ハッピーバレンタイン 番外編

「行ってきます!」

明るい笑顔と声を残し、パタンと扉が閉じられる。

今日はバイトだから、学校が終わったらそのまま直行するのかと思っていたんだが。

僅かな時間を、自分達のために使う事を惜しまない。彼女がいかに大切に思っていてくれるかが分かる。

にこやかに、天音に向かって手を振っていた美奈子がクリクリとした瞳で覗き込んだ。

「行っちゃったね?」

「あぁ。そうだな。」

「佐伯くんなら絶対喜ぶのに、どうして気づかないんだろ?天音ちゃんって、案外鈍感だよね?」

「……美奈子には言われたくないだろうな、天音も。」

兄弟でもないのにこの二人はよく似ていて、時々あの頃の美奈子を見ているような錯覚を起こす時がある。

たとえば、さっきみたいに自分に寄せられる好意に気づかない天音に。迷惑になるかもと佐伯の事ばかり気遣う様子に。

「もしかして、佐伯くんに妬いてる?」

「……どうして?」

「ここ、眉間に皺がよってる。」

俺の眉間を突く美奈子、気づかないうちにしかめっ面をしていたらしい。

天音にも大切に思う相手が出来た事は嬉しい事だと思うのだが、その事を手放しで喜べない自分もいる。

大人になっていくのが寂しいと思う自分がいる。

娘を嫁にやるときの父親の気分はこんな感じなんだろうか?と言う事は、いずれ美奈子の父親であるおじさんも、今の俺以上の気持ちを味わうんだろう。

「珪くん!そんな所に突っ立ってないで、リビングに行こう?風邪引いちゃうよ?」

「……あぁ、そうだな。」

玄関を見つめ思考に入っていた俺に、不思議そうな顔をした美奈子が腕を引っ張る。

まぁ、まだまだ先の話だけどいつかはその事を話すために、ここを訪れる日が来るんだろうな。

と、フワリと暖かい空気が漂うリビングに足を踏み入れる。
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