長谷部伯父さんが酔っ払い



「明日は会社の飲み会で帰りが遅くなる。」



眉間に皺を寄せながら言う伯父さんに、夕飯を食べながら適当に相槌を打った。小さい私にとって飲み会がどういうものなのか、全く分かりはしないが、何となく仕方ない事なのだと思った。学校の行事が避けられないものであるのと同じように、伯父さんの言う会社の飲み会というのも避けられない事なのだろう。もぐもぐと口を動かしていれば、伯父さんが溜め息を吐く。



「お前がいるからな。断ったんだが、納涼会でな。一人でも平気か。」
「のうりょ?うん。石切丸さんのところで青江さんにあそんでもらう!」
「……そうか。」



少し顔を強張らせた伯父さんが、何かを諦めたかのように再び夕飯に手をつけた。今にして思えば、素直に寂しいと言えば良かったのかもしれないが、一人でお留守番をするだとか、一人でお風呂に入るとか、一人でこなせる事が増えるのが単純に嬉しかったのだろうと思う。



「あ!おみやげまってます!」
「現金な奴だな。」

***

日も沈み、神社から帰ってアパートにいる私はいつになく上機嫌だった。今日は石切丸さんと青江さんに押し花のやり方を教えてもらったのである。鞄の中に詰めて持って帰った押し花は、自分の分と伯父さんの分、二つずつ。神社の側に咲いていた白い朝顔を摘んで作ったものだ。最初に作った物は慣れてない事もあり下手くそだが、二回目に作った物は中々のもの。石切丸さんや青江さんも褒めてくれた。これを伯父さんにあげようと息巻いて帰って来たのである。早々にご飯とお風呂を済ませ、テレビをBGMにしながら鼻歌交じりに押し花を持ち上げて伯父さんの帰りを待っていれば、珍しく呼び鈴が鳴った。勝手に出るなと教えられている私は思わず身構えて玄関扉を凝視したが、直ぐに扉の向こうから私を呼ぶ伯父さんの声がする。



「名前〜、早く開けろ。」
「ああ!もう、ちゃんと自分で立ってよ長谷部君!」



押し花をテーブルの上に置いて、急いで玄関扉を開ければ、伯父さんともう一人、見知らぬ男の人が一緒に玄関に雪崩れ込んで来た。靴も脱がず、スーツも脱がず、廊下で眠るようにうつ伏せのまま倒れてしまった伯父さんに、片目を眼帯で隠した男の人が呆れた様に溜め息を吐く。身長もさる事ながら、見た目で身構えてしまっていた私は、その人の一挙一動に小さな恐怖を覚えていた。すると、私の存在に気がついたのか、男の人とばっちり目が合った。男の人は私を見るや否や、呆れていた表情から一変して、きらきらと笑顔を見せる。同時に、脇の下に腕が伸びたかと思うと、足が地面から離れ浮遊感を感じた。



「!?」
「君が長谷部君の言っていた姪っ子だね?お名前は何て言うんだい?」
「お、伯父さ、伯父さん!!!」



突然の事に頭が追い付かない私はじたばたと暴れながら伯父さんを呼ぶ事しか出来なかった。目の前の男が怖くて、一刻も早く逃げ出したかったとも言える。すると、先程まで廊下に突っ伏してびくともしなかった伯父さんが般若のような顔をしながら男の人から私を取り上げた。その動きの早さたるや目を見張るものがあり、助けを求めておきながら驚いたくらいだ。目をぱちくりさせていれば、男の人が困ったように頬をかいている。



「驚かせちゃったかな?」
「俺の姪に手を出したら殺すぞ。」
「ねぇ、僕が女の子なら誰でも手を出すと思っていないかい?」



男の人に背を向けながら私を庇うように抱き抱える伯父さんに感謝したいところだが、それよりも、臭い。煙草とアルコールの強烈な臭いに鼻が曲がりそうだ。思わず顔を歪めたが、そんな私の様子など微塵も気付いていないらしく、ぎゅうぎゅうと抱き締められて逃げようにも逃げられなくなってしまった。伯父さんと男の人は暫く言い合いを続けているが、臭い上に苦しくて、二人の話している内容など一切入ってこない。



「はぁ〜〜〜、お前は本当にいい子だなぁ。ぜっっったいに光忠みたいな男には捕まるんじゃないぞ。」
「僕の何が不満なんだい?料理も掃除も出来て仕事も出来て顔もいい。完璧じゃないか。」
「お前の頭はお花畑か。めでたい奴だな。」
「お、伯父さん、くるし……!」



我慢にも限界というものがある。苦しさに呻いていれば、は、と我に返った伯父さんがようやく離れてくれた。何度か深呼吸を繰り返していれば、伯父さんの肩越しに男の人が覗き込んできたせいで、思わず身構える。



「さっきはごめんね。僕は長谷部君の同僚で、光忠って言うんだ。ほら、何度かご飯を作ったと思うんだけど。」
「!」



言われてみれば、男の人の名前には心当たりがあった。何度か美味しいおかずを作って来てくれた人だ。深く頷けば、にこにこと笑って良かった、と言う。つい先程までは得体の知れない怖い人という認識が、この瞬間をもって美味しいご飯を作って来てくれる人になり、イコール良い人で繋がれているのだから、私の思考は簡単だ。少し前までは怖かった笑顔も、今では人当たりの良さそうなものに見える。



「……光忠、もう用事は済んだだろ。帰れ。」
「君、ここまで運んで来たのが誰か忘れたのかい。」
「伯父さん、水。」



酔っ払いには水。父が酔っ払って帰った時に、母がしていた、まぁ、真似事だ。並々と水の入っているコップを手渡すと、伯父さんはそれを一気に飲み干した。そんなに急がなくてもいいのに、なんて思いながらコップを流しに戻す。光忠さんが偉いと褒めてくれた。その間に、伯父さんがふらふらした足取りでリビングまで辿り着き、勢いよくソファーに倒れ込んでいる。息を吸う為に顔だけを横にすると、机の上に置いてある押し花に気がついたようで、それを持ち上げた。



「なんだ?これは。」
「あ!それね、石切丸さんとね、おし花作ったの。うまくできたから伯父さんにあげる。」



きっと、上手に出来たな、とか言って褒めてくれる。そう思って伯父さんの側に座り、うきうきしながら待っていたのだが、暫くしても伯父さんは何も言ってくれない。それどころか、押し花を持ったままびくともしなくなった。こんな子供騙しの様な物など、貰っても嬉しくなかっただろうか。先程の期待していた気持ちなど一瞬でなくなり、どんどん不安になる。恐る恐る、伯父さんの顔色を窺う様に見上げれば、なぜか泣いていた。



「え!?ごめんなさい!?」
「は、長谷部君!?」



どれだけいらなかったんだろうか。咄嗟に謝ると、伯父さんは目をごしごし擦りながら、起き上がって、まじまじと押し花を見詰めている。先程までは、上手だね、と褒めてくれた光忠さんも、驚いた表情のまま伯父さんを凝視していた。二人であわあわと慌てながらも、どうしていいか分からず、結局、私は床に座ったまま伯父さんを凝視していた。すると、少しだけ目元を赤くした伯父さんが、いつもより乱暴に頭を撫でてくる。ぐらぐら揺れて、その手が離れた頃に驚きながら伯父さんを見上げると



「ありがとう。」



とても嬉しそうに笑っていたものだから、一瞬で不安など吹き飛んだ。




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