長谷部と近親相姦



小さい頃から、兄の後ろを着いて回った。昔から、私を邪険にしたりせず、手を取って歩いてくれた。頭も良く、足も早く、けれども不器用。そんな兄が好きだった。自慢だった。兄妹にしては仲が良いと言われていたのも、全ては兄が優しくしてくれたからだと思っている。そんな兄も大学に進学すると同時に家を出た。寂しくないと言えば嘘になるが、私が我が儘を言ってどうにかなる問題ではないし、駄々をこねる程、子供でもない。どうせ直ぐに帰って来るのだし、兄離れをする良い機会でもある。自分に言い聞かせて兄を見送った。



「大学ってどんな?」
「高校生に比べれば楽だぞ。一日中学校に居なくていいからな。」
「へぇ。あ、彼女は出来た?」
「ん?あぁ。そうだな。」



夏季の長期休暇になると直ぐ、兄は家に帰って来た。久しぶりに見る兄の姿は家を出る前と少し変わっていて、少し寂しかったのを覚えている。その寂しさを埋めるかの如く、帰って来た兄の側であれやこれやと質問責めにしていれば、思わぬ返答があった。軽い冗談のつもりだったが、兄は何て事なさそうに肯定の意を示している。思わず驚いて黙り込むと、兄がじろりと私を見遣った。私の様子を観察でもしているかのような気さえする。身内の私が言うのも何だが、兄は顔が整っている方だ。そんな兄に、今まで恋人が出来なかった方がおかしいのであって、ようやく出来たのかと、寧ろ喜ぶべき事なのかもしれない。それなのに、私は素直に喜ぶ事が出来ない。それどころか、心臓が嫌なくらい跳ねて、脳が否定しようとする。恐らく、今まで一番側にいてくれた兄が誰か一人のものになってしまうのが寂しいに違いない。長男や長女は、弟や妹が出来た時に赤ちゃん返りなる現象が発症する事もある。親の愛情を独占したいと考える幼児と同じで、兄が今まで私に向けていた愛情が他の人に向く事が嫌だと、無意識に思っているのかもしれない。まるで子供のような感情に恥ずかしくなった。



「俺に恋人がいるのはおかしいか?」
「え?あぁ、いや、そんな事ないよ。今までいなかったから、驚いただけ。」
「へぇ。」
「あ!その人可愛い?写メとかある?初恋?」



止せばいいものを、兄の恋人についてあれこれ聞いていれば、余計にもやもやする。兄は私の多過ぎる質問を面倒がらず、一つ一つ答えてくれるが、この時ばかりは適当にあしらって欲しいと思った。その後も、兄は何度か恋人を作り世間一般と同じだけの恋愛経験を積んでいたように思う。兄が新しい恋人を作る頃には、きっと慣れて、寂しいなんて感じなくなる。そう思っていたのだが、兄が新しい恋人を作り、その話を聞く度に寂しさどころか胸が苦しくなる。慣れるどころか、これではまるで。そこまで考えて、心臓がドキドキとうるさく鳴った。この感情に適した名称を私は一つしかしらない。それは本来、身内に向けるものではない。向けてはいけない。兄を慕っていたこの気持ちが、いつからこんな感情になっていたのだろうか。それとも、最初からこの気持ちは、そういう感情だったのだろうか。気付かなければ良かったと思っても、もう遅い。一度自覚してしまえば、知らなかった頃には戻れない。



「恋人は作らないのか?」
「うん。好きな人いないし。」



けれども、私は生まれた時から兄の妹で。兄への恋心に気付いたところで、今更どう接していいか分からない、なんて事にはならなかった。何十年も妹として兄と接してきたのだから、そう簡単に態度が変わるものでもない。私がただ兄への思いを黙っているだけで、今まで通り仲の良い兄妹でいられる。そのうち、兄も誰かと結婚して子供を作って、私にだって兄とは別に好きな人が出来る筈だ。私はただ黙っているだけでいい。自分の気持ちには蓋をして高校時代を過ごした。その間に、お兄ちゃんと呼んでいた敬称を、兄さんと改めた。呼び方を変えれば、踏ん切りがつくかもしれないなんて、雀の涙程の抵抗でしかないのだが。そして、兄と同じように私も大学へと進学を決めた。無意識なのか、それとも偶然か、そこそこ兄と近い大学に進学が決まった。特別、裕福ではない為、自然と兄と二人で暮らす話で方向がまとまっていく。金銭面や頼れる人が近くにいるのは親元を離れる身としては有り難い。しかし、未だに整理のついていない私の気持ちとしてみれば最悪かもしれない。結局、そんな事を親に話す訳にもいかず、兄との二人暮らしが決まったのだが。



「あれ?兄さん明日バイトだっけ?」
「いや。」
「…あ!そっか。うん、ごめんね。何でもない。夕飯いらないよね?」
「あぁ、そうだな。」



しかし、暮らしてみれば案外どうとでもなるもので、心配する程でもなかった。私が抱いていると思っていた恋心は、実は憧れとか尊敬とか、そういう類のものだったんじゃないかとすら思える。けれど、こういう時に、胸がちくちくと針で刺されている様な錯覚を覚えた。ふとカレンダーを見れば、バイトでもないのに夕飯がいらないと記されている兄の予定に違和感を感じて、何気なしに聞いた事を後悔した。少し考えれば思い出せただろうに、どうして聞いてしまったんだろうか。溜め息を吐きたい気分だ。



「あー、えっと、今の人とは長いね?兄さん、あんまり長続きしないのに。」
「そんなつもりはないが、そうだな、良い人だ。」



別の話題を探そうにも、気になっているのは兄が今の恋人とどういう関係なのか、という事で。聞きたくないと思いながらも、聞かずにはいられない。今までは比較的短期間でしか恋人を作らなかったが、今回は違う。兄もいい歳になった。もしかしたら結婚を考えているのかもしれない。そうしたら、そうしたら、私はどうしたらいいのだろうか。こんな事を考える時点で、やはり私は兄が好きなのだろう。だからこそ、兄が知らない女性と結婚する姿など見たくない。好きな人の幸せを一番に、と恋愛映画やドラマでは言うけれど、私には到底出来そうになかった。例え、今の恋人と結婚する事が兄の幸せだとしても、私は受け入れられない。しかし、兄が今の恋人と結婚しなかったとして、私とそういう関係になる訳ではない。所詮、私はどこまでも兄の妹で、恋人には絶対になれない。どうして私は妹なのだろうか。ずっとずっと、誰よりも側で兄を慕ってきたのは、絶対に私なのに。今の恋人よりも、今まで付き合っていたどの恋人よりも、私の方が兄を思う気持ちは負けないのに。どうして、私は妹なのだろう。



「名前?どうした?」



今まで我慢出来たのに、どうして今更涙が溢れてくるのだろうか。ごしごしと目を擦って涙を止めようとしても、次から次へと溢れてきてどうにも出来ない。その場でしゃがみ込むと、兄が慰めるように私の頭を撫でる。小さい頃から、私が泣き出すと、こうして頭を撫でてくれた。私だけの、妹だけの特権だと思っていた。それも、今の恋人にしているのだろうか。私だけの特別では、なくなってしまうのだろうか。唇を噛み締めたところで、小さな嗚咽が漏れる。



「何かあったのか?」
「ひっ、く、なん、でも、ない…っ!」
「何でもなくて泣く奴がいるか。」
「なんでもない、からぁ……。」



今は、兄の優しさがただただ痛い。私を宥めるように背を撫でる兄の手を振り払ってしまいたいのに出来ないのは、理由がどうであれ自分を見てくれる事が嬉しいからだろうか。本当に、子供のようだ。泣いて駄々をこねなければ、兄に構ってもらえると思っているなんて。そう思うと、もう自分の気持ちすら惨めで、何もかもが嫌になる。



「……なぁ、名前。お前は俺が好きか?」
「……?うん。」
「それは、兄としてか?それとも、男として?」
「?」



頭に血が上って、兄の言葉が上手く理解出来ない。兄として好きに決まっている。男として?男として、とは一体どういう意味だ。未だにぐすぐすと泣いていれば、兄が私の顔を持ち上げる。不細工な泣き顔を晒しているだろうに、困ったように笑って、指の腹で涙を払ってくれた。



「ははっ、酷い顔だな。」
「お兄ちゃん、痛い。」
「ああ、悪いな。加減が分からん。」



目元がひりひりして、兄の手を払いのける。自然と涙は止まっていて、それが兄の意図してやった事なのかどうか、私には分からない。少し不貞腐れながら、じろりと兄を見れば、やっぱり困ったように笑っていた。兄の考える事は、分かりやすいようでいて、時々、よく分からなくなる。



「自分がおかしいと思っていた。世間に出て、いろんな経験を踏めば自分の感情が何かの勘違いだと気付くと思っていた。だから、いろんな奴と関係も持った。だが、その度に違和感しか抱けない。だからこそ、勘違いなどではなく、俺がおかしいという事に気付いたんだ。」



兄が私の頬を撫でる。いまいち要領を得ない話し方をするせいで、私は余計に兄の言葉を理解出来ない。兄におかしな部分などあっただろうか。他人から見ても、私から見ても、違和感を覚える部分などない。人によっては完璧にすら見えるのに。兄のどこがおかしいのだろうか。



「俺はお前が一等大切だ。お前が生まれた時からずっと。だからこそ、言うべきではないと思っていたんだ。」
「?」
「好きだ。昔から、ずっと。名前だけが好きだ。」



息をする事すら忘れていたように思う。兄の言葉を、自分の都合の良いように解釈しているとか、夢なのではないかとすら思えた。けれど、目元がひりひりと痛むから、これは現実で。驚いて口をあんぐりとあけていれば、真剣な表情から一変、再び困ったように笑った。



「生まれた時から見ていたんだ。何となく、お前の言わんとしている事は分かったが、お互いの為に自分の気持ちも名前の気持ちも気付いていないふりをするのが一番だと思っていたんだ。それなのに、そんなに泣かれたら、知らないふりなんて出来ないだろう。」



ぐしゃぐしゃと乱暴に頭を撫でられて髪がぼさぼさになる。けれど、そんな事を気に留めていられる程、余裕はない。言葉を理解するよりも先に、兄へと飛びついた。ぎゅう、と背中に腕を回せば、同じように力を込めて抱き返してくれる。小さい頃と何一つ変わっていないというのに、こうも嬉しいものだろうか。



「私も兄さんが一番大切。一番好き。今までの彼女の誰よりも兄さんが好き。」



気持ちが通じても、許される事ではないという事実は揺るがない。それでも、今だけは何もかも忘れていたい。




人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -