魔法を掛けてほしいくらい×油断



 夜景が一望できる賑やかなダイニングバー。ディナーのメインディッシュを食べ終えた頃、光忠はワインをひとくち含み緊張で乾いた喉を潤した。口元からグラスを離すと同時に、伏せていた視線を上げる。共に食事をしている名前は、満足そうにワインを味わっている。

「名前、話があるんだ」

 頃合いだろう。光忠は胸元に潜ませていた黒いリングケースを取り出す。
 名前はそれを目にして、表情を一変させた。目を見開いて驚きを露わにしている。名前がゆっくりとグラスを置いたことを見届けて、光忠は鏡子の瞬間に心に決めていた言葉を告げた。

「結婚しよう」

 プロポーズと共にリングケースを開けば、息を飲むような美しい輝きを放つダイヤモンドの付いたリングが現れた。
 名前はしばらくリングを見ていたが、我に返った瞬間、何かに弾かれたように光忠へ視線を移した。
 その表情は、複雑だ。表情が硬い。だが、状況が飲み込めないわけではなさそうだ。

「いや、無理」
「──どうして?」

 名前に断りを入れられて、光忠は静かに理由を求めた。受け入れてもらえると思っていただけに、その声は微かに震えていた。

「どうしても何も、私……二番目の女でしょ?」

 名前の見当違いの発言に、光忠は思わずカッとなって声を荒げた。

「そんなわけないだろう!何年付き合ってると思ってるんだい!?僕がこれまで浮気を疑われる様なことしてきた?してないよね?僕はいつだって君の傍にいたよ!」

 窓辺の隅にある席は、周囲の目は届き難い。光忠は声を荒げているが、その声量は良識の範囲内のものだった為、幸いにも周囲に口論していることを気取られていないようだ。
 名前は周りを見渡した後、光忠を真っ直ぐに見て、自身が感じていることを正直に告げた。

「だって、光忠。私のこと、見てないもの」
「何を言っているんだい。僕は君を見てるよ。君しか見てない」

 光忠は名前に否定する言葉を告げられて動揺している。名前の手を握り、自分がどれだけ名前を想っているか伝えようとしている。
 その手は微かに震えていた。身だしなみと立ち振る舞いを気にする性質の光忠らしくない。それだけ名前にプロポーズを断れたことに衝撃を受けているようだ。

「主」

 余裕のない光忠の言葉に応えないまま、名前は言葉を続ける。

「って、誰?」

 何故、今その話が出てくるのだろうか。光忠は疑問に思いながらも名前の質問に答える。

「だから何度も言ってきたけど、君は前世で僕の主君で……」
「光忠、私ね。光忠のこと好きよ」

 好きという愛の告白で、光忠の言葉を遮る。それならば、何故プロポーズを断ったのか。光忠がその疑問を口に出す前に、名前が話を続ける。

「好き、好きなの。誰よりもあなたのことを見てる。だから……その話が嘘かどうか分かってるつもり。嘘じゃないって分かってるから、思うことがあるの」

 光忠は名前と付き合い始めて間もない頃、自分たちは前世でも親密な関係だったと語っていた。
 生憎、名前は前世の記憶を持ち合わせていなかったが、光忠の話を夢物語とは思っていなかった。何故ならば、自分を通して愛おしそうに過去を語る光忠がとても嘘を吐いているようには思えなかったからだ。

「あなたが見ているのは、今の私じゃない」

 名前がプロポーズを断った理由は、そのことが引っ掛かっていたからだ。
 自分であって自分ではない。自分の知らない自分を好きでいる。名前は光忠から感じていたことを洗いざらい話し始める。

「光忠は私のこと、好きでいてくれてる。大切にしてくれてる。それはすごくわかってる。でも、時々感じるのよ。昔の私のことが好きですきでたまらなくて、姿形の同じ私に惹かれてるだけじゃないのかって」

 名前が自分の思いを伝えきると、次は光忠が必死な様子で反論する。

「僕は君が好きなんだ!君が前世の記憶を忘れてしまっていても、僕が覚えている。今も昔も、君は変わらない。──君が好きだよ。君だけが僕のすべてだ」

 光忠は自分の想いを否定することをやめるよう懇願するように、名前の両手を更に強く握った。名前はその手を振りほどかなかった。

「昔の私は、物の想いを目覚めさせることが出来たんだよね」
「……ああ、そうだよ」
「それって魔法みたいだよね。今の私も使えたらよかったのに、その力」

 ──どうして、僕だけが覚えているんだろう。僕も覚えていなければ、彼女を不安にさせることはなかった。
 ──どうして、私は覚えていないんだろう。私が覚えていれば、彼は苦しまずに済んだのに。

  光忠は前世の記憶がないとしても、互いが愛し焦がれ合っていれば問題ないと考えていた。
 名前はこれからも末永く光忠と共に在りたいと思うからこそ、今のままでは気持ちの整理が付かないと考えている。

「私も知りたいな。昔のあなたを、そしてあなたが好きになってくれた私のことも」

 光忠は名前が前世の事を覚えていないことを悲観することはないと言おうとしたが、愛しいがゆえに思い出してほしいという願望が邪魔をして声にする事が出来なかった。

 ただ、好きだから一緒にいたい。それだけなのに。互いの想いが合致しないことがこれほどまでに苦しいだなんて。
 魔法で助けてほしいくらいだ。そんな未知数なものに頼りたくなるほど、心は助けを求めている。




人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -