小説家2



何度も何度も長谷部さんの家に通った。勉強が嫌になる度に、長谷部さんのところに行って、長谷部さんとお話をした。そうすると、何だかすっきりするのだ。恐らく、長谷部さんが一生懸命耳を傾けてくれているからだろう。ネタの為とは言え、私にはそれで十分だった。自分の下らない話を聞いてくれるだけで、ストレスが発散された様な気がした。



「長谷部さんは、一人で住んでるんですか?」
「ああ。親が早くに亡くなってな。兄弟も妻もいないから、一人だ。」
「寂しくないですか?」
「寂しいと言えばそうかもしれないが、もう慣れた。」



それが無理をしているとは思えなかった。当然の事のように話しているから、恐らくそうなのだろう。もしくは、長谷部さんが大人で私に上手く隠しているのかもしれないが、真意など分からないものだ。妙に納得して長谷部さんの言葉をそのまま飲み込んだ。それからも、私達はただただ話し続けた。私の話しは大概下らない学校の話し。誰が喧嘩をしたとか、誰の恋愛相談に乗っているとか、誰と誰が付き合って別れただとか。やはり恋愛小説を書いているだけあって、自然とそういう話が多くなる。そんな風に、日々の合間を縫って長谷部さんの家に通った。気が付けば、夏休みになっていた。そんなある日、台風が近付いてきたらしく、昼間過ぎから大雨が降った。そんな事も知らず、傘を持たずに塾へと通っていた私には、この雨の中を濡れて帰るより他に選択肢はない。大粒の雨に打たれながら塾を出て電車に乗り、途方に暮れながら家に帰ろうと思っていたが、降りた駅から家に真っ直ぐ帰るより、長谷部さんの家の方が近い事に気が付いた。既にびしょ濡れではあるが、寒いし雨宿りがしたい。何より、ここ数週間程、受験勉強に追われて長谷部さんに会っていなかった。これを口実に、長谷部さんに会いに行ってもいいのではないか。わざわざ口実を探している自分がおかしかった。

***

ピンポン、と呼び鈴を鳴らした。裏庭に回ったが、池の水面に咲いている花を攻撃するかのような雨が降っているのだから当然、縁側は閉め切られていた。玄関の前でずぶ濡れになりながら、やっぱり真っ直ぐ家に帰れば良かったかもしれない、と一抹の不安を抱きつつ、寒さに身を震わせる。少しして、規則的な足音が聞こえて玄関の扉が開いた。いつもの和服に身を包んだ長谷部さんが驚いたように私を見下ろす。



「どうしたんだ?こんな日にわざわざ会いに来たとも思えないが。」
「塾の帰りで。家に帰るより長谷部さんの家の方が近かったので。」
「……まぁ、いい。早く入れ。風邪を引く。」



玄関先で靴と靴下を脱いだ。どちらもびしょ濡れで、出来れば再び履きたくない。湿った足でぺたぺたと廊下を歩いていて、ふと家の中に入ったのは初めてな事に気付いた。台風のせいか、薄暗い廊下と日本家屋の古めかしさ、木の軋む音、全てが合わさって異質な空間のように思える。それが何だか無性に怖くて、早足で長谷部さんの背中を追い掛ければ、居間にいろ、と言われた。指さす方向に進めば、広々とした空間にテレビや本棚、大きな机とその上にはパソコン、電気スタンドと数冊の本が置いてある。しかし、部屋の電気は付いていない。一人で生活するにはかなり広い空間に、電気スタンドのみという心許ない明りが部屋を照らしていた。その光源に惹かれるように机の側に寄る。開きっ放しのパソコンも煌々と光ってはいるが、それだけが浮かび上がっているように思えて、ホラー映画の様で恐ろしい。何かが出て来る筈がないというのに、どうしても身の安全を確保したかった私はパソコンの画面を覗き見た。勿論、そこに貞子や幽霊がいる筈もなく、文字が羅列されているだけなのだが、その文章を見て別の意味で心臓が跳ねた。子供と言えど、それなりに知識はある。かぎかっこで書かれている女性の言葉が喘ぎ声で、男性が女性を攻める声が書かれている。その後には、女性がどういう風に男性に攻められて、どういう風に善がって、どういう風に男性が興奮しているのかが詳細に書かれている。これは、これは、一体。



「官能小説だ。意味は、分かるか?男女、もしくは同性間の交流とセックスに趣旨を置いて書かれている小説の事だ。」



今、一番聞きたくない声だった。心臓が鷲掴みされたような錯覚を覚える。振り返れば、タオルを持った長谷部さんがゆっくりと私に近付いた。その表情はいつもと全く同じで、焦ったり、動揺したり、そういった挙動は一切見られない。唖然としたまま、瞬きする手間すら惜しく、動けないでいる私に長谷部さんは持っていたタオルを私に手渡した。慌ててそれを受け取り、毛先を伝ってぽたぽたと垂れる水を拭き取り、腕や足の水滴も拭き取る。なるべく、長谷部さんと目線を合わせなくて済むように。無駄な事は分かっているが、少しでもタオルで自分を隠せるように。長谷部さんは椅子に座って、数冊の本を手に取った。



「今までも沢山書いてきた。学生同士が校舎でセックスを繰り返す話や、歳の差の男女が獣のようにセックスをする話、頼まれて人妻の話を書いた事もあるが、あれはつまらなかった。」



まるで、今日の晩御飯の献立でも話しているかのように軽いトーンで話しを続ける長谷部さんとは違い、免疫のない私は心臓が忙しなく跳ねて立ち尽くしている。マウスを操作し、パソコンの画面を切り替えては、自分の書いたものを説明する長谷部さんに、私はどうしていいのか分からない。官能小説を書いていると言っても、小説家である事に変わりはない。そして、そういった内容のものを書いているとしても、長谷部さんを特別避ける理由にはならない。軽蔑する理由にもならない。ただ私に免疫がなく、ぎこちないだけで、長谷部さんは至って普段と変わらない。だから、私も普段通りに接したらいい。分かってはいても、普段は何を質問していたのか、どんな会話をしていたのか、全く思い出せない。私を見上げる瞳が怪しく細められて、妙な雰囲気にごくりと唾を飲み込んだ。



「初めて会った時に教えた俺の職業を覚えてるか?小説家と言ったな。正式には、官能小説家だ。」



椅子から立ち上がった長谷部さんが私からタオルを奪う。冷たい手が頬を撫で、反射的に体が跳ねた。恐る恐る、長谷部さんと目を合わせると、まるで吸い込まれてしまいそうで、身を委ねてしまえばいい。そう思った。長谷部さんの胸元辺りを掴んで、うるさい心臓の音が聞こえてしまうのではないかと思う程、距離が縮まる。そうすれば、屈んだ長谷部さんが唇を合わせた。触れるだけなんて可愛いものではなく、無理矢理口を割り開いて、口内に舌を入れる。私の舌を絡め取り、じゅるり、と軽く吸い付いて、そして、何度も角度を変えては唇を重ねた。どう息を吸っていいのかも、力の抜ける体をどうしていいのかも、何もかも分からない。どうしてか涙で目が霞んできた頃、舌先を甘噛みされて、その痛みで長谷部さんの和服をぎゅう、と掴んだ。



「はぁ、は、ぅ、長谷部、さん……。」
「続きがして欲しいならしてやる。お前がそう望むなら、画面のフィクションなんかより、うんと優しく、な。名前。」



はぁはぁと息が切れて、頭もぼうっとする。どうしたい?と問うてくる長谷部さんに、私はその手を掴んだ。




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