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ポキリと、容易く折れた。少し力を入れたに過ぎないというのに、人間の腕はまるで木の枝を折るかの如く容易く折れた。同じような人間の姿をしている筈なのに、中身は化け物と同じ。どう足掻いたところで、やはり人間ではなかった。そんな事は理解していた。元より、生を受けたその時から同じ人間等と思った事などなければ、同じ人間で在ろうとした事もない。化け物である事が心地良いのだから、喜びこそすれ恨む事はない。だというのに、この瞬間、嫌気が差した。殺気立っていた訳でもなく、何かに苛立っていた訳でもない。ただ普段通りに手を伸ばしただけだというのに、どうしてこうもあっさりと折れたのか。治療の為と運ばれて行く女を、俺は理由も分からず立ち尽くして眺めていた。遠くなる。その腕を掴もうとした筈が、どんどん遠ざかって行く。

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「なぁ、オルタ。何であんな事したんだよ。お前、あの嬢ちゃんの事気に入ってなかったか?」



同じ顔をした男がやれやれと呆れながら問い掛ける。治療が終わったと知らせに来たのも、この男だった。しかし、この男が、なぜそんな事を聞くのか分からない。何せ、俺に明確な理由はない。腕を折る気等なかったし、女が気に食わない等という事もない。だから、理由を求められたところで、そんなものは存在しない。煙草に火をつけた男は幾らか吸い込んでから、煙を吐き出した。



「お前、まさかとは思うが力の加減が分からねぇのか?」
「…………。」
「……マジかよ。」



自分の思考回路は読み取りやすく出来てんのか。的確な表現に黙る事しか出来ない。沈黙を肯定と捉えたのか、はぁ、と煙と共に吐き出された溜め息に酷く苛立ちがつのる。



「お前なぁ……。いや、まぁ、いい。悪意や敵意がないなら安心だ。それよか、そういう理由ならちゃんと嬢ちゃんに謝って来い。誤解されたままってのもお互いに良くねぇしな。マスターには俺から話つけてやるから。」
「お前にそこまでされる筋合いはない。」
「人の親切には黙って従うもんだ。何より、これは嬢ちゃんの為だ。間違ってもお前の為なんかじゃねぇよ。」



灰皿に押し付けられた煙草はたった一本。男は立ち上がって部屋から出て行った。

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「あの、オルタさん?」



女の部屋には既に見舞いがあったのか、ごちゃごちゃと乱雑に物が置かれている。花や食い物。ぬいぐるみ。女はベッドに居て、それ等に囲まれていた。側で立ち尽くす俺に痺れを切らしてか、女は恐る恐る声を掛ける。当然だろう。腕を折られた奴と二人きりを望む奴など正気じゃない。それくらいの人間の本能は持ち合わせているつもりだ。視線だけを女に遣ると、腕を覆う白い布が肘を曲げた状態を保つ為に首まで伸びていた。



「……痛むか。」
「あ、えっと、そう、ですね。まだ、少し。」



隠す事など出来る筈もないというのに、もう片方の腕で覆うように重ねる。罰が悪そうに視線を逸らした女は怪我の原因である張本人に気を遣っているらしい。馬鹿な奴だ。



「……すまなかった。」
「は、え?」
「お前を呼び止めたつもりでいたんだが、力の加減が出来ていなかった。」



間抜けな謝罪であるとは思っている。そんな間抜けな理由で骨を折られたとあっては堪ったもんじゃないだろう。黙って女の反応を伺っていれば、きょとんと目を丸くして、ただ俺を見上げている。恨み言を零す訳でもなく、怒りを表す事もない。ただただその顔には意外だという表情が張り付いていた。



「おい。」



暫くそのまま微動だにしなかった女だが、突然我に返ったかと思うと、折れていない方の腕で俺の手を掴む。反射的に制止をかけようと呼び留めるが、女は聞こえていないかのように俺の手を握った。



「少しだけ、ほんの少しだけ力を入れてみてください。」



骨が折られた後でよくもそんな事が言えたものだ。じっ、と下から見上げるその目には期待こそあれ、再び折られるという可能性はないらしい。その能天気さに呆れるものの、言われた通り微量の力をその手に込める。そうすると、その力に応えるように女が力を入れた。合わせて、自分も徐々に力を込めていく。



「それくらいなら、握っても掴んでも折れたりしません。」



そう言って女はにこにこ笑うと、ぱ、と手を離す。自分の掌を眺めながら、握っては開いて先程の力加減を思い返すが、加減をするというより、力など最初から入れなければ良いのだと言われたような気がした。それもそうか。何も敵と対立している訳ではない。力など入れずとも、相手に触れた感触さえ伝わればそれでいい。化け物だと思っていた自分は、根本的な間違いをしていたのだと、そこで初めて気付かされた。



「あぁ……。次からは気を付けよう。」
「はい。待ってますね。」



白い布で覆われた腕を見ながら、自然と漏れた言葉は存外、悪いものではなかった。