小説家



→現パロ


じめじめした梅雨が明け、蝉の声が耳をつくようになった。じりじりと照らしつける太陽光に、半袖のワイシャツでは抵抗出来る筈もなく、少しずつ肌が焼かれていく。家と学校の、そう長くはない通学路を歩くだけで汗が滲んだ。それでも、私は少しでも長く外に居たかった。本当なら、クーラーのかかった部屋で麦茶を側に寝転んでいたいが、人生で初めての受験を前に、既に勉強というものに嫌気が差していた。けれども、現実は非情で、こうして無駄な時間を過ごしている間も刻一刻と受験日は迫って来ている。私には成す術もなく、現実を受け入れられないまま、無駄な足掻きをしているに過ぎなかった。分かっていても尚、抵抗したいと思うのは子供の証拠かもしれない。遠回りをして、回り道をして、近所の筈なのに見た事もない町を歩くというのは、まるで冒険しているみたいでわくわくする。一軒家の家々が並んでいるだけのありふれた光景が、知らない道というだけで楽しかった。そんな中、一軒だけ他とはあきらかに違う家があった。他の一軒家とは比べ物にならない程、その敷地が大きい。ずらりと並ぶ塀がどこまでも続いている。好奇心でその家の前に行き、玄関に続くであろう塀の境目からひょっこりと家の中の様子を覗き見た。そこには大きな庭が広がっていて、乱雑なのか手入れをされているのか、分からないけれど草木や花が沢山生えていた。それらは風が吹く度に一緒に揺れて、見ていて心地がいい。そして、その庭の奥に、平屋の日本家屋があった。今時珍しい。ますます興味が湧いて、じろじろと覗き見ていれば、家の脇から男性が如雨露のような物を片手に現れた。



「何か、目につく物があったか?」
「えっ!あ、いえ……。」



人様の家をじろじろ覗き見るなんて、失礼な事をした。きっと怒られる。近付いて来る男性に身を縮こまらせていれば、男性は如雨露を地面に置いて、何事もなかったかのように会話を続けた。



「そうか。それは残念だ。何か目に留まるものがあれば、好きに見て行くといい。」



それだけ言うと、男性は再び如雨露を手に取り、庭の草木に水を撒いた。不思議な人だ。今時、平屋の日本家屋に住んでいるだけでも珍しいが、和装をしている。この空間だけ、過去で時間が止まっているみたいだ。ぼうっと見とれていたが、は、と我に返り、家人から許可が出た事をいい事に庭へと足を運んだ。ちらりと男性の顔を窺ったが、私の事など一切気にせず水やりをしている。きょろきょろと周囲を見回しながら綺麗に咲いている花々に目を遣った。



「中学生か?」
「はい。」
「そうか。そんな小さな客人が来るのは初めてだ。」



振り返ると、男性は私の方を見て微笑んでいる。子供の自分から見ても男性の容姿は若く見えるが、その格好と喋り方のせいで随分と年上のように感じた。小さな子供でもいそうな、そんな感じだ。ふ、と男性の足元がきらきらと光っている。太陽に照らされてきらきらと輝いて、雨上がりのようだと感じた。水滴が葉を伝って地面に落ちる。



「裏庭に、小さい池がある。見て行くか?」
「はい!」



一般家庭に小さくても池があるなんて凄い。まして、これだけの広い庭でまだ他にも敷地があるのか。驚くと同時に、好奇心を揺り動かされた私は、即座に頷いた。小走りで男性の元に駆け寄る。私が側に来た事を確認した男性は、先程、通って来た家の脇を私の歩幅に合わせてゆっくりと歩く。やはり、とても広い家だ。家の脇を通り、裏庭に辿り着けば、そこには小さな池と障子の開け放たれた縁側が目についた。屋根のせいか陽の向きのせいか、縁側には影が被さっていて、少しだけ薄ぐらい。男性の後に着いて池の側に寄れば、花が水面の上にぽつりと咲いている。生憎、花には詳しくない。しかし、こうして水面の上に咲いているというのは何とも涼しげで綺麗だ。



「もし良かったらだが、話しを聞かせてくれないか。」
「話し?」
「ああ。これでも小説家でな。若者の感性や価値観の参考にしたい。」



いつの間にか、縁側に腰を掛けていた男性が尋ねる。私の中では、感性や価値観などといった抽象的な話しよりも、小説家という珍しい職業の方に興味が湧いた。男性の側に駆け寄れば、男性は自らの隣を叩いて座る様に促す。それに応えるように座って足をぶらぶらさせながら男性を見上げた。



「小説家なんて凄い!どういう話を書いてるんですか?お名前は?今まで書いた本は?」
「そうだな。まずは俺の事から話そう。」



質問攻めをする私に男性は笑って一つ一つ答えてくれた。長谷部さんといって、若者やそこそこ歳を召した男女間の恋愛物を書いているんだとか。堅物そうに見えたから何だか意外だった。てっきり、私には分からないような小難しい本を書いていると思っていたから、私は余計に長谷部さんの話を聞きたくなった。しかし、いくら聞いても本のタイトルだけは教えてくれない。長谷部さんの顔を覗き込むと、影のせいで少し薄暗く見える。



「長谷部さんってペンネームとかあるんですか?」
「ある。が、言えない。それを言ったらペンネームの意味がなくなるんでな。」
「えー!」



口角を上げて、にやり、と悪戯っぽく笑って見せる長谷部さんに思わず落胆の声が漏れた。タイトルも教えてくれない。ペンネームも教えてくれない。それじゃあ、探し様がない。もしかして、売れていないから隠すのだろうか。それとも、やはり私には難しい内容の本だからか。どちらにせよ、私が長谷部さんの本を知る事が出来ない事実は揺るがないのだが。すると、長谷部さんは話を逸らすように私の話題へと切り替えた。私の名前や、友人関係だったり、部活の話しだったり。長谷部さんは私の拙い話しを、まるで授業でも受けているかのように一生懸命聞いてくれるから、私もなるべくそれに応えるよう話したつもりだ。



「それで、その子が告白したのに振っちゃって……。」
「ほう。ああ、もうこんな時間だ。親御さんが心配する。今日のところは帰るといい。」



顔を上げると、既に空は茜色をしていた。夏場ともなれば、既に19時近い事を示している色だ。流石に、ずっとここに居座るのも悪い。それに、いくらなんでも遅くに帰れば長谷部さんが言うように親が心配する。こくり、と頷いて立ち上がった。既に、刺す様な暑さではなくなっていた。



「また、いつでも来るといい。」
「はい。」


家の脇を通り、庭を通り、そして公道に戻る。振り返れば、すぐ側まで見送りに来てくれていた長谷部さんが手を振っていた。それに手を振り返して、さようなら、と声を掛けた私は、今度こそ家へと真っ直ぐ帰る事にした。




「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -