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好きな子がいた。好きな子が出来た。好きな子が出来てしまった。人を愛する事は尊い事だけれど、人が人を愛する時、その欲は何よりも強くなる。例えば独占欲。誰にも触らせたくないとか、自分以外と言葉を交わさないで欲しいとか、いっそどこかに閉じ込めてしまいたいとか、あまりに醜い感情。例えば性的欲求。好きな子と結ばれてセックスがしたい。愛情を言葉で露わすだけじゃ足りないから態度で示したい。俺の手で汚れるあの子が見たい。純白を奪う男が自分であればいいと願ってやまない。そんな醜い感情もあの子を愛する感情も、全部まとめて受け止めて欲しい。けれど、神父である自分がそんな感情を抱く事などあってはならない。俺は誰しもを平等に愛さなければいけないし、邪な思いを抱くなんて以ての外だ。俺は好きな子とその他大勢を平等に愛する何て器用な真似は出来ないから、こんな気持ちは墓まで持って行こうと思った。なかった事にして、恋心に気付いていないんだと自分に言い聞かせて。けれど、自分を騙せば騙す程、欲しくて仕方がなくなった。こうして自分の感情をひた隠しにしている間にあの子が誰かに取られたら。こうして祈りを捧げている間にあの子が俺の知らない誰かとセックスしていたら。こうして自分の感情から目を逸らしている間にあの子が俺から離れていってしまったら。まるで強迫観念のようなそれは日に日に強くなるばかりで、とうとう夢であの子を犯してしまった。それなのに、夢から覚めた俺は罪悪感を抱くどころか、夢で見たあの子の乱れる姿や色っぽい喘ぎ声、興奮した表情を思い出して陰茎を扱く手を止めはしなかった。



「こんにちは、神父様。」
「ああ、名前か。また来てくれたんだな。」
「はい。ここにいると落ち着くので。」
「神を信仰する気にはなったか?」
「うーん、それはまた今度!」



教会で祈りを捧げ、信者の懺悔を聞き、雑務をこなし、そしてまた祈りを捧げる。今朝の事等なかったかのように神父として過ごせる自分に驚いてはいるが、案外なんとでもなるものだと思った。主の前で祈りを捧げた後、お年寄りから子供までいろんな人に声を掛けられるが、その全てに耳を傾ける。そうだ。本来の俺はこうあるべきだ。どんな人でも心から愛して、許しを与える。笑顔を見せてくれるのならば俺も笑うし、辛い事があるのならば俺が半分背負う。俺は人を平等に愛している筈だ。暫くそうしていれば徐々に教会にいた人の数が減り、それを待っていたとばかりにあの子、名前が顔を出した。俺の側でにこにこと笑う表情が夢の中の扇情的な表情とは似ても似つかない。俺が触れたら夢の中のような表情を見せてくれるのだろうか。ありもしない事を考えるのは虚しいだけか。側の椅子に腰を掛けたあの子を見下ろすと、程良い肉付きの健康的な色気に目が離せなくなる。



「神父様?どうかした?」
「えっ、あ、ああ、いや、何でもない。」
「お祈りのし過ぎで疲れてるんじゃないですか?私で良ければお悩み相談受け付けますよ!」



祈りのし過ぎで疲れるなんてことはあり得ないが、悩みがあるとするならば、目の前の子についてだろう。まさかそれを本人に言える筈もなく丁寧に断れば、どこか腑に落ちない表情をしながらも引き下がってくれた。人も疎らな教会で他愛もない会話をするこの瞬間を俺はいつも待ち望んでいる。夢の中なんかじゃなくて、現実で言葉を交わしてころころと変わるその表情を間近で見ていたい。例え、俺個人に何の価値がなくとも、神父という肩書きを理由に声を掛けてくれているのだとしても、話せるのなら、会えるのなら、それで構わない。そんな風に思えるくらい、あの子と共にいられる時間は幸福だ。こうして会っている時は邪な感情なんて考えもしないのに、一度離れるとどうしてあんな事ばかりなのだろうか。世間話をする傍ら、自分に嫌気が差した。そうして暫く会話を続けるうちに、名前が椅子から立ち上がってそろそろ帰る時間だと告げる。



「また来ますね。」
「その時は名前も信者と一緒に祈りを捧げていくといい。」
「それはちょっと……。神様じゃなくて神父様になら考えます。それじゃあ。」



一体どういう意味なのだろうか。問い質す前に名前は顔を見せる事なく教会から出て行ってしまった。こんな風に思わせぶりな態度を取られてしまっては醜い感情を捨てる事さえ出来ない。勿論、俺の覚悟が足りないからという事も分かってはいるが、忘れようと決意を固めた時に限ってタイミングを見計らうかのように爆弾を投下されては覚悟も揺らぐ。小悪魔みたいな子だ。どうかこの恋心を諦めさせてくれないものだろうか。夢で名前の痴態を見ておいて思う事ではないかもしれないが。零れそうになる溜め息を抑え込んだ時、目の前が少しだけ暗くなった。まるで教会の扉や窓全てが開いているかのような冷気が肌を刺す。一瞬でぞわぞわと悪寒が走る。前に経験した事のある空気だ。あの時は確か、祓って欲しいと頼まれたんだったか。



「どうも、神父サマ。」



悪魔祓いを頼まれた時と同じ感覚。自分を覆う程の影の持ち主を確認するために見上げると、人間のような姿をしているが頭に角、背中に翼、下半身に尻尾の様なものが見える。姿形に反して大き過ぎる影はこいつの力を示しているのかもしれない。しかし、そんな事よりも目の前にいる、推定悪魔を見上げた瞬間、俺は自分の目を疑った。自分とひどく似た顔をしている。似ているなんてもんじゃない。そっくりだ。双子だと言われればまず間違いなく信じる事だろう。一体こいつは何なんだ。それに、小さいとはいえここは教会。悪魔がそう易々と入って来れる場所でも、力を発揮出来る場所でもない筈なのに、なぜ。ただ、そんな事を考えている時間はない。咄嗟に聖書を開いて祝詞を読み上げようと口を開いた。



「待った待った!俺がここにいるの気にならないの?」
「悪魔に傾ける耳は持ち合わせていない。」
「またまた〜。そっけないふりしたって俺は知ってんだからな。神父サマが一人の人間に劣情を催してる事。」



思わずはっと悪魔を見上げた。悪魔はにやにやと下卑た笑みを浮かべて翼をはためかせながら俺の側に寄って来る。その言葉に動揺したのは明らかで一瞬にして悪魔に隙を見せてしまう事になるなんて。気を取り直して悪魔から視線を逸らせば、耳元で脳髄に響くような囁きが聞こえる。



「あの子を自分の手で汚したいんだよな?自分のものにしたいんだよな?あの子だけを愛したいんだよな?そんなの簡単じゃん。全部やりたいようにやればいいんだよ。」
「……馬鹿な事を言わないでくれ。主に顔向け出来ない事だ。」
「神サマなんてどうにでもなるって。いいじゃん。人を愛する事は素晴らしいんでしょ?きっとあの子もお前の事好きだって。」
「それは……。」
「何?もしかして自信がない?神サマに怒られるかもって?なら大丈夫。俺が何とかしてやるよ。だーいじょうぶ、お前は何にも心配しなくていい。俺が全部なんとかしてやる。神父なんて肩書きに縛られてあの子が誰かに取られちゃってもいいの?神父サマ。」



名前を誰かに取られるのは嫌だ。しかし、誰かに任せてどうにかなるなら悪魔になど頼らず最初からそうしていたかもしれない。だが、どうにもならないのだ。名前を選ぶか、神父としての自分を選ぶか二つに一つしか道はない。どちらも選べない俺にどうしろというんだ。名前が欲しい。しかし、神父としての自分がそれを許さない。けれど、誰にも名前を取られたくない。どうしてこうもままならない事ばかりなのだろう。目の前の悪魔は先程までにやにやしていた表情から一変して真剣な顔つきで宙に浮いたまま俺を見下ろした。



「神父サマがその気ないなら俺が貰っちゃおうかな、あの子。純潔で美味しそうだし。」



脳が言葉を理解する前に拳を悪魔に向かって振りかぶった。拳は空を切って軽々と避けられてしまったが。お〜、こわっ、と大して感情のこもっていない感想を述べた悪魔が相も変わらずにやにやと笑っている。悪魔に魅入られた人間の末路は悲惨なものだ。頻繁ではないものの、幾度となくそういう人間を見て来た。だからこそ、名前をそんな目に遭わせる訳にはいかない。まして俺の身勝手で振り回すなんて出来ない。そうだ。これは仕方のない事だ。悪魔が言うから。無理矢理。俺の意思じゃない。名前を救うためだ。平等に人を愛さなければいけないのだから、毒牙に掛かろうとしている名前の危機を救うのは当然の事。そう、当然。当たり前。目の前の悪魔がにたりと口を開けて笑う。



「そうそう。元からお前はこっち側なんだよ。いい子ちゃんの皮被るのはもうお終い。ほら、これでもう身軽だ。好きな名前ちゃんだってお前のものだ。な?カラ松。」



裏切りのユダは一体どんな気分だったのだろうか。分からないな。ただ、俺はとてつもなく気分が良くて高揚している。まさに今夜は最高ってやつだ。



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長男はただ次男を家族として迎えたかっただけでベクトルはどこにも向いていない。
次男は神父から悪魔に転職(?)した。堕天使的な感じ。