浮気未遂



好きな子に嫉妬して欲しいと思う僕は格好悪いだろうか。聞くまでもない。格好悪いだろう。それでも自分の欲求を満たす為、時には格好悪い我が儘を意地でも通す必要がある。屁理屈極まりないと自分でも思う。けれども、僕はもう実行してしまった。女友達に協力してもらって、僕のワイシャツには真っ赤な口紅でつけられた唇の跡がついている。そこはかとなく女性物の香水も匂わせて、何時もの僕とはあ きらかに違う事が分かるだろう。さて、浮気未遂のような事をして堂々と帰る僕に対して、彼女は何と言ってくれるだろうか。酷く淡白な彼女が嫉妬してくれる姿を想像しながら帰る僕は酷い男だ。



「ただいま。」
「お帰り。」



酷い男だと思いつつも、心躍るのは抑えきれない。何時ものように家に帰ると、どうやら夕飯を作っていたらしい彼女はエプロンを身につけて、こちらには目もくれずに、ぐつぐつと煮込まれている鍋を見詰めている。僕としては、お帰りって言って走って来てくれるのが理想だけれど、彼女からそんなものは想像出来ないし、それをしないからといって嫌いになる事も絶対にないだろう。何時もの彼女の態度のお陰で平静を取り戻せた僕は、スリッパを履いて後ろから彼女を抱き締めた。



「ただいま、名前ちゃん。」
「うん、お帰り。もう直ぐ出来るから、ちょっと待って。」



相変わらず彼女は振り向きもせず、鍋をぐるぐるとかき混ぜている。どうやら今晩はカレーらしい。淡白で物静かな性格の彼女だけれど、舌は案外子供っぽいところが、また愛らしいと思う。しかし、どうやら彼女は、僕が抱き締めたのはお腹が空いているからで、夕飯を催促している、と捉えたようだ。僕としては、香水の匂いで動揺して欲しかったんだけど、カレーの匂いに掻き消されてしまったのかもしれない。渋々リビングへと足を運び、ハンガーにスーツを掛けた僕は、これ見よがしに口紅が見えるようにして名前ちゃんを待つ事にした。



「お待たせ。」
「ありがとう。」



にっこりと笑顔を見せ、持って来てくれたカレー皿を受け取る。机を挟んで目の前に座った彼女は僕にスプーンを渡して手を合わせると、カレーを口の中に放り込んだ。もごもごと口一杯に入れる様は子供のようだ。そんな彼女を眺めつつ、僕も手を合わせて彼女お手製のカレーを口に入れた。さて、何時になったら気付くだろう。



「光忠さ……?」
「うん?」



そういえば、と言うかのように声を掛けてきた彼女は、家に帰って初めて僕の顔を見た。その彼女は何かに気が付いたのか、はっ、としたような表情をして言葉を詰まらせる。これだよ。この反応を待ってた!内心そわそわしつつも、あくまでも平静を保ち、わざとらしく首を傾げた。



「名前ちゃん?どうかした?」



どうかした、なんて、何と白々しい事か。この後、詰め寄るのか、怒るのか、泣くのか、落ち込むのか。何でもいいけれど、ここまできたら嫉妬という感情なしに話を続ける事は出来ないだろう。期待に胸を躍らせていた僕だが、次の瞬間、ぽかん、と間抜けな表情を晒す事になる。



「この前ケーキ買って来てくれたでしょ?あれ美味しかったから、今度私も一緒に買いに行きたい。」
「え?あ、あぁ、うん。」
「?」



先程、僕のワイシャツについていた口紅を見付けたであろう驚愕の表情はなんだったのか。何事もなかったかのように話し始めた彼女は、戸惑う僕を不思議そうに見詰めていた。もしや、気付かなかったのだろうか。しかし、気付かなかったのならば、先程の驚いた表情は何だったのか。分からない。分からないが、ャンスはまだある筈だ。そう思って僕もカレーに手を付ける。しかし、そのチャンスは中々やってこない。夕飯を食べ終わり、彼女を抱き締めて、あきらかに口紅が見えるであろう位置に顔があるにも関わらず、彼女は何も言ってこない。それどころか、邪魔だとか言って欠伸をしている。今日は暑いね、なんて言ってわざとらしくワイシャツをはためかせて、香水の匂いを周囲に漂わせてみても、彼女は首を傾げて、そうかな?なんて言うだけ。どうしてだろう。気付いている筈なのに、彼女は何も言ってこない。もしかして、彼女は僕の事を対して好きではないのだろうか。だから、僕が浮気をしても痛くも痒くもないと。平気だと言う事なのだろうか。僕ばかりが彼女をこんなに好きなのだろうか。彼女を試そうとした僕が確かに悪いけれど、それは彼女が好きだからだ。僕は、僕は……!



「名前ちゃんは僕の事が好きじゃないの!?」
「え?」



気付けば名前ちゃんに詰め寄っていた。最早自暴自棄とも言えるだろう。なんで、どうして、そんな台詞を繰り返す僕に、名前ちゃんは驚いた表情のまま、僕を見詰めている。



「ワイシャツにキスマークが付いてる事くらい名前ちゃんも気付いてるだろう?どうして何も言ってくれないんだい?怒ったって、泣いたって、何だって良かったのに。名前ちゃんは……名前ちゃんは僕が好きじゃないから浮気してたって平気なのかい?」
「浮気してたの?」
「してないよ!!!でも、キスマークなんて付いてたら浮気してると思うだろう!?」



これじゃあ、格好つかない。どこぞの面倒な女性の様な台詞を吐き捨てて名前ちゃんに泣き着こうと思ったが、次の瞬間、僕の体は床へと叩きつけられた。その衝撃で背中からじんじんと体全体が痛んだけれど、それよりも何よりも目の前で僕の体に馬乗りになっている名前ちゃんに驚いた。その表情は今までにないくらい歪んでいて、苛立ちを隠せないといった、あきらかに怒っている表情だった。そんな彼女の表情を見たのは、初めてだ。



「浮気の一つや二つに目くじら立てる女は嫌だろうと思って。でも、そんな事ないんだね。」
「……え?あ、う、ん……?」
「今回は未遂だから許してあげるけど、もし本当に浮気なんてしたら、光忠の太刀は使い物にならなくなると思ってね。」



嫌悪を剥き出しにして脅かすように僕の太刀をぎゅ、と握った名前ちゃんに胸がときめいたのは内緒だ。もしかしたら顔に出ていたかもしれないけれど。



――――
なんでカレーにしたんだろう。




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