「ん、っ―――!」
両手を高く上げ背を伸ばす。そのまま右へ左へ。
腰から上の半身を捻ると、身体の中で骨が軋む音がした。
流石にというか、あきらかに運動不足だ。
「こんなとこで体操なんかしてないで他にする事あるでしょう?」
「ないわよ。ないからここにきてるんでしょ?」
「あのね、私が暇じゃないの、お仕事中なの」
回転椅子をくるりと回して振り向く白衣女性の呆れ顔。
右手にはよくある安っぽいボールペンが握られ、ペン先とは反対側の先端で机の上に広げられたA4サイズ程の白い紙を叩く。
隣には辞書のように分厚い本と片隅にはノートパソコン。
言葉通り仕事中らしい。珍しく。
「………明日は嵐かしら………?」
「叩き出すわよ?」
「やだぁ、冗談よ?じょーだん。でも、仕方ないわねぇ………」
文化祭という非日常。
日常の昼休み以上に騒がしい校内。
こんなにもいたのかと思えるほどの生徒の数と、それに負けないくらいの部外者達。
それらから逃れるためにここに来たのに、追い出されるのは困る。
今からほぼ丸一日を静かに過ごせる場所なんて他に思いつかないし、実際あるとは思えない。
ここは彼女の機嫌を損ねるのは得策ではないと、伸ばした腕を下ろし垂れ下がった白いカーテンの前に立った。
ぐるりとそれを取り囲むように取り付けられたカーテンをスライドさせると、レールが乾いた音を立てた。
「まさか、一日寝てるつもりじゃないでしょうね」
「あら、寂しい?」
「そうじゃなくて。クラス展示でも見てきたら?あんたのクラス、なんだっけ?」
「あ―――。行こうとはしたのよ?でも、ちょっとねぇ………」
そう。一応は行ってみたのだ。あかりちゃんにも言われてたし。
だけど、足を踏み入れる瞬間目に飛び込んだのが悪かった。
そのまま踵を返して、真っ直ぐここに来たというわけなのだ。
「なに?その奥歯に物が挟まった言い方。なにかあったの?」
「まぁね。誰かさんのせいでハンパなく女の子がいっぱいで、静かにお茶も飲めなさそうだった………って事で、察してちょうだい」
「なるほどね」
大袈裟に肩を落とすと、私の言いたい事が分かったのか苦笑いで肩を竦めた。
そして、ペンを唇に当て、少し何かを思考するように首を傾げると、おもむろに立ち上がった。
「仕方ないから秘密部屋を貸してあげるわ?こっちいらっしゃい」
彼女が向かうのは、部屋の隅にある扉。
音楽室や理科室などと同じく、備品などを管理保存する部屋。といっても、保健室は生徒が扱う教室ではないのだから、そこに何が入っているかは分からない。
立ち入れるのはここの管理者である、この保険医だけだ。
「そんな重要なとこ、生徒を入れていいの?」
「悪いに決まってるじゃない。ま、あんたがそんなバカな事するとは思わないし、ちょっと我慢したら快適よ?ここは」
しれっと言いながらポケットから取り出した鍵で扉を開ける。
彼女の後ろから入った部屋は、薬品を保管する引き戸の付いた戸棚とバインダーが並んだ本棚が壁面に並んでいた。
きっとこんな感じとイメージするものそのままだ。
そして、その戸棚の向かい側はどう見ても、ソファー。いや、これはソファーベットだ。
「ねぇ、なんでこんなものがあるの?」
「そりゃあ、保健室のベットで寝るわけにはいかないでしょ?」
「普通は勤務中に寝ないんじゃないかしら」
「あら、入り浸ってる人に言われたくないんだけど?―――よいしょっと」
ソファーの前にあったローテーブルを棚側にずらし、ソファーの背もたれを一度前に傾ける。彼女が手を離すと背もたれがぱたりと倒れ、シングルサイズ程のベットになった。
「そのクッション、大きい方は中にブランケット入ってるから。喉乾いたら、冷蔵庫の中のもの、飲んでいいわよ?」
09 喧騒の中の静寂