「そうかい。って、おいおい、紅茶冷めてんじゃねぇか?」
「あ、本当だ。」
「勿体ねぇな。熱いうちに飲む方が美味いんだぜ。」



随分集中していたようだ。カップの中に入っている紅茶はすっかり冷めきっているだろう。一口含んでみると、暖かい時とは少し味が変わった様に思う。それでも美味しいのは良い茶葉でも使っているのだろうか。そんな事を考えながら、ふと、目の前のランサーが気になった。バイトが終わったのなら教会なり例の廃墟の城なり、帰る場所があるだろうに、なぜこんなところで油を売っているのだろう。バイトか釣りかナンパか。どれもこれも日中に用事が済んでしまうランサーにとって夜は暇なのだろうか。いや、夜にバイトを入れたりナンパをしていれば話が別なのだが。



「帰らないの?」
「お前さんはどうなんだ?」
「私はこれ飲んだら帰るよ。」
「だろうな。だから待ってんだ。」



どんどん疑問が増していく。なぜ私を待つ必要があるのだろうか。この後に約束なんてしていない。いくら女の一人歩きが危ないとはいえ、まだ夕方だ。一応、大人認定される歳の私をこんな陽の出ているうちから送る様な優しさなんて持ち合わせていただろうか。持ち合わせていたとしても、いらぬ世話というもの。そこまで過保護にされる筋合いなどない。



「なぁ、なんで決まった曜日、決まった時間にこの店に来てんだ?」



あまりにも突拍子がなくてポカンとしてしまった。どうしてそんな事を聞くのだろうか。それよりも私が来る日や時間を把握していた事の方が驚きだ。尤も、普段からバイトとしてこのお店で働いているランサーが、ある特定の日だけ必ず遭遇する常連がいれば覚えるのは当然か。暫くランサーの言葉を頭の中で反復させてから、とりあえず質問に答えなければと律儀にも回答を探した。



「この時間に授業もバイトも入ってないからだけど。」
「へぇ?貧乏学生がわざわざ毎週この高い店にねぇ。」



にやにやと笑うランサーに言葉を詰まらせつつ、冷めた紅茶を飲み込んだ。確かに、私は貧乏学生だ。ランサー程ではないが、サークルにも入らずにバイトばかりしてはバイトと大学を往復している。恐らく、ランサーはこう言いたいのだ。そんなバイト戦士がわざわざ時間を作って興味もなかった高い紅茶を飲みに来るようになったのはなぜか。この男は本当に意地が悪い。分かっていて、わざとこんな遠回しな言い方をしてくる。直球勝負が得意なのかと思いきや、こんな駆け引きも出来るなんて聞いてない。釈然としなくて自然と眉間に皺が寄る。



「言っておくけど、ランサーが思う様な事じゃないから。」
「そりゃ残念だ。俺はそうならいいと思ってたんだがなぁ。」
「……性格の悪さ、誰かさんから移ったの?」
「縁起でもねぇ事言うな!」



こんなお洒落な空間で声を荒げないで欲しい。頬杖をつきながら眉間に皺を寄せて口を尖らせるランサーに少しばかりすっきりする。私が、この身の丈に合っていないお店に通うのはランサーの想像通りだ。決まった曜日、決まった時間に通うのも、興味もなかった高い紅茶を飲むようになったのも、好きでもない読書をしているのも、全部全部、ランサーのせいだ。ただランサーに会えるからというだけ。会いたい理由なんてものは言わずとも分かるだろう。そうだ。私は彼に恋をしている。どこまでも不毛な恋。最後は別れの決まっている、ありふれた恋愛小説みたいな恋。自分でもやってられないと思う。さっさと気持ちを切り替えるべきだと、何度も言い聞かせた。けれども、流石、医療界隈では病理認定されているだけある。いつまで経っても好きという感情は消えてくれなかった。



「私ね、凛みたいに強くないの。桜みたいに芯のある性格でもないし、イリヤみたいに賢くもない。何かあれば直ぐに心が折れちゃうし、諦める人間だよ。」
「なら、その根性叩き直してやろうか?」
「それもいいかもね。ランサーがいる間に直ればの話だけど。」



外を眺めていた赤い瞳が真っ直ぐ私を見る。私は、その苛烈な色から逃れたくてテーブルに視線を落とした。私は弱い人間だ。マスターと呼ばれる年下のあの子達よりも、うんと弱い。諦める事も出来ず、だからといって自分の気持ちを告げる事も出来ず。どっちつかずなまま、こうして不毛な行為を繰り返している。今会わなければ後悔する。今会えば居なくなった後に後悔する。その両方が私の判断を鈍らせた。どうしたらランサーが居なくなった後に自分が傷付かないでいられるかを只管探している。弱い上に卑怯で我が事ながら笑ってしまう。



「名前。」



真っ直ぐな声が響く。反射的に顔を上げると目が合った。綺麗な鮮血を思わせるそれは、過激な色合いとは裏腹に慈愛に満ちている。自然と息を飲んだ。子を見守る親のような、無償に近い愛が込められているような、そんな錯覚さえ覚えるようだ。



「俺に出会わなければ良かったと思うか?」



ランサーの言葉に考えるよりも先に頭を左右に振った。出会えて良かったと思う事はあれど、出会わなければ良かったと思った事は一度もない。私が否定した事にランサーは嬉しそうに笑う。先程とは違う、子供みたいな無邪気な笑顔。ころころと変わる表情は見ていて飽きない。



「なら、それが答えだろ?強情な女も好きだが、たまにゃ自分に素直にならないと辛いだけだぜ。」



強情なんかじゃない。弱いから予防線を張っているだけだ。自分が傷付かないようにしているだけだ。それなのに、この男ときたら、どうでもいいと言わんばかり。私の今までの行為が馬鹿みたいだ。いや、実際馬鹿な事をしていたのだが。再びテーブルに視線を落とす。飴色のミルクティーは冷めても十分美味しかった。



「酷い人。」
「ああ。」
「最低。女ったらし。」
「否定はしねぇ。」
「馬鹿。居なくなった後の事も考えないで。」
「これでも多少は我慢したんだがな。好きな女が近くにいて、何もしねぇって方が無理あるだろ。」
「……本当に馬鹿。」



子供じみた罵詈雑言を並べてはみたが、この陽気さというか、能天気さには敵わない。落としていた視線を上げて、にこにこと笑うランサーと目を合わせる。もっと雰囲気とか、それらしい言葉はなかったのだろうか。駆け引き上手だと思ったのは私の勘違いなのか。じっとりとランサーを睨みつけた。



「いいじゃねぇか!言葉より態度で示す方が手っ取り早いだろ?」
「駄目。言葉で伝えてくれないなら凛に愚痴りに行く。」
「げぇ!それは止めろ。アーチャーが首突っ込んで説教してくるじゃねぇか!」



心底嫌そうな顔をしている。相変わらず、仲が良いんだか悪いんだか。けれど、こればかりは私も譲らない。一緒にいれる時間が短いからこそ、言葉は大切だ。声を忘れて、仕草や表情を忘れても、贈られた言葉は覚えているものだ。ごほん、とわざとらしく咳払いを一つして、頭をかいたランサーが覚悟を決めたように真剣な顔をする。綺麗な赤と目線が合った。今ではこの苛烈さも心地良い。



「好きだ、名前。」



本当に、ずるい人。