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定時に会社を抜けて電車に揺られながらアパートに帰る。冷蔵庫に食材はあまりないけれど、どうせ自分の分だけだし問題ないだろう。帰る途中にあるスーパーには寄らず、真っ直ぐアパートを目指す。鞄から鍵を取り出して中に入れば気が抜けて今にもベッドに倒れ込みたくなった。いけない。今倒れ込んだら絶対に寝る。ご飯も食べてないしお風呂にも入ってない。社会生活を送る上で最低限の事は済ませなければ。よろよろと歩きながら邪魔にならない場所に鞄を置いて、深呼吸をしてから台所に立つ。冷蔵庫を漁って、少し悩んでから、今日は残り物処分のオムライスにしようと決める。



「名前!いるんだろ!とっとと開けろ!」



まな板の上に野菜を置いてみじん切りに勤しんでいたところ、ドンドン、と扉を叩く音と怒鳴り声が響いた。聞き慣れているといえば聞き慣れているし、そうでないと言われるとそんな気もする。小さい頃から何かと問題を起こすものだから、よく面倒を見ていた子。私が家を離れて一人暮らしを始めてからは、昔程会わなくなったというのに、小さい頃から続くこの図式は変わらなかった。プライドエベレスト級のあの子は、昔から弱っている姿とか、情けない姿を誰にも見せられない。素直に人を頼る事も出来ない。難儀な性格をしていると思う。そんなあの子を小さい頃から見ていて、あの子も私が側にいた事を知っているから。何かあった時に慰めるのは私の役目になっていた。包丁を置いてから慌てて玄関のドアを開ける。いつも以上に無愛想で、目付きが悪くて、不機嫌で、それでいて少し元気がない。落胆しているようにも、気が抜けているようにも受け取れる。まぁ、何かあった時くらいしか来ないのだから、気落ちしてるんだろうな。



「トロいんだよ。邪魔だ、退け。」
「かっちゃん、人の家に急に上がりこんどいて、それはないんじゃないかな?」



部屋に上がり込もうとする彼の道を塞ぐように腕を壁に突き出した。かっちゃん、ともう一度あの子のあだ名を呼んでやると、やはり普段なら噛み付くかのようにキャンキャン吠えるが、今は私を睨み付けて舌打ちをするだけ。これで譲歩したつもりだと言うのだから、この子は本当にプライドが高いというか、我が儘というか。とりあえず、玄関でいつまでも睨み合い(一方的)をしている訳にもいかないので、溜め息を吐きながら部屋に招いた。



「今日泊めろ。」



どっかりとリビングに腰を下ろしたかっちゃんはぶっきらぼうにそう言うと机に突っ伏した。何かあったことは丸分かりなのに、中々言おうとしないのがかっちゃんの面倒なところだ。まぁ、だいたい察しはつく。同じく面倒を見ていた出久の事だろう。この子がこんな風になるのはたいてい出久が関係してる。私からすると落ち込みたいのは出久だろうにと思うが、負けず嫌いを具現化したような子だから、私には分からない彼なりの意地があるんだろう。個性は確かに凄いけど、机に突っ伏しているその後ろ姿なんて、年相応の子供だ。



「泊めるのはいいけど、親には連絡しておくんだよ。明日も学校あるんだし、着替えとかは自分で何とかして。」
「うっせぇ、言われなくてもわーってる。」



顔を上げずにかっちゃんがスクールバッグを叩く。恐らく、この中に着替えやら何やらが詰め込まれているのだろう。何と用意周到な事か。これは一度家に帰ってわざわざ私の家に来たな。変なところでマメだ。そこまでして、ある意味心の安寧を得るために私の元にやって来たのだと思うと無下にも出来まい。何だかんだ、私はこの子に甘いのだ。



「お腹空いてるからイライラするんだよ。かっちゃんはもっといっぱいご飯食べないと。」
「ちげーよ。」



かっちゃんの言葉を無視して私は再び台所にと戻る。元々冷蔵庫の残り物を処分するつもりだったから、今切っている以上に野菜は残されていない。苦肉の策として、お肉を多めに切り、ご飯を大量に入れる事で誤魔化した。誤魔化せているかは分からないが。リビングにオムライスと申し訳程度のサラダを置いて、いっぱい食べろという割に質素な夕飯を並べた。



「今冷蔵庫空っぽで、これしか作れなかったからお腹空いたらコンビニね。」



かっちゃんは特に何を言うわけでもなく、私の作ったオムライスをまじまじと見詰めている。ふわふわに作る腕前などない、私の作った完熟卵の上には、かっちゃん、とケチャップで書いた文字。勿論、私が書いた。



「下手くそ。」



不格好な文字に言っているのか、オムライスの出来なのか。分からないが、スプーンを手にとって小さい声で、いただきます、とだけ言うと黙々と食べ始めた。文句を言うくらいなら食べなくてもいいのに。かっちゃんはお米だかけのオムライスを一生懸命食べている。その姿が、普段の口の悪さや素行の悪さとはどうにもマッチしなくて、心の中だけで笑った。あまりじろじろ見ていると怒られそうだから、誤魔化す様にテレビをつけて、その音だけをBGMに食事を済ませる。結局、感想の一つもないまま食事は終わったが、完食したという事はきっと食べれないことはなかったのだろう。食器を流しに運び、各々がお風呂や明日の準備を済ませた。



「あれ。」



お風呂から上がると、先に済ませていたかっちゃんは私のベッドを堂々と陣取りすやすやと眠っている。眉間に皺を寄せて、テレビも電気もつけっぱなし。けれど布団にはちゃんと潜っている。一応、私がまだ起きてる事への配慮なのだろうか。かっちゃんを起こさないよう静かに移動しながらテレビを消す。どうせ、私はたいして観たいものなどない。それよりもベッドですやすやと眠るこの子を見ている方がよっぽど楽しい。ベッドの側に顔を寄せて、じっと観察してみる。すうすうと寝息は聞こえるけれど、その表情は強張ってて、安眠という言葉からは程遠いように感じた。それが何だか可哀想だったから、指先で皺を伸ばすようにしてやると、普段の悪人面からは中々見ることの出来ない幼い寝顔が表れる。何でも出来て、何をするにも一番で、完璧主義で、きっとそれは私が想像している以上に大変なんだろう。こんな風に穏やかな表情を見る事なんて滅多にないくらい。



「かっちゃん、無理しちゃ駄目だよ。」



よしよし、と幼子をあやすように頭をゆっくり優しく撫でる。そうして電気を消し、私もベッドに潜り込む。頭を撫でて、いい夢が見れるように。