策略のマグカップ
店に来る客の八割、いやほぼ殆どはこの前と同じ客で疲れた顔に鞭打って、カウンターに並べたクッキーを片手にテーブルを回る。
店に入るなり、これを見た天音が目を丸くしていたが、開店準備の慌しさで深く聞かれないままクルクルと忙しそうに働いている。
学校よりも店のほうがかなり楽だ。なんと言っても、目当ての相手は勝手に来てくれるし俺も接客をすればいいだけだし。
これを用意していた労働時間を考えると割りは合わないけど、ちゃんとオーダーしてくれるし。
「それにしても、やっぱりすごかったね〜。想像はしてたから驚かなかったけど。」
最後の客を見送って看板を店にしまう俺に、モップで床を拭きながら天音が笑う。
最後のクッキーを渡す頃には、じいちゃんがカウンターの中を客に気付かれないよう早々と片付けていたらしく、残る作業は店内だけになっている。
「天音さんも随分免疫が出来てきたようですね。」
「あ、そうかもしれないですね!」
「俺は新種のウイルスかなにかかよ!」
テーブルを拭くじいちゃんの隣でいそいそと床を拭く天音に、悪態をつく。
でも、こういう時間がすごく好きだ。俺が俺でいられるような気がするから。
いつもよりも早く片づけが終わると、いつの間にかコーヒーを準備したじいちゃんがカウンターへ手招きをする。
「今日もお疲れ様です。天音さん。僕からのお返しをどうぞ?」
天音の前にコトリと置いたものは、少し重みがある音がして。両手に乗る少し細長い白い箱には水色のリボン。
「わぁ〜! ありがとうございます!…開けてもいいですか?」
「どうぞ、どうぞ。」
「じいちゃん、いったいいつのに……。」
じいちゃんまでもがお返しするのかよ。と思ったけど、よく考えたらじいちゃんはフェミニストだったんだ。
それにお気に入りの天音から貰ったんだから、準備を怠るわけがない。
呆れて溜め息をつきながらコーヒーを飲んでいると、隣で天音が声を上げる。
「見て見て、佐伯くん!マグカップだよ?かわい〜!」
「……じいちゃん、これ。」
「あぁ、天音さんだけいつも店のカップだと寂しいからね。」
天音に向かってにっこりと笑うじいちゃんと、天音の笑顔と手の中に納まった俺と色違いのマグカップ。
それを見比べて、やられたと天を仰ぐ。
じいちやんにお見通しなのは分かっていたけれど、これじゃ……。
「ね、佐伯くん!すごく綺麗な色だよね。私の大好きな色なんだよ?」
「そっか。よかったな。」
「うん!マスター、本当にありがとうございます!」
にこにこ笑う天音を目を細めながら見ていたじいちゃんが、自分のカップを片付け店に出てくる。
微妙に俺に向かってニヤニヤ笑っているのは、気のせいなんかじゃない。