わんぴーす



逆さまに落ちながら、『書庫』に意識を向ける。
魔法で作られた空間に広がる無限の本棚。
目当てのモノが何処にあるかなんて事は思い出す迄もなくわかるから、取り出すまでにはあまり時間はかからない。
ついでに言えば内容も暗記しているので、取り出した本を開く前にその中身を読み上げた。

「『海のはるか沖合いでは、水は、最高に美しいヤグルマギクの花びらのようにとても青く、まったく曇りのないガラスのように澄んでいます。』」

1ページ。
絵本とはいえ、文字の詰まった大きなページにはそれなりの文章量がある。
着水までの数秒で読み上げるには普通の状態では間に合わないので、魔道具を使って速度を上げる。
おそらく普通の人には聞き取れない程の速さに到達し、私の口はそれこそ呪文の様に、その物語を紡いで行く。

「『しかし、そこは、何本もつなげた錨綱よりも深く、底から海面まで到達するために教会の塔を幾重も重ねなくてはいけなくなるほどなのです。』、『Dernede bor havfolkene.』。『底は白砂でおおわれているなんて決して信じてはいけません。』」

魔力を込めれば、手の中の本が光を発する。
海面はもう目の前。
ぎゅっと目を閉じて、出来る限りの早口で続きを告げた。

「『それどころか最も奇妙な木と草が生えているのです。茎と葉にとても弾力性があるので水のちょっとした動きに対してもまるで生きているように動き回るのです。』」

着水と同時、私の身体は光に包まれる。
水中に沈んで行きながら、ゆっくりと目を開ける。私の下半身が魚のそれに変わって行くのを確認して、息を吐いた。
こぽり、と小さな泡が水面に上って行く。空気を吐き出してしまっても全く苦しくない。呼吸は問題ない様だ。

「『小さかろうと大きかろうとすべての魚は、空中を飛ぶ鳥のように枝の間をすべって行きます。』」

残りの分を読み上げて、下半身を動かし尾で水を蹴る。思いの外速い。
これなら良いだろう。
再び『書庫』に意識を向ける。
手に持っていた本を本棚に『戻し』て、海流が風の様に髪をなびかせるのを押さえると、先程まで自分が乗っていた船の底を見上げる。
行ってきます、と、もう一度小さく呟いて、その大きな影に背を向けた。


寂しい、なんて、久しぶりに感じた。



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今回読み上げたのはハンス・クリスチャン・アンデルセンの「人魚姫」冒頭部分。
アンデルセンすきです。


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