軽率に長谷部を闇落ちさせる



「主!今日も俺は誰よりも活躍しましたよ!褒美を貰えますよね?」



バタバタと足音が響いたかと思えば、勢いよく障子が開き、次の瞬間には背中に軽い衝撃と、体を締め付ける苦しさに顔を歪めた。仕事のためにパソコンと向かい合い、キーボードを打ち込んでいた私は手を止めて振り返る。そこには、多少傷を負ってはいるものの、にこにことした笑顔を浮かべた長谷部が私を後ろから抱き締めていた。苦しいやら仕事の邪魔やら、いろんな事情から私を抱き締める腕を叩くが、長谷部は知らんぷりを決め込んで首筋にぐいぐいと頭を押し付けてくる。



「主、俺は頑張ったんですよ。褒めてください。」
「はい。よく頑張りました。苦しいから腕を離して。」
「嫌だ。そうやって主は直ぐに俺から離れようとする。今度から遠征に行けと言われても、俺は行かないからな。」



どうやら機嫌を損ねてしまったようで、余計に腕の力を込められ、本格的に苦しい。長谷部に駄々をこねられるとあまり良い事がない。どうしたものかと頭を悩ませる傍ら、本丸に来たばかりの長谷部を思い出していた。最初こそ、私の本丸に来た長谷部も周りの本丸同様、主を敬い、尊敬し、絶対的君主として崇め奉っていたのだが、ある日を境に変わった。他の刀剣に比べて、自制心が強く、首を横に振る事がない。感情を隠すように笑顔を張り付けて、ただ只管に毎日の任務をこなしているところがあった。これに関しては、気付いていながら対処出来なかった私のミスなのだが、今更何を言っても後の祭り。突如として部屋に入って来た長谷部が、私の体を畳へと押し付けて、乱暴に頬を掴んだ。突然の事に驚いた私は目を見開いて長谷部を見遣る。間近に見えるその姿に私は更に驚いた。つい先程までは目的を同じくしていた仲間が、倒さなければならない相手になっていたのである。背後には、尻尾のような骨格がゆらゆらと揺れている。長谷部は笑顔を張り付けたまま、ぼろぼろと大粒の涙を零し、その涙が私の頬に垂れた。



「人間の身など得なければ良かった。そうすれば、こんな思いを抱かずに済んだ。」



苦しさに呻くような声で絞り出された声は震えていた。そうして初めて、気付いていながら今迄何もしてやれなかった自分に後悔した。こうなる前に、何か出来た筈なのに。歴史修正主義者と化した刀剣男士はその場で折るか、刀解するか、政府に引き渡すか。何れかである。審神者として当たり前のように教わる事だが、簡単に出来るかと言えば、とてもじゃないが頷けない。自分の行く末を知っているからなのか、せめて私の手で殺して欲しいと悲願する長谷部を、手放す気になどなれなかった。だから、私はこのままの長谷部を今迄通りこの本丸に置く事にした。歴史修正主義者と成り果てるまで対処出来なかった事は私のミス。そして、歴史修正主義者と化した刀剣を元に戻す事が出来ないとは政府もこんのすけも一言も言っていない。元に戻す可能性があるかもしれないと適当な言葉を並べて、実験と称し、今の長谷部を置かせてもらえるよう申請して、今もこうして現役生活を送ってもらっているのである。



「長谷部を置いて、どこかになんて行かないよ。」
「本当ですか?ですが、俺が離れたくないので主の言う事は聞けないなぁ。」



つまり、私の本丸には歴史修正主義者となった長谷部がいる訳だが、この長谷部、一度堕ちてしまっているせいなのか、敬語は外れるし、人目も気にせず触れてくる。主命と言えば、何でも言う事を聞いてくれていた長谷部は既にこの本丸には存在せず、遠征には行きたがらないし、私の部屋で仕事の邪魔をするなど日常茶飯事となった。自分の欲求に素直になったのだと思うが、素直になり過ぎである。勿論、こんな風になるまで自分を押し殺していたのだと思えば、あまり咎める事は出来ない。だが、長谷部ばかりを甘やかしていては刀剣男士を束ねる者として示しがつかない。中々離れてくれない長谷部に痺れを切らし、私は命令するように長谷部の名を呼んだ。



「長谷部、退きなさい。」
「あ、主!卑怯ですよ!」
「言う事聞かない長谷部が悪い。」



悔しそうに顔を歪めてはいるが、命令には逆らえないのだろう。恨みがましく私を見詰めながら、姿勢正しく正座をして、腕は膝の上に置かれている。審神者として、刀剣男士を束ねる以上、時には無理矢理言う事を聞かせる事もある。今のように名前で縛り、言葉で縛る。但し、ほぼ命令する事などないのだが、歴史修正主義者と化した長谷部には、こうして頻繁に命令するようになった気がする。堕ちてしまっているからなのか、長谷部には他の刀剣達以上に効力が発揮されるらしい。すっかり拗ねてしまった長谷部は顔を逸らし、子供のようにむくれている。それが面白くて、気付かれないように笑いながら長谷部へと向き直った。



「仕事出来なくなるでしょ。」
「主は俺と仕事、どちらが大切なんですか。」
「仕事かな。」
「主を殺して俺も死ぬ。」
「嘘。長谷部が大事。」



今の状態の長谷部が言うと洒落にならない。はは、と笑顔を引き攣らせながら笑えば、じっとりと疑うような視線を向けられた。気付かぬふりをしていれば、子供のような表情から一変して、無表情へと変わる。



「俺は、この世で貴方が一番大切です。他の事など、どうでもいい。歴史が変わろうが、他の誰が死のうが、知った事じゃない。寧ろ、俺と主さえ生きているのであれば、他の者など邪魔なだけで殺してしまっても構わない。ただ、貴方が望むのならば、歴史改変だって阻止してみせるし、誰も死なないように率いてみせます。全ては貴方の為です。それなのに、貴方は他の連中ばかり。酷いです。」



不意に長谷部が私の両の肩を掴む。目線を合わせるためなのか、屈んで顔を寄せられると、据わった目に見詰められて思わず息を飲んだ。長谷部が言うような、他の刀剣達を贔屓しているなんて事はない。寧ろ、こんな状態の長谷部を側に置いているのだから、長谷部を贔屓していると思われるのが妥当だ。それでも、長谷部には私が他の刀剣達を贔屓しているように見えるらしい。隣の芝生は青い、という事なのだろう。既に道を踏み外している長谷部に、どう説明すれば、その事実が伝わるのか。少しでも言葉を間違えれば、取り返しのつかない事になるのではないか。小さな恐怖に苛まれながら、ぐるぐると思考を巡らせる。



「これでもまだ我慢しているんですよ。手を握ったり、抱き締めたり、そんな飯事のようなお遊びじゃ足りない。俺は欲深いんですよ。」
「はせ、んっ!」



何と声を掛けるべきなのかは分からないが、兎に角何か言わなければ。そう思って名前を呼んだ筈が、何時の間にやら焦点が合わない程、近くにいた長谷部に唇を重ねられた。開いていた口にぬるりと舌が侵入して、体が跳ねるが、そんな些細な事は意に介していないらしい。何度も角度を変えては唇を落とし、ちゅう、と軽く舌に吸い付いては、時折甘噛みをされる。段々と体から力が抜けていき、ぎゅう、と長谷部の腕にしがみ付いていれば、突如として障子が勢いよく開けられた。



「お〜い、主。加州が呼んで、る、ぞ……。」
「ははっ!では、俺は手入れをして参りますので、今夜、褒美を頂きに伺いますね。」



気だるげな声が聞こえたかと思えば、最後の方は完全に動揺しているであろう事が、その声音から安易に想像出来た。障子が開いてからも暫く離れてくれなかった長谷部は、満足したのか、動揺する和泉守など意にも介さず、先程とは打って変わってご機嫌な様子で爽快と部屋から出て行ってしまう。残された私と和泉守の気まずさなど、知った事ではないらしい。そんな長谷部を凝視していた和泉守だが、ゆっくりと私の方へと顔を向けた。



「……じゃ、邪魔したな。」



余計に恥ずかしくなった。




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