*そんな君は知らない*

微かに聞こえる波の音。規則正しく、強く、弱く。寄せては引いていく音。
こんな波音、私の部屋で聞ける訳がない。
変な夢……、まるで波打際で眠ってるみたいな。それも匂いまで…海の夢なのに珈琲の香りがするの。

……そう。珈琲の……香り……?

さすがに疑問が湧いてゆっくりと瞼を開ける。
木製の天井は私の部屋にはないもので…。何度も瞬きを繰り返しぼんやりと天井を眺める。

「あ、目、覚めたか…?」
「……へっ…?」

聞き慣れた声が左からして、回らない頭のまま顔を向けると…瑛くんが座って私を見つめていた。
いつもの店の制服だけど…髪は普段通り。

……って事は、ここは瑛くんの部屋で…何故…?

何気なく起き上がると、何故か掛けられた布団がずり落ち……。

「―――いやーー!!なっ、なっ、なっ!!」
「…うるさい。…さすがにそこまでは分からなかったんだよ。つーか…おまえ、覚えてない…?」

片目と片耳を指で塞いだ瑛くんが眉を寄せる

―――覚えて…?と、そこでようやく何があったかを思い出す。

―――そういえば、私…瑛くんに全部見ら…見られたんだ…!

めくれた布団を慌てて引き寄せ殆ど顔まで隠し、目だけを出して瑛くんを見つめる。
ぱちりと視線が絡まると、ふいと外されバツの悪そうな顔で頬を指先で掻いた。

「あー、サンキュー…って言うのもおかしいけど。勉強になった、凄く。えーっと…珈琲…淹れてくる…。」

視線を合わせる事なく言い切った瑛くんが部屋を出ると同時に慌てて身なりを整える。
シャツのボタンを留め終わる頃、ようやく自分がどんな状態だったのかはっきりと思い出して…。
こんなに身近な、それも友達に自分の身体を見られるなんて…じゃなく触られるなんて…じゃなく…あんなになった姿を…でもなく…あんな瑛くんを見るなんて……。
いろんな思いが次から次へと込み上げてきて…。

―――頭の中…破裂しそう…。

膝を曲げて座り顔を埋める。
どうしてこうなったのか、瑛くんの真意は分からないまま…。
そして、ほとんど抵抗出来なかった自分が分からないまま…。
明日から…じゃなく…。今から…瑛くんにどんな顔して会えばいいんだろう…。
これから…どうしたらいいんだろう…。
ここから今すぐ逃げ出したい、でも…どうして…私だった?

色々な事を頭に浮かべながら珈琲を持って開けられるはずの扉を見つめ続けた。
 

そんなきみは知らない
END

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